能登半島地震の発生から3月26日で450日。この日、内灘町にある「8番らーめん内灘店」が能登半島地震以来の再開を果たした。国の内外に286店舗を構える8番らーめんだが、この内灘店の再開によって能登半島地震で被害を受けた店舗すべてが復活したことになる。
能登半島地震から450日、たくさんの笑顔が戻った8番らーめん内灘店

店内に入るとたくさんのお花とお祝いの酒があり、盛り上がっている。オーナーの山岸千太郎さんは、再開の日を迎えた心境をこう語る。「もう本当に地域の皆さんに育てられて、家族に育てられて、今本当にテンション爆上げで、祭り前の状態というか、もう最高な気分ですね。」たくさんの笑顔を見られた感想を尋ねると、「いや、もう本当にこんなたくさんの笑顔と、もうたくさんのお花、お気持ちもらえて、やってよかったなって素直に思います。」

10カ月間も解体現場などで働いた店主の苦難
最大震度7を観測した能登半島地震。8番らーめん内灘店が建つ内灘町は震源から遠く離れているにもかかわらず、液状化による大きな被害が発生した。30年ほど前に山岸さんが父親から受け継いだ8番らーめん内灘店も例外ではなかった。店の床が隆起するなどし、判定は大規模半壊。解体を余儀なくされたのである。

休業期間中、山岸さんは能登半島地震の解体現場などで仕事をしながら、店舗の再建を目指していた。山岸さんは、「今までこういう作業員的な仕事したことないんで...ずっと何十年ってラーメンできたんで。とても刺激になりますよ」と語る。

ヘルメット姿で全身作業着を着ていることについては、「震災から仕事失くして、それから約10カ月。町の解体現場に関わるようになりまして…2月20日で卒業したんですけども、自分の店舗なんで、愛着あるじゃないですか?もう自分で工事すればもっと愛着が出るかなと思って」

地震当時から振り返ってこれまでの期間を聞くと、「長かったですよ、とにかく。でも家族も無事で。まぁ、本当周りに…すいません。もう本当死んじゃった人とかもいるんで…とにかく頑張らないとって今は思いますね。」と、涙ながらに語ってくれた。
「支えてくれた皆さんには感謝しかない」涙のオープン

3月21日、山岸さんは再建した店舗にこれまで応援してくれた仲間たちを招いた。「1年2カ月ぶりですよ」山岸さんの姿は厨房にいた。「楽しいっすね、やっぱり」

友人たちからも喜びの声が上がった。
「すごく美味しいです」「もう待ちにに待ってのラーメンなんで」「寂しい気持ちもあったので、やっと食べられたっていうのが嬉しいですね」とみな大喜びだ。

仲間の家族からお祝いを受け取った山岸さん。多くの人からの励ましに思わず涙ぐんだ。

そしていよいよオープンの日。多くのお祝いが届けられる中、オープンを前に入念に調理場をチェックする山岸さんがいた。

山岸さん:
「めちゃくちゃアドレナリンが出てる感じで、めちゃくちゃテンション高いです。」

オープン前の朝礼。「おはようございます。8番らーめん内灘店、オープン朝礼を始めます。」山岸さんは、支えてくれたスタッフに感謝を伝えるとここでも思わず涙がこぼれた。

450日ぶりの一杯に「美味しい」の声
同じ町内に住む友人の和太鼓奏者が450日ぶりの復活に花を添えると、いよいよ待ちに待ったその時が来た。

「11時になりましたんで、450日ぶり8番内灘オープンします。お待たせしました。」

11時のオープンと同時に次々とお客さんが来店。店内はあっという間に満席になった。客は「待ちに待って来ました。寂しかったですね。ここに来れなかったのが…でも、ようやく来られたんで。」

店舗の施工業者も客として来店した。「ここの店の建設に携わってきた分、今日のオープンに立ち会いたくて。こんなたくさんの人の応援というか、支援があって、山岸さんにも(復活への)色んな思いがあって…その思いに僕らもちょっと答えられたのかなって。」

およそ1年3カ月、待ちにに待ったラーメンがテーブルに届くと、
「あ、美味しい!」
味に違いはあるかと尋ねると、
「いや、もう変わらん。今まで食べてたのと。美味しいです。」と満足そうな笑みを浮かべた。

山岸さんは今後について「もうここからは笑顔でね、お客さんを迎えて元気に。内灘町の象徴になれるようにしっかりと頑張っていこうと思っています。」と笑顔で語った。

涙を超えて希望の一杯を作る店が、これからも内灘の街を照らし続けていくことを願いたい。

(石川テレビ)