能登地方を継続的に取材し、人々の暮らしや心の動きを追っていくシリーズ企画「ストーリーズ」。元旦の震災で海底が隆起するなど甚大な被害を受けた輪島港。この港で再起をかける漁師の11カ月を追った。
まさに「海の男!」…その出会いは輪島自慢の「海の幸」
輪島市の漁師・東野竹夫さん。石川テレビの縁は深く、出会いは約10年前。漁の解禁日などには取材に協力いただき、そのたびに、ふるさとの海の豊かさを教えてくれた。
この記事の画像(26枚)4年前の2020年には、タラとノドグロ漁に同行させてもらった。
東野竹夫さん:
これこれこれ!これよ!これでも500gほど!
網にかかったノドグロに大きな歓声を上げる東野竹夫さん。明るい人柄は陸でも変わらない。カニの時期には、ズワイガニの刺身を一緒にいただいたこともあった。
力強く、豪快で底抜けに明るい。「海の男」とは、まさに東野さんみたいな人をいうのだろうと感じた。
輪島市の自宅で被災…避難生活を支えてくれたのは?
東野さんも能登半島地震で自宅が被災した。震災直後に東野さんが撮影した自宅の映像には、大きくゆがんだ柱、崩れた壁と散乱した瓦礫。その自宅はのちに大規模半壊と認定され、住むことが出来なくなった。映像には、力なくつぶやく東野さんの声も…
東野さん:
我が家です。ひどいです。近所も全部ダメです。どうしよう…
1月下旬、金沢市内のアパートに妻や両親と避難していた東野さんを訪ねた。
東野さん:
本当に大変ですよ。住む所も輪島には無いし、家も潰れたし職も無いし、本当に大変な思いして金沢に出てきました。漁師って漁師しか出来んもんでね。もう船から降りたら、ただのニートですよ…
避難生活を支えようと、東野さんのもとには、全国の漁師仲間から次々と魚が送られてきた。中には「頑張れ!!」と大きく応援のメッセージが書かたものも…。
「皆さんのおかげで頑張れますよ。本当に力出ます」と語る東野さんだったが、ふとした瞬間に頭をよぎるのは、やはり海のこと。
東野さん:
はよ沖行きたいなぁ…
再起をかけて舳倉島へ!実家の前で思わず、涙…
船は無事だったものの、輪島港は海底が隆起し、漁に出ることができなくなった。さらに東野さんには、もう1つ心配事があった。
東野さん:
舳倉島の家も、もうどうなっとるかも全然分からん。
舳倉島とは、輪島市から北に約50キロ先にある日本海に浮かぶ離島だ。豊かな漁場に恵まれているため、夏場は海を渡り多くの漁師や海女が暮らした。しかし、元日の地震で舳倉島も被災。港も大きな被害を受けたため、島民も島へ渡ることができない状況が続いていた。東野さんたち舳倉島の出身者が、ようやく島へ渡ることが出来たのは4月下旬だった。
東野さん:
島民がみんなで渡るっていうのは今回が初めて。正月ぶりだし、皆さん舳倉島に行けるってテンション上がるわな。1番の希望ですね、舳倉島の家はね。
本土と島を繋ぐ定期船は地震以降、運休しているため自分たちで船を出して島へ向かった。
船から降りた東野さんが「ひどいな」とつぶやいた。地震で港はすっかり変わってしまっていた。
東野さん:
ゴミだらけ…
舳倉島は、最も高い地点で12メートルと標高が高くない。島は津波の被害も受けたようで、陸の上も津波で打ち上げられたであろう瓦礫や網などのごみが散乱。その間を縫うように歩き、両親と共に実家を目指した。
東野さん:
あれ、そう。実家
津波の被害を受け、大きく損壊した実家。東野さんの目に思わず涙があふれた。
東野さん:
情けねぇな…全滅やなこれ。悔しいなぁ…
実家は倒壊を免れたが、津波で床は泥だらけ。家財道具も波にさらわれ、とても住める状態ではなかった。一番の希望だった実家の姿に言葉を失った。
東野さん:
この状況どうする?
母の直美さんが「洗濯機、なくなっている」とつぶやいた。洗濯機は津波で家から押し流され、草むらの中に転がっていた。
東野さん:
大変ですよ、どうしよう。最後ここが希望だった。ここさえ生きていれば島に移住できるかなと思ったけれど、この家もこんな状態じゃ…。やっぱり戻りたいですね。舳倉島でも輪島でも。とにかく帰りたい。どうなるんやろ本当に…
地震と津波の被害は島全体に渡っていた。国は地域住民に島の片づけを依頼し、漁師や海女をはじめとする人々がその役割を担った。
7月末、東野さんは自分の船で舳倉島に渡った。島の復旧と片づけは着々と進み、水道も復旧。東野さんが蛇口をひねると、勢いよく水が流れ出した。
東野さん:
おぉ!水最高!水出るってスゴイ!
東野さんは、いつかまた舳倉島の実家に住むことができるよう、少しずつ片付けを進めていると言う。しかし、希望を抱いたその帰り道…船のエンジンが故障してしまった。
東野さん:
エンジンは潰れるわ、家は潰れるわ、どうする?崩壊やわ…
船がなければ、舳倉島の実家に帰ることも、もちろん、漁に出ることもできない。この時、震災から既に半年以上が経っていた。
漁本番 冬に向けた準備の始まり
9月半ば、東野さんは金沢市から輪島市内の仮設住宅へと引っ越していた。地元に戻ったことで幾分か生活は落ち着いたが、漁に出られない状態は続いていた。
東野さん:
大体、夜中の0時ぐらいに家を出て漁に出る感じでしたけれど今もそういう名残があるのか、夜中に目覚ますんですよね。今は、なんか仕事ないかな…って感じ
10月末、夏に故障したエンジンの修理が終わり、東野さんは船の試運転を行った。
東野さん:
3カ月半以上か。長かったぜ…エンジンかかるかな。
ぶるるん!力強く震えるエンジンの音が響いた。東野さんの顔が「海の男」の顔に。
東野さん:
いいね、たまらんね、このエンジン音。久しぶりやし、やっぱりたぎるね!
ちょうど同じころ、港の荷揚場が仮復旧し、魚を水揚げできる環境が整った。漁の再開が決定したが、制限付きのため手放しで喜べるわけではなかった…
東野さん:
もちろんワクワクはありますけれど、港を制限したら漁も制限しなきゃならんし、飯食えん…
待ちに待った漁が再開!網には、あの高級魚も
11月11日、待ちに待った刺し網漁の再開の日がやって来た。この日、本来はタラ漁も解禁となるはずだったが、カニ漁が優先になったため、東野さんはタラ以外の魚を目指し出漁。もともとタラ漁・ノドグロ漁の漁師だった東野さんにとって、厳しい状況に変わりはないが…
約10カ月半ぶりの漁だ。東野さんが港に戻ったのは、翌日の昼。果たして、震災後初めての漁はどうだったのだろうか?
東野さん:
ダメでした!1年振りに出てこの程度や!
大漁ではなかったが、ノドグロやサワラ、カレイなど、取れた魚を見せてくれた。海の町、輪島が蘇ってきている。そう感じた瞬間だった。
東野さん:
最高やったけど魚おらんかったな…始まったばっかりやし、これからやわ!魚おらんのに疲れた。それで網引っ張る機械が故障して…これからもう一仕事。
待ちに待ったこの日は、どんな1日だったのか…
東野さん:
漁師にとって最高の1日やったかな
その言葉を聞き、震災直後の東野さんの言葉を思い出した。
「沖に行きたい」とつぶやたあの日から約9カ月半。輪島港には「ノドグロ獲ってくるぞ!」と意気揚々と船に乗り込み、沖へ繰り出す東野さんの姿があった。輪島に「海の男」が戻ってきた!
(石川テレビ)