米軍のオスプレイが屋久島沖で墜落し搭乗員8人が死亡した事故から1年。米軍主催の慰霊祭が屋久島で行われた。オスプレイは事故後も緊急着陸などトラブルが相次ぎ、屋久島の住民からは不安や憤りの声が聞かれた。
緊急着陸試みるも墜落…運用停止に
2023年11月29日、アメリカ軍横田基地所属の「オスプレイ」が屋久島沖で墜落し、搭乗員8人全員が死亡した。同機はこの日、山口・岩国基地から沖縄・嘉手納基地に向かっていた。
この記事の画像(12枚)墜落前には鹿児島・屋久島空港に緊急着陸を試みていて、「ぐるぐると3回転してオレンジ色の炎が見えてそのまま海に落ちた」という生々しい証言もある。
事故を受け、アメリカ軍は世界に配備する全てのオスプレイの運用を停止、防衛省も同様の措置を取った。
墜落した機体が屋久島沖からようやく引き揚げられたのは、事故から1カ月が経過した12月だった。
原因明かされぬまま運用停止解除
度々事故を起こし運用を不安視する声も少なくない中、事故から4カ月後の2024年3月にアメリカ軍はオスプレイの運用停止を解除、「安全に飛行できると判断した」としたものの、事故原因は明らかにされないままだった。
沖縄・普天間飛行場でオスプレイが飛び立った3月14日には、海上自衛隊の航空基地がある鹿児島・鹿屋市役所を九州防衛局の幹部が訪れ、飛行再開について説明した。それに対し、中西茂市長は「段取りが早いというか、(原因が)すべて解決されたか、ちょっと疑問」と述べた。
また鹿児島・塩田康一知事は「事前に飛行の連絡がないまま飛行が再開されたのは極めて遺憾」と怒りの声を上げた。
墜落事故後にも相次ぐトラブル
アメリカ軍が事故原因を公表したのは、事故から9カ月が経過した2024年8月。九州防衛局の次長が鹿児島県庁を訪れ、アメリカ軍の事故調査報告書の内容を説明した。
報告書では変速機が破損しエンジンの動力が伝えられなくなったこと、そして操縦士が不具合の警告後すぐに着陸しようとしなかったことも原因の1つとしている。しかし、変速機が破損した理由については語られていなかった。
そして事故から1年となるのを前に、鹿児島県内ではオスプレイによるトラブルが相次いだ。
10月には日米共同統合演習に参加していた陸上自衛隊のオスプレイが鹿屋航空基地に、11月に入ってからは米軍のオスプレイが奄美空港に2回緊急着陸した。いずれも飛行中のトラブルによる危険を回避するためとされている。
事故から1年…慰霊祭が執り行われる
こうした中、事故からちょうど1年となる11月29日、屋久島町役場でアメリカ軍主催の慰霊祭が非公開で行われ、アメリカ軍や防衛省の関係者、犠牲者の遺族など約80人が出席した。事故発生と同時刻の午後2時40分ごろ、死亡した8人を追悼する黙とうが捧げられたという。
墜落現場から約1kmの海岸には犠牲者を悼む慰霊碑が建てられた。また、墜落現場付近の田代海岸の慰霊碑には搭乗員8人の肖像が刻まれている。
慰霊祭後、取材に応じた九州防衛局・中辻綾太企画部長は「多くの方々が必死に捜索活動に尽力したことを心に留めてもらい、心の安定につながればよい」とコメントした。
「不安より実績」複雑な心境の住民
しかし事故当日、墜落するオスプレイを目撃した漁師の中島正道さんは「多少の危険があっても、パイロットの習熟度でカバーできるような思い込みで飛ばしているのかなと思う。理不尽さを感じる。憤る気持ちはある」と話す。
屋久島町の住民の1人は「不安があるのは確かでしょうね」と切り出したが、「たくさん飛んでいるということは、不安より実績の方が大きいということでしょうか」と複雑な心境を語った。
世界に衝撃を与えた墜落事故から1年。オスプレイは今も、その安全性が問われ続けている。
(鹿児島テレビ)