誰もが保護されるべき恣意性の権利というのは、能動的なものに限られるのであって、あなたがどれだけ親切なことをしても「感謝される権利」といった受動的な権利は保障されたりはしないのだ。
もちろん「感謝のひとつもしろ」と主張することはできるけれど、相手があなたに感謝するかどうかを決める権利はあなたにはないのである。
「お互いに相手の気持ちを思いやって行動すれば、世の中はもっとよくなるだろうに」といったことを言う人は多いけれど、自分の気持ちを酌んでほしいと相手に要求することは、コトバでなんの説明もせず、相手にも自分と同じ行動パターンを取れと言っているに等しいのだから、これほど傲慢な態度はないであろう。
もちろん、困っている人を見ても人助けなんかしなくていいという話ではない。
あなたがそうしたいのならそうする自由はあるし、多くの人は「ありがとう」と言ってくれるだろうから、あなたもいい気分になるに違いない。
つまりそれはあなたにとって、そしておそらくほかの多くの人にとって善く生きるための方法なのだ。
ただし、あなたや大多数の人たちのそのような行動パターンと、「自分にできることは他人が助けてくれようとしても断ろう」という別の誰かの行動パターンは、どちらが優れているとか劣っているというものではないのである。

池田清彦
生物学者。現在、早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。高尾599ミュージアムの名誉館長。生物学分野のほか、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する著書がある。著書に『平等バカ』『専門家の大罪』『驚きの「リアル進化論」』(すべて小社)、『人間は老いを克服できない』(角川新書)、『「頭がいい」に騙されるな』(宝島社新書)、『老後は上機嫌』(共著:ちくま新書)など多数