江戸時代の港町の風情を残す福山市鞆町で、町中心部の渋滞緩和を目的に広島県が工事を進めてきたトンネルが3月30日に開通した。当初の計画から開通に至るまで、実に41年以上。紆余曲折の「歴史」を振り返る。
揺れに揺れ、観光地にトンネル開通
計画から41年、鞆のまちづくりの要となるトンネルがついに開通した。

福山市鞆町に完成した「鞆未来トンネル」は片側1車線の全長2114メートル。トンネル工事をめぐっては当初、貴重な江戸時代の港湾施設が残る港を埋め立て、橋をかける計画が進んでいたが、景観を損なうと一部の住民が反対。何度も計画が練り直され現在の形になった経緯がある。
橋をかける計画を撤回し、トンネル建設へ転換した広島県の湯崎英彦知事は「鞆も揺れた。福山市も揺れた。広島県も揺れた。そのような中で1つの節目を迎えられたのは多くの皆さんのおかげだと思っています。これから未来に向かって鞆が発展する礎になればと考えています」と長かった道のりに思いを馳せた。

3月30日、開通を記念して誰もが自由にトンネルを歩けるイベントが開かれた。訪れた人は「初めて新しいトンネルを歩きましたけど感動があります」と言い、鞆の住民も「すごくいいですね。鞆がもっともっと観光で発展するのを期待しています」と笑顔で話していた。
「世界遺産級」の景観を守るために
江戸時代、汐待ちの港として栄えた鞆。常夜灯や船着場の雁木など、当時の面影を残す人気の観光地だ。町並みは「世界遺産級」と評価され、県内外から多くの人が訪れる。そんな鞆の町にトンネルが開通するまで様々な紆余曲折があった。
事の発端は町の中心部を走る県道47号の渋滞。その混雑状況はトンネル開通の2時間前でもなお続いていた。

この県道は道幅が狭く、車の離合もままならない。混雑時には路肩にタイヤを乗り上げて離合するなど、住民は不便な生活を強いられてきた。
そこで1983年12月、広島県と福山市は鞆港を埋め立て約180メートルの橋をかける計画を立案。渋滞の解消に加えて下水道の整備や高潮対策にもつながると賛成派の住民から期待され、県は事業に必要な埋め立て免許を国に申請した。しかし反対派の住民がそれを許さなかった。

反対派の住民・松居秀子さんは2009年の取材時に、「架橋はコンクリートの壁ですよ。景観を失うということは鞆をなくすこと、故郷をなくすという思いです」と激しく抗議。貴重な鞆の景観を損なうと一部の住民が計画に強く反対し、県を相手取り裁判を起こしたのだ。
論争を経た41年…歪んだ住民感情
利便性をとるか、景観を守るか。地元住民を二分させた架橋問題は“景観の価値”を正面から問う全国的にも注目された裁判になった。そして2009年10月、広島地裁は「鞆の景観は文化的・歴史的価値を有するもので架橋事業が景観に及ぼす影響は重大だ」として、県に埋め立ての差し止めを命ずる判決を下した。

「私たちの主張が認めていただけてこんなにうれしいことはない」と原告団は喜んだ。しかし架橋推進派の住民の要望などもあり、県は控訴する。
この騒動の渦中、広島県の湯崎英彦知事が就任した。湯崎知事は架橋案に加え、港と景観に配慮して山側にトンネルを通す案など5つの案を提示。住民との対話を続け、2016年に県は埋め立て免許申請の取り下げを行った。
地元住民を二分した論争を経て、2021年、トンネルに接続する道路工事がスタート。トンネル内の掘削工事を進め、2024年6月に貫通。そして2025年3月30日、最初の計画から41年以上の月日を経てようやく開通した。

あまりに年月がかかった開通に、架橋計画に反対していた住民も思いは複雑だ。反対派だった住民の松居秀子さんは「公共事業を動かすのはこんなに月日が経つのかと。こんなに長くかけなかったらもっと早く鞆が違う形になれたのにと。住民感情もここまで歪まなかったのではないかとかいろいろな思いがあります」と話す。
架橋推進派だった住民の鞆町内会連絡協議会・岡本浩男会長は「トンネル建設中に爆破や振動で家の中に亀裂が入ったり水脈が変わって水があふれるという状況が今もある。私たちがしたいことは鞆に住み続けていくための基盤整備。行政と住民が一体となって総合的に考えていく必要がある」とトンネル建設が残した影響に言及した。
トンネル開通の翌日から渋滞緩和
鞆未来トンネルは県道の渋滞緩和につながったのか。開通から2日が経った4月1日、朝の通勤時間帯の様子を取材した。

午前8時半ごろ、トンネル西側の沼隈側の出入り口では福山市中心部へ向かう車が次々と走っていく。地元住民は「便利です。混雑がなくて気を使わなくていいからね。事故もないし」と満足そう。
一方、トンネル開通前は福山市沼隈方面から福山市中心部に向かう車で混雑していた鞆町の中心部はどうか。1日朝、県道を走る車はまばらで地元の人たちは交通量の減少を実感していた。

地元で保命酒店を経営する男性は「通勤の時間はかなり渋滞が起こっていましたけれども、今日は車もいなければ人もいないような感じで非常に寂しいですね」と静まり返った県道を見つめた。
広島県東部事務所によると、開通翌日の3月31日から通勤時間帯のトンネル利用が多く、中心部での渋滞緩和が見られたということだ。県は大型連休前と連休中に本格的な交通量の調査を実施することにしている。
鞆町は今、鞆の浦の沖合にある仙酔島に全国で宿泊施設を展開する「星野リゾート」の進出が決定するなど観光面で盛り上がりを見せている。しかし1970年代に1万人前後だった人口は現在、約3300人まで減った。
歴史的な町並みと、人々の暮らしが共存する鞆町。トンネル開通で交通問題が改善したとしても高潮対策や下水道の整備、空き家対策など課題は山積している。トンネル開通が未来のまちづくりへの新たな出発点になるのか、期待される。
(テレビ新広島)