2025年は「戦後80年」の節目。世界中の戦争を今すぐ終わらせ「昔話にしたい」と語るのは、山形・新庄市の82歳の女性。戦争体験者の証言を集め、語り部の活動もする女性の「不戦の誓い」を追った。

戦争の証言を方言で語り継ぐ語り部
山形・新庄市で8月6日から開かれている「語り継ぐ戦争帰還者の記憶展」。
カザフスタンで強制労働に従事した抑留体験者が綴った絵巻物や画文集の原画などが展示されている。
そしてこの日、ひとりの女性が演壇に立った。
“民話の会”のメンバーでもある渡部豊子さん、82歳。

「戦争なんてするべぎでない」と語る渡部さんの語り口は新庄弁。
渡部さん(証言「原爆死者の片付けをして」より):
ピカッ! ドーン!
「川にはびっちり死んだ人。顔の肉が削ぎ落ちている人…地獄、地獄、あれを地獄と呼ばなければ地獄なんかない」って、言うんでしたっけ。
その話に、会場の人々はみなひき込まれていく。
手にしたのは、渡部さんが15年前に自費出版した「五人の証言集」。

渡部さん:
(証言者の娘さんは)証言集を見て、仏壇にあげて、「お父さんがこんなにつらい思いして、私たちにも言わねでいたかと思うと、何と言ったらいいかわがらね」と、仏壇の前で泣いていた。
証言を聞いておかないと、誰も実相がわからなくなってしまいますからね。

略奪・暴行…戦争の実相伝える使命託された
「大地に刻みたい五人の証言」の証言を集めるきっかけとなったのは、満蒙開拓義勇軍として旧満州に渡った叔父の伊藤清光さんの存在。
当初、清光さんは「死んでも口は割らない。お墓さ持っていく。語りたくない」と言っていた。
渡部さんが「だったら死ぬまでしゃべらずお墓に持っていけばいい」と言ったところ、「お前もほんて強情だな。んだらよ、きょうはおらだの母親の命日だ。お前に語れということかもしれないからちょこっと語るか…」と言って語り始めたのだそう。

清光さんは、日本兵が中国人を殺害し略奪を繰り返していた実態や、日本人女性への暴行を目撃していた。

清光さんが関東軍の後ろにくっついて敗走していた時のこと。
「兵隊さん、子どもを捨てるから私だけでも連れて行って」と母親が頼んだ。
すると上官が「貴様それでも日本の母親か!」と言って女性をたたいた。
女性が泣くので、「やめろ、やめろ!」と、みんなで止めた。
「生きて元気に帰れよ」とみんなでなだめ、その場に親子を置いてきた…という話などをしてくれた。

戦争の実相を伝える使命を叔父に託されたと感じた渡部さんは、その後、最上地域に住む4人の体験者から証言を集め始めた。

体験者につらいことを思い出させた葛藤も
加藤喜一さんという父ちゃんは、原爆がピカッと落とされたのを見た。
「火事になったから火消しに行け」と上官に言われ、延焼防止の家壊ししていたら、「死んだ人が道端にバタバタといたから、その人たちをまず片付けろ」と…“片付ける”だものね…。
「それから三日三晩寝ずに火葬した」「焼いても、焼いても次々と運ばれてきた」と。

加藤さんを見ると、なんぼがつらかったんだろうと。
つらいことを思い出させたなと思ったが「お前に聞かれるまましゃべって俺も良かった。ありがたかった、しゃべらせてもらって」と。

戦争を“昔話”にするために平和な国に
証言集めのかたわら、渡部さんは「民話の会」のメンバーとして昔語りの活動も続けている。
ことあるごとに、子どもたちに「平和ってどういうことか」「戦争は人の殺し合いだぞ」と語り続けなければならないと考えている。

語り部としてのきっかけをくれた叔父は12年前に他界した。
託された「不戦の誓い」。渡部さんの願いはただ一つ。
渡部さん:
戦争もこうして語っていけば、何十年後・何百年後に昔話になるかもしれないが、平和が続かず戦争になったらまた新しい戦争の話になる。
だから“昔話”になるために、二度と戦争のない平和な国になれば良いなと思う。

語り部の渡部さんも参画する「語り継ぐ戦争帰還者の記憶展」は、新庄市の雪の里情報館で開かれている。
※記載の記憶展は2025年8月17日まで
(さくらんぼテレビ)