車いすテニスの第一人者であり、パリパラリンピックで悲願の金メダルに輝いた、兵庫県明石市出身の上地結衣選手。

彼女の原動力は何なのか。世界中を飛び回る彼女が先日、関西に凱旋した際、吉原キャスターが話を聞いた。

■4度目の挑戦でつかんだ“金” 「自分の可能性に期待したい」

兵庫県出身の上地選手、久しぶりの関西は?
兵庫県出身の上地選手、久しぶりの関西は?
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吉原功兼キャスター:関西テレビの吉原と申します。

上地結衣選手:よろしくお願いします。車いすテニスの上地結衣です。

吉原功兼キャスター:久しぶりの関西、どうですか?

上地結衣選手:(大阪市西区の)靭公園で練習してたんですけど、通りがかった方が『テレビで見てたけど、ほんまに見たのは初めてやねん。あんたうまいなあ』って言われて。 思わず『ありがとうございます』って。でも、それだけ言って立ち去られていって、そこに温かみを感じるというか、やっぱり関西で良かったなって、『帰ってきたな』っていう感じが本当にしました。

今年8月から9月にかけて開かれた「パリパラリンピック2024」。上地選手は、東京パラリンピックに続いて決勝の舞台に上がった。

そこで初めて、パラリンピックの頂点に。18歳で初めてロンドンパラリンピックに出場してから、4回目の挑戦でようやくつかんだ「金メダル」だ。

上地結衣選手:最後のポイントが終わった時には、自分自身でも全部出し切れたなって思う試合ではあったんですけど、帰国してから自分の試合も見返したんですけど、 見返せば見返すほど、どんどん出てきて、『もっと良くなるんじゃないかな』と、自分の可能性に期待したいというか。

吉原功兼キャスター:上地結衣、パリパラリンピック『金(メダル)』だけど、まだまだ進化中、『進化の途中です』という。

上地結衣選手:はい。進化したいと思っているので。

■史上最年少“14歳”で日本一 16歳で世界を見据えた

史上最年少の14歳で日本ランキング1位
史上最年少の14歳で日本ランキング1位

上地選手は、「潜在性二分脊椎症」という病気で、生まれつき足などにまひがあった。

成長するにつれ徐々に歩けなくなり、車いすを頼るようになった小学5年生の頃、競技と出会った。

上地結衣選手:一度始めると止めが効かないというか、10球、20球とボールを出してもらっているうちにできるようになっていくっていうのが、すごく楽しくて。

才能はすぐに開花。次々と大会で結果を残し、史上最年少の14歳で日本ランキング1位に。 16才の時には、すでに世界と戦うことを見据えていた。

上地結衣選手(当時16歳):自分で戦って、海外の選手との違いとかも感じられたので、そういう選手みたいになりたいって思うし、自分も近づいて、そんな中に入りたい。すごいなと思ってもらえるようにしたいと思いますね。

2014年には、初めて世界ランキング1位に輝き、世界の頂点へと駆け上がっていった。

そんな彼女でも手が届かなかったのが、パラリンピックの金メダルだった。

上地結衣選手:12年かかりましたし、まわり道もたくさんしたと思うんですけど、でも決して無駄な時間は一つもなくて、出会うべく人に出会うべき時に出会って、一緒に進んできてくれたからこそ、今があるっていう風に思うんですね。

ドキュメンタリー映画のナレーション:車いすテニスプレーヤー・上地結衣。6年連続、世界ランキング2位。

上地結衣選手(映画より):負けるのがすごい嫌なんですよね。負けるっていう、それが本当に悔しくて。

今年10月に上映された、上地選手が金メダルを目指す3年間を追ったドキュメンタリー映画。そこには、数々の人のサポートを受けて成長していく彼女の姿があった。

上地結衣選手:自分が一生懸命、そこ(目標)に向かって突き進んでいってたら、どこかで必ず、同じ方向を見て向かってくれる人はいると思いますし、そういった人たちとの出会いがやっぱり自分のかけがえのない時間を作ってくれると思うので、 メダルを獲得したことによって、やっぱり皆さんにお会いできる時間を与えてもらっているなという風にも思います。

■幼少期から「やってみないと分からないという気持ちがあった」

多くの人が訪れた10月の凱旋試合
多くの人が訪れた10月の凱旋試合

そんな上地選手を一目見ようと、10月20日に行われた凱旋試合には、多くの人が訪れた。

吉原功兼キャスター:(車いすテニスを)始めたいっていう子もきっと増えるでしょうし。

上地結衣選手:『やってみないと分からないじゃない』というのが、小さい頃から何でもやっぱりやってみたい、『できるかどうかは自分ができなくて初めて分かることだから、やらせて欲しい』っていう気持ちはすごくありました。それがスポーツでなくても、自分の好きなものを見つけて欲しいなって思いますね。

吉原功兼キャスター:メダルを獲ることに全ての意味があるわけではなくて、メダルをみんなに見せて、『恩返しなんだ』みたいなお話もされてたと思うんですけど、そういう時間っていうのは充分取れている?

上地結衣選手:まだまだ充分と言えるほど、実は取れていなくて。関西に帰ってきたのも本当に数日前で、それでも少ない日数の中でも、(金メダルを)見せたい人に見せることができて、 『良かったね』って本当に自分のことのように喜んでくださる、その顔が見られるのが、本当に幸せだなと思います。

■応援してくれる人の存在「この人たちに金メダルを見せたい」

上地選手を12歳の頃から応援し続けている企業も
上地選手を12歳の頃から応援し続けている企業も

上地選手を12歳の頃から応援し続けている地元の会社を、取材班が訪ねた。

シィメス 浅井哲也社長:こちらが結衣ちゃんからもらったものを飾っている部屋です。パリパラリンピックでシングルス・ダブルスと2冠に輝いたわけですけど、その記念として結衣ちゃんから直接もらったものです。

そこには、上地選手の感謝の思いがつづられていた。

シィメス 浅井哲也社長:『本当に長い間、応援してくれてありがとうございました』という、すごく胸が熱くなる思いがしました。 やっと(金メダルを)手にできた、『一緒に手にできた』という思いになりました。

上地結衣選手:全てはやっぱり、一人でも応援してくださる方がいるのに、自分が『負けたらどうしよう』とか、弱気になっていてはだめだなと思いましたし、 一生懸命、『次は勝てるよ』っていう、皆さんが信じてくださるっていう事実は変わりないので、それに向けて自分もまたがんばらないと、って。

吉原功兼キャスター:皆さんの声、言葉、励ましっていうのが原動力というか。

上地結衣選手:ずっとそうですね。この人たちに金メダルをお見せしたいと思ったので、そこがまた一つ原動力だったかなと思います。

獲得した金メダルを見せてもらった。

吉原功兼キャスター:これはすごいですね。眩しい。縁起物ですよね。すみません、失礼します。重い。いろんな思いも乗って重いし、リアルに重い、それが金メダル。

応援を力に…。素直で前向きな生き方が、金メダルに結びついたのだ。

上地結衣選手:障害を持って生まれて、人に手伝ってもらう、助けてもらう機会は健常者の人よりも比較的多いんじゃないかなと思っていて。 でも手伝ってもらう、助けをお願いするということが悪いのではなくて、ついつい日本人は『すみません』と言いがちなんですけど、『ありがとうございます』と言うようにしています。

吉原功兼キャスター:そういうメンタルというか、言葉かけの一つでもやっぱり前向きなパワーになるんですね。

上地結衣選手:自分自身も『がんばってね』って言っていただけたら、それだけでもうプレッシャーとかも全然感じなくて。 『がんばってね』って言っていただけたら、言っていただけた分だけパワーにできるので。もちろん伝えることの難しさというのも感じますけども、それよりも、皆さんとそういうプラスの気持ちを共有できたらなと思います。

(関西テレビ「newsランナー」2024年11月6日放送)

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