OHK(岡山放送)のアーカイブ映像で振り返る香川県の昭和
1925年の昭和元年から2025年で100年を迎えた。OHKのアーカイブセンターに残る香川の懐かしの映像で、ふるさとの昭和を振り返る。
1984年(昭和59年)1月4日、お正月をふるさとや行楽地で過ごした人たちのUターンラッシュが高松駅で始まった。

四国~本州を結ぶ 国鉄(当時)宇高連絡船が活躍
瀬戸大橋の開通は4年後の1988年。当時、香川県高松市と岡山県玉野市(宇野)の間は、国鉄宇高連絡船など、宇高航路が運航されていた。

四国4県から到着した乗客は桟橋に移動し本州へ
四国各地から到着した列車から次々と降りた乗客は連絡船乗り場に移動し、本州に向かう船に乗り換えていた。

「讃岐丸」など四国4県の旧国名の4隻の船が活躍
宇高連絡船では当時、讃岐丸、阿波丸、伊予丸、土佐丸と四国の旧国名の4隻の船が瀬戸内海を行き来し、本州までは約1時間の船旅だった。

船内の甲板で食べる「讃岐うどん」は四国の人たちにとっては”思い出の味”
当時、四国と本州を行き来する人たちにとって、船内の甲板で食べる「讃岐うどん」は名物の1つだった。この味が「思い出の味」と話す四国出身者も多くいて、連絡船がなくなった後も”連絡船のうどん”を再現するイベントが度々行われている。
宇高連絡船は1988年4月9日に、本州と四国を結ぶ瀬戸大橋の開通で姿を消した。

フェリーは24時間運航…高松港は当時、四国の海の玄関口
当時、宇高連絡船には車を乗せられなかったため、マイカーで本州に渡る人は、カーフェリーで本州に向かっていた。船会社の1つ、宇高(うたか)国道フェリーの乗り場には多くのマイカーが出港を待っていた。当時、四国と本州の間は24時間フェリーが運航され、高松港は四国の玄関口としてにぎわった。

瀬戸大橋開通後も活躍した高松港~宇野港の宇高国道フェリーも2012年に姿消す
宇高国道フェリーは瀬戸大橋開通後も運航を続け、51年間、四国と本州を結んでいたが、2012年10月17日で運航が休止されている。
(岡山放送)
