10歳で戦場をさまよい地獄を見た玉寄哲永さん。
沖縄戦を巡って「日本軍が沖縄を守りに来た」「沖縄ではむちゃくちゃな教育をされている」など言動が飛び交う現状に、沖縄戦体験者として危機感を強めています。

玉寄哲永さん:
第一、発言自体が間違った根拠をもとにしたこの人の軸足があるもんですから、沖縄を日本軍が守りに来たというものは、沖縄に対してあれだけの犠牲を出しながら、それすら分かっていない。わずか5年生の私も地獄を見たんだ。田んぼも積むほど人間が死んでいる。こちら側も左も右もこんな状況。人間の死、死ですよ

10歳で沖縄戦を生き延びた玉寄哲永さん。4か月にわたって家族と戦場を逃げ惑い、3歳の弟を失いました。

玉寄哲永さん:
喜屋武の浜辺で傷ついた弟のわずかこれだけ残ったおじや、それを日本軍がこれよこせって。父親が反対したら軍刀を振りかざして親はひるんで逃げ出した。その隙に小さな食料奪い取って、手榴弾2個置いて貴様らこれ使えと・・・。記憶の断片じゃなしに破片ですよ。それは抜き取れない

ひめゆりの塔の説明を巡る「歴史の書き換え」発言や、これまでの平和教育を否定するような動きを見過ごすことはできない危機感を強めています。

玉寄哲永さん:
私はあの紙面を見た時にまた始まったか。教科書で文科省自体、国自体が歴史をいじったように、教科書問題と同じ根っこに立っているんです

沖縄戦の実相を歪めてはならない。
復帰後最大となった県民大会が開かれたのは2007年でした。

沖縄戦で起きた住民の強制集団死いわゆる集団自決を巡って、日本軍が関与したという記述を歴史の教科書から削除した文部科学省の検定意見の撤回を求めたのです。

県民大会登壇した高校生:
この記述を無くそうとしている人たちは、私たちのおじぃおばぁたちが嘘をついていると言いたいのでしょうか

超党派での大会実現に奔走した玉寄さん。子どもたちのため平和教育に力を尽くしてきた原点は地獄を彷徨った末に収容所で見た「光」でした。

玉寄哲永さん:
「母親にもうきょうからどうするの?」って言った。「もう逃げることないよ」って。その瞬間、わたしはわずかな5年生だしたけれど光を見たような気がする。それと同時に生きていけると思った。これが私の戦後に対する平和への手探りしながらの道のりです

多大な犠牲を生んだ歴史を人々に見つめなおしてもらい、子どもたちを再び戦場にやらないため、沖縄戦体験者として使命を全うする構えです。

玉寄哲永さん:
平和の姿勢を向けること・歴史はありのままの事実を伝えることが歴史認識としては本当であると思う。真実であると思う。醜くてもいいから本当のことを知りたい。伝えたいと言っていましたからね。これに答えるのが体験者の役割ですよ

沖縄テレビ
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