そもそも「不倫」というコトバ自体がすでに非難の言葉ではあるのだけれど、他人の不倫を、道徳という武器を持ち出して非難したい気持ちが抑えられないのだとしたら、それはまごうことなき嫉妬の表れである。

だとすると、日本には、不倫願望を秘めている人が相当に多いということなのかもしれないな。

愛さない、優しくしない権利もある

我々は、他人を愛したり、他人に優しくしたり、他人を尊敬したりする権利とともに、他人を愛さない権利、他人に優しくしない権利、他人を尊敬しない権利も有している。

もちろんそれは、他人を愛さないほうがいいとか、優しくしないほうがいいということではない。

他人を愛することも優しくすることも、その人がそうしたいからそうするのであって、そうしなければならない義務があるわけではないということだ。

愛する権利もあれば愛さない権利もある(画像:イメージ)
愛する権利もあれば愛さない権利もある(画像:イメージ)

他人を愛したくないとか、優しくしたくないという権利だってあるのだから、道徳や倫理のために、嫌々ながら人を愛したり、人に優しくする必要はないというだけの話である。

例えば目の前を歩いていた人がうっかり転んで、カバンの中身が道に散らばったとしよう。

それを見たあなたがそれを拾う手伝いをした場合、転んだ人から「ご親切にありがとう」とお礼を言ってもらえれば、きっとあなたもいい気分になるに違いない。

けれども、もしその相手が「余計なことはしないでちょうだい」と言い放ったとしたら、「親切に拾ってやったのに、その言い方はなんだ?」と怒りたくなるのではないだろうか。

「人に感謝しない権利」もある

しかし、あなたに「人に親切にする権利」があるのと同様に、相手にも「人に感謝しない権利」もある。怒りたくなる気持ちもわからなくはないけれど、本当のことを言えば、相手は非難されるようなことは何もしていない。