80年前の8月、富山市の数時間前に新潟県長岡市がアメリカ軍の空襲を受けました。
戦後80年の今年、その長岡市で、富山大空襲の資料が展示されました。
隣県の市同士、互いに「戦争の記憶」を後世に伝えていく思いが込められています。

新潟県長岡市の玄関口、駅前にある「戦災資料館」。
富山大空襲と同じ夜、1945年8月1日、アメリカ軍の「B29」爆撃機によって16万3000発あまりの焼い弾が投下された長岡。
住宅およそ1万2000戸が焼失。およそ1500人が亡くなった戦禍を伝える資料が展示されています。
戦後80年の今年、その一角に、富山大空襲に関する展示コーナーが初めて設けられました。(5月17日から5月25日まで)

本願寺富山別院が所蔵する投下された焼い弾や空襲で溶けたとされる硬貨、武器を製造するため金属類が回収された際に代用品として使われた陶器製の花瓶などが置かれ、焼け野原になった富山市街地の写真、空襲体験者が書いた絵日記も展示されています。

19日、富山県内の超党派の議員でつくる「富山大空襲を語り継ぐ議員連盟」の13人がこの戦災資料館を訪れました。
資料館は空襲を記録・保存し、継承するため、長岡市が2003年に開設しました。


展示物は250点にのぼり、市街地に落とされた焼い弾の実物大の模型も展示されています。
*富山大空襲を語り継ぐ議員連盟 中川忠昭会長(県議)
「すごい、これだけのものが落ちてきたのか」
*長岡戦災資料館 近藤信行館長
「16万3000発落ちてる。長岡の人口が7万人なので倍以上」
議員の視察には、富山大空襲の遺品や資料の常設展示を要望する「富山大空襲を語り継ぐ会」の会員3人が同行しました。

県内には、長岡のような空襲を伝える常設の施設はなく語り継ぐ会が、設置を求めています。
*富山大空襲を語り継ぐ議員連盟 中川忠昭会長
「戦後80年経つので資料収集をして、残すことが大事。語り継いでいく。特に若い人に伝えていくことが極めて大事だとあらためて感じた」
*富山大空襲を語り継ぐ会 高安昌敏代表幹事
「市民の意識、議員の意識が高まれば実現できると思って資料展示をこれからも推進していく」
富山大空襲を語り継ぐ会は、7月12日から県民会館で展示会を開き、長岡空襲の資料も展示し、富山市での常設展示施設設置へ機運を高めたいとしています。