北九州市小倉北区の『鳥町食道街』。太平洋戦争直後の闇市がルーツとされ、小倉名物の“焼きうどん発祥の店”とされる『だるま堂』など30店舗余りの飲食店が密集していた。しかし―。

小倉名物発祥の店も灰燼に…

2024年1月。「北九州市小倉北区上空です。建物が密集した地域で、オレンジ色の炎と黒い煙が立ち上っています」とヘリコプター取材の記者から悲痛なリポートが届く。JR小倉駅近くの鳥町食道街で大規模火災が発生したのだ。この火事で飲食店など36店舗、約2千700平方メートルが焼失した。

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完全に塞がれてしまった食道街への入り口。1人の男性が「いまから現地に入りたいと思ってはいるんですけど…」と憔悴しきった表情で関係者に電話をかけていた。店が被災した竹中康二さんだ。

竹中さんが営んでいたのは1945年創業の小倉名物“焼きうどん発祥の店”『だるま堂』。2019年に亡くなった先代の坂田チヨノさんの思いを引き継ぎ、閉店に追い込まれていた店を火災の3年前に復活させたばかりだった。

火災現場に呆然と立ち尽くす竹中さん。「お店をあの形で再興するのは、無理だなと…。先代には申し訳ない…」と涙ぐんだ。

約2千トンにも及んだ大量の瓦礫が半年かけて撤去され、地権者などは『魚町地区の復興を考える会』を立ち上げる。そして跡地の活用方法の協議を始めたのだ。

『考える会』の梯輝元・事務局長は「駅前の1番の1等地を『あのままでいいのか』というとなかなかそうもいかないし、何かしら動かないと始まらない」と挨拶で述べた。

そして、2024年末、被災者でもある不動産会社が跡地を5年間借り上げ、イベント広場として活用することを提案。『魚町みらい広場』と名付け、再出発することになったのだ。

未来に向けて生まれ変わる街

『リアルエステートサービス』の飯田大樹社長は「うちも後ろのビルに被災したというのもあって、2024年の6月から復興を考える会に参加させてもらっていた。小さい土地を持っている人は、いまの法改正の都合で新しい建物がなかなか建てられない。何かできることはないかということで、皆さんの土地の一括借り上げを提案させて頂いた。この広場の未来を考える時間をつくることができたかなと思っています」と話す。

2025年5月10日。オープン後初のイベントは、豊富な種類のハイボールと人気のグルメが楽しめる『ハイボールフェスタ』。あいにくの雨となったが、会場は大勢の人で賑わった。

そして『だるま堂』も出店。竹中さんは「このエリアの活性化のために、整備をしてもらえて本当にありがたい。やはり私たち『だるま堂』としてもここが“聖地”なんですよね。いずれはこの場所で焼きうどんを焼き続けたいと思っていたものですから、取り敢えず5年間というかたちではあるんですけど、この先の可能性、光が見えてきた気がするので本当にありがたい」と喜びを隠さなかった。

訪れた人たちも「火災があって町がシュンとしていたが、こうやって復興の兆しが見えて、いまからは明るい」「こういう場所ができて嬉しい」とそれぞれに新しい街の出発を喜んでいた。

かつての賑わいはどうすれば戻るのか。本格的な再開発を望む声もあり、地権者らは近く新たな協議会を設立し、検討を進める予定にしている。

(テレビ西日本)

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