元日の能登半島地震で特に大きな被害を受けた地区の1つが珠洲市宝立町だ。8カ月が経っても断水が続くなど地震の爪痕が深く残る町。この町に暮らす住民たちの今を見つめた。
宝立小中学校の避難所
あの日から8カ月。崩れた家にブドウがなっていた。「あ、ブドウや、まだ食べれないんじゃない?」気づけば季節は夏の終わりになっていた。
この記事の画像(11枚)宝立小中学校にある避難所での会話。「うちも水来てない」「あそこは水きとるん?」「まだですよ」このあたりは、地震の被害に加え津波の被害もあり、依然として水道が復旧していない、早期復旧困難地域だ。
宝立小中学校の避難所で本部長を務める多田進郎さん70歳。自宅が全壊と判定され、ここで避難所暮らしを続けてきた。数カ月前に仮設住宅に入ったあとも、ボランティアで避難所の中心的な役割を担っている。
「避難所にいる人は半壊の人が多い。ただ半壊以下の人もいる」。多田さんによると、家の被害はそこまでひどくないものの、水が出ないため今も避難所で生活を余儀なくされている人もいるという。
仮設住宅の入居は順番待ち
夫婦と父親の3人家族、梶山勉さん一家。梶山さんの父が、避難所で一番の長老98歳だ。自宅の1階は高さ2メートル近くまで津波が入りこんだ。しかし、全壊判定ではないと言う。1階は悲惨な状態だが、建物が傾いていないことから『大規模半壊』と判定された。このため、仮設住宅の順番が中々回ってこないのだ。梶山さんは「これで全壊にならんげんちゃ。なあ、ばっかみたいもんやろ」と嘆いた。
多田さんは、いまだ仮設住宅に入れない人は、不満の矛先をどこに向けていいか分からないため、ストレスが溜まっているのだという。そのため、話を聞いてあげるだけで精一杯なのだと言う。
8カ月経っても水は通らず
半農半漁の暮らしを続けてきた宝立町。地震と津波でその営みは一変した。倒壊家屋が水道復旧の妨げとなり上下水道はいまだに整っていない。こうした中、避難所を出る選択をした人もいる。寺山広悦さん72歳だ。小中学校の避難所の4階に身を寄せていたが、校舎の外に設置された仮設トイレに通うことが大変で、断水が続く自宅に帰ることを決めた。
「このタンクに水入れて、1トンタンク」水は毎日知人に運んできてもらい、1トンタンクに貯めて節水しながら使っている。漁船の整備を行う作業場兼自宅は半壊と判定された。今、来ているのは電気だけ。水道はもちろん、電話回線もまだ通っていない。ライフラインが整っていない集落に住んでいるのは、寺山さんともう1軒だけ。近所づきあいはなくなった。事務所は、寺山さんと同じく地元に残った男性たちのたまり場になっている。
「消滅区域やからこんなところに金をかけるなって話になってしまっている。だから最低限のことしかしてくれないのだろう」たまり場に来たある男性の言葉だ。「東京で橋落ちていたら1カ月もかからないで直すはずだろう?」この男性は全壊判定を受けた自宅を、自力で再建しようとしている。決して後ろ向きでいるわけではない。それでも時には愚痴を言いたくなるという。寺山さんもつぶやく。「水道も8月いっぱいでほぼ100%にするって言ったけどできなかった」そして発せられたのは「とにかくダメ。ここあと10年すれば住む人いなくなるよ」という言葉。
5年ぶりの盆踊り会
珠洲市の30代や40代の人口はこの1年で3割減った。避難所となっている宝立小中学校も、子どもたちの数は66人から36人に減っている。8月15日の旧盆の日。宝立町では盆踊り会が行われていた。開催は実に5年ぶりだ。
「地震でバラバラになったけど、宝立町民がまた一体感もってやれるようになれば」と多田さんは、盆踊り会を開いた理由を話してくれた。この日は、仮設住宅に入った人や、遠く離れた場所へ2次避難した人なども集まっていた。地震前の町に戻ったかのような活気だ。
避難所を移すという決断
夏休みが終わりに近づいたころ、仮設住宅の1つが完成し、一気に14人が宝立小中学校の避難所を後にした。「多田だけど、宝立公民館て水道使えるんけ?」多田さんたちはある決断をしていた。「どうやった?」多田さんは、宝立公民館に水道業者を呼んで、水漏れがないか見てもらっていた。問題はないようだ。多田さんたちは、断水が解消した公民館に避難所を移すことにした。
避難所に残っているのは24人。公民館に移ることについて、しょうがないと言う声や、いずれは出なきゃならないからと理解を示していた。それでも気持ちが追い付かないという人もいる。仮設住宅の入居が決まったという人もいたが、実際に入れるのはまだ1カ月後なのだという。
避難所を移す理由について、多田さんは「60人の在籍の子どもたちのうち今30人しかいない。子どもたちにとっても地域にとっても『あ、学校が元に戻ったのか』となれば、宝立の町が少しずつ前に向かっていると言うことを伝えられるんじゃないか?」と話した。
住民それぞれの生活再建
半壊の自宅で生活する寺山さん。2月に頼んだ屋根瓦のふき替えがようやく始まった。半壊の自宅を少しずつ直しながら、この場所で仕事を続けるつもりだ。「家はここしかないし。新たにまた建てるというわけにいかんし。まあ何とかしのいでいけるからいいかって」
ひと家族ひと家族、被災の程度も生活再建のスピードも違う中、地域の現状をひと言にまとめる事は難しい。そんな地域をまとめる多田さんが大切にするのは1人1人と顔を合わせじっくりと話しをすることなのだという。1人1人の声に耳を傾けていくことが、町の再生につながると多田さんは信じている。
(石川テレビ)