この話自体がデマだという情報もあったようだが、仮にデマでなかったとしても、海老蔵と海老蔵の家族が、奥さんが亡くなったあとに何をしようが、彼や彼の家族の自由であり、他人がとやかく言う話ではない。

もちろん海老蔵が本来立つべき舞台を放り出して遊びにいったというのであれば話は別で、舞台の関係者とか、その日のチケットを買っていた人には彼を非難する権利があるのかもしれない。

しかし、海老蔵は自分のプライベートな時間にプライベートな行動をしただけで、誰にも迷惑などかけていない。つまり、他人の恣意性の権利の侵害など一切していないのだ。

そもそも、他人のプライベートな行動にあれこれ意見してコントロールする権利なんて誰にもないのだけれど、こういう意見を主張する人はまさに道徳を守るために生きている人であり、その人の頭の中には道徳を守ることこそが人として正しい道なのだ、という偏見が染みついているのだろう。

他人の不倫批判も嫉妬の表れ

特に日本では、世間一般の道徳や常識に逆らう行動を非難する言説に対して文句を言う人はほとんどいないので、「正義の味方」願望も満たされやすく、言っている本人たちはいいことをしている気分に浸っていられるのかもしれないな。

だから政治家や芸能人などの不倫も激しいバッシングにさらされるが、まったく赤の他人の不倫など、バッシングしている当人には本来なんの関係もない話である。

例えば政治家の不倫旅行に税金が使われたという事実があるのなら、もちろん納税者としてその事実を批判する権利はある。しかし、不倫という行為自体を第三者が批判する権利はないと思う。