沖縄市出身のレーシングドライバー平良響(たいら ひびき)選手。
沖縄のモータースポーツ界を牽引(けんいん)する平良選手にとって、2025年は大きな飛躍の年となりそうだ。
幼い頃から練習してきた読谷(よみたん)村のサーキットで2025年にかける思いを聞いた。
平良響の原点の場所
Q.ククル読谷サーキットは平良選手にとってどんな場所ですか?
平良響 選手:
始まりの場所なので毎年恒例、新年はククルでこうやって走り始めをして、シーズンを迎えるみたいな感じです

沖縄市出身の平良響選手は、2024年に沖縄出身ドライバーとして初めて国内最高峰のスーパーフォーミュラでのデビューを果たした。
そんな平良選手の原点がここ、ククル読谷サーキットである。
平良響 選手:
小学校に上がる前に父と来ました。こうやって父が2人乗りカートを運転して、僕が隣に乗って。多分すごく喜んでいる姿を父は見たのかなと思います。本当に原点ですので、今でも覚えています

それからカートレースにのめり込み、日本代表として世界大会にも出場するなど実力を伸ばす中で大きな夢を抱くようになった。
平良響 選手(当時、高校1年):
将来の夢は、沖縄初となるF1ドライバーになることです

高校卒業後は若手ドライバーの登竜門であるFIA-F4(エフアイエー エフフォー)に参戦し、史上初の10連勝という快挙を成し遂げた。

2021年にはスーパーフォーミュラ・ライツにステップアップするが、なかなか年間チャンピオンに手が届かず、2024年はフォーミュラカーレースのシートを失った。

平良響 選手:
ドライバー人生の中で、一番大事だなという日も訪れました

しかし2024年6月、急遽代役として国内最高峰のカテゴリー、スーパーフォーミュラで走るチャンスが巡ってきた。

平良響 選手:
もちろんプレッシャーはありましたけど、これをチャンスに活かせれば絶対に次があると思っていたので、その部分に関しては楽しみなところもありました
4戦のみの参戦ながら入賞を果たし、実力をアピール。

2024年は沖縄出身ドライバーとして初めて、スーパーフォーミュラのレギュラードライバーの座を掴み取った。
平良響 選手:
トップレーサーの一員にやっとたどり着け、そして沖縄のチームも立ち上げることができて、ここからという感じがあるので、始まりの年だなと思います
皆さんの想いをのせてレースに
2024年12月18日、沖縄トヨタ自動車は平良選手をドライバーに迎えたレーシングチームを発足させ、全国に挑むことを発表した。

沖縄トヨタ自動車 野原朝昌 社長:
平良響選手の活躍は、沖縄のモータースポーツの未来にとって大きな意味を持つと確信しています

平良響 選手:
皆さんの想いをのせて頑張ってレースをしたいなと思います
国内トップレベルのレースに挑み続ける平良選手の姿は、沖縄の子どもたちにとって憧れだ。
男の子:
響先輩みたいになりたい
平良響 選手:
100点の答えが出ました。僕は先輩がいなかったので、こうやって後輩くんが思ってくれるとうれしいです

そんな平良選手と幼い頃から切磋琢磨(せっさたくま)してきたのは、女性限定のレースKYOJO CUPなどで活躍する翁長実希(おなが みき)選手である。

翁長実希 選手:
私が小学校1、2年ぐらいのときからなので…
平良響 選手:
20年です
翁長実希 選手:
腐れ縁ですね。ガソリンなくなるまで走っていたなとか、暗くなっている中の月明りで走っていたなとか。弟的存在でもあるし、戦友って感じもあるし、でもやっぱり常にライバル意識は持っているような感じです
平良響 選手:
いま本土で一緒にプロのレーサーをできているので、そこに関しては本当にどこからそんなにすごいパワーがあるのかというぐらい、奇跡の連続だなと思います

翁長選手の父でもあるククル読谷サーキットの翁長達也さんも、ずっと平良選手を見守ってきた。
翁長達也さん:
頂点にいっちゃったね。全国で20人しか走れないドライバーの一人なので、それはすごいことだと思う。沖縄の子どもたちに夢を与えることができるというのはすごいなと思うから、ケガしないようにやってもらえたら。無理しないで

平良響 選手:
本当に自分ひとりの力でたどり着けなかったことは間違いないので、支えてくださってきた人たちに対しても感謝いっぱいですし、それを結果で返さないとなと思うので身が引き締まる思いです

平良選手がこれから目指すものは
平良響 選手
沖縄をモータースポーツで盛り上げることです。自分のレースも頑張って、沖縄でモータースポーツが認知されて、どんどん盛り上がっていったらなと思います

沖縄の小さなサーキットから国内トップレベルのレーサーに上り詰めた平良響選手。今年も全国のサーキットでその名前をとどろかせていく。
(沖縄テレビ)