各地に甚大な被害をもたらし、大きな爪痕を残した7月の大雨から1カ月がたった。山形県内では、この大雨で3人が犠牲となり、ある集落は1メートル以上の土砂に埋まった。あの日、私たちの“当たり前の日常”が奪われた。

1カ月たった今も残る爪痕

8月26日午前8時、山形・新庄市本合海の市道では、近くに工業団地があるため比較的多くの車が行き交っていた。

のどかな田園風景が一変した
のどかな田園風景が一変した
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ちょうど1カ月前の朝、この市道の周辺には信じられない光景が広がっていた。

7月25日の夜、氾濫した川の流れが市道にも押し寄せ、車3台と救助要請を受けて向かったパトカー1台が流され、ともに20代の警察官2人が亡くなった。

道路脇には流れ着いた木々が残されたままになっている
道路脇には流れ着いた木々が残されたままになっている

大雨被害から1カ月がたった市道は、車は通れるようになったが、道路脇には流れ着いた大量の木や枝が残されたままだ。

そして道路の反対側、パトカーなどが流された場所にもゴロゴロとした石を含む大量の土砂・壊れた側溝の残骸が堆積していて、1カ月前の激しい雨の跡が残っていた。

パトカーが流された現場に手向けられた花
パトカーが流された現場に手向けられた花

当時、新庄市には特別警報が出されていた。

過去の大雨で田んぼが浸水したことはあったが、道路まで水が上がったのは初めてだ。近くに住む人は「あんなことが起きるんだ」と話し、教訓にしたいという。

土砂撤去進むも生活再建はいまだ遠く

一方、7月の大雨で集落が1メートル以上の土砂に埋まった酒田市北青沢では、道路の土砂に続き、先週からは住宅の敷地内の土砂の撤去も始まった。26日も土を運び出す約10台の大型のダンプがひっきりなしに集落を往復していた。

大雨から1カ月、以前の集落の姿が少しずつ戻ってきた。しかし、生活が戻るのはまだ遠いのが現状だ。

玄関先の土砂の撤去が25日に終わったという相蘇賢一郎さん宅では、ようやく農作業小屋の泥の撤去作業に手が付けられるようになった。

相蘇さんは「道路が開通したのがほんの1週間前。道路が開通してそれから“よーいドン”、そこからがスタート。他の被災地と比べると復旧が2週間~3週間遅れている」と話す。

「一歩一歩進んでいくしかない」

住民の中には、あまりの被害の大きさと、再び同じような災害に見舞われるのではという不安から、住み慣れた土地を離れることを希望している人も少なくないという。

土砂が堆積したままの家も多い
土砂が堆積したままの家も多い

宅地を襲った土砂も、多くの家々でいまだ残っている。

この現状に対し、相蘇さんは「先は見えない、とにかく一歩一歩進むしかない。周りの人の話を聞きながら自分なりの考えをまとめて、一歩一歩進んでいくしかない」と日常を取り戻すべく前を向いている。

集落の復旧は徐々に進んでいる
集落の復旧は徐々に進んでいる

それぞれの「迷い」の中で進む復旧作業。厳しい残暑の中、集落を吹き抜ける風には少しずつ秋の気配も漂い始めていた。

県内のどこにでもあるようなのどかな田園風景の中で人命を奪い、集落にも大きな爪痕を残した7月の大雨。記録的な大雨・経験したことがない雨は、日常を“危険な非日常”に変えてしまう。日常を取り戻すべく、被災地では一歩一歩復旧が進んでいるが、改めて最大級の警戒が必要だと痛感させられる。

(さくらんぼテレビ)

さくらんぼテレビ
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