青いヘルメットで働く受刑者たち
愛媛県今治市。瀬戸内海の穏やかな海に面した場所に「新来島どっく大西工場」という造船所がある。東京ドーム8個分の敷地内には、人が100人以上並べる大きさの鉄の塊(船の部品)が様々な形に仕上げられた状態で、あちらこちらに置かれている。
ドックには、建造中の大型自動車運搬船の船体があった。LNGを燃料とする最新型の自動車運搬船だそうだ。
この記事の画像(8枚)日本の造船業は、いま中国や韓国というライバルと熾烈なバトルを続けているが、ここ最近は資材の高騰、生産人口の減少に伴う労働力不足で、やや苦境に立たされていると聞いた。
この工場に働く1000人のうち、約三分の一がフィリピンなどからの外国人労働者だという。
現場で働く作業員はみんな黄色いヘルメットをしているのだが、その中に数人だけ、青色のヘルメットをつけた作業員がいる。彼らは、松山刑務所に収容されている受刑者だ。
手錠や腰縄もない。監視する刑務官はついているが、作業場には塀や柵などは一切ない。ここは、開放型刑務所。塀のない刑務所、松山刑務所大井造船作業場だ。
昭和36年に設立されて以来、常時10人前後の受刑者が従事している。一般の刑務所のように高い塀がなく、民間の作業場において一般社員と共同で作業を行っているのが特徴だ。
法務省は、このような環境を作ることで、受刑者の自律性、社会性を育成し、健全な社会人として社会復帰させることを目標としている。北欧ではすでに充実している、受刑者の社会復帰をどう支援していくのか、について日本は遅ればせながらようやく具体的な検討が始まった。
懲役刑・禁錮刑を廃止し拘禁刑に一本化へ
転機となったのは、2025年6月から懲役刑・禁錮刑が廃止され、拘禁刑に一本化される法改正だ。117年間続いてきた刑法が、“懲らしめ”より受刑者の“更生”に力点を置いた、大きな転換点を迎える。
これまでも出所者の更生に向けた支援は様々な形で行われてきた。その1つが、日本財団が法務省の協力を得て立ち上げた職親プロジェクトだ。
2013年にスタートして以来、参加企業は422社にのぼり、これまでに760人が雇用され、社会復帰の支援をしてきた。しかし、支援するなかで浮き彫りとなった課題が、社会復帰までの準備不足、更生意欲の欠如だった。塀のなかで隔離された生活から突然社会に放り出されて戸惑うケースが多く、ゆるやかな社会復帰ができるような新たな取り組みの必要性がポイントとなっている。
日本財団の笹川陽平会長は、「2022年中、刑務所や少年刑務所の新受刑者数は約1万4500人。男性新受刑者の約35パーセント、女性新受刑者の約51パーセントの罪名は窃盗。刑期も男性新受刑者の54パーセント、女性新受刑者の65パーセントが2年以下。もちろん被害者へのケアと理解は必要だが、受刑者の社会復帰への支援を高めることで、再犯が減れば、その分犯罪数が減るため、よりよい社会の実現につながるのではないか」と受刑者への支援を呼びかける。
北欧をベースとした日本版開放型刑務所の在り方、受刑者の社会復帰に向けた準備期間をどう設けるか、などを話し合う研究会が2024年6月に発足した。日本財団の呼びかけでアーティスティックスイミングで日本や中国で代表監督を務めた井村雅代さんたちや検事総長だった林眞琴弁護士らが研究会に参加、視察先として冒頭に紹介した開放型刑務所の代表例、大井造船作業場が選ばれた。
全国の刑務所から選抜された受刑者のなかの優等生たち
塀のない刑務所、大井造船作業場では7月1日現在で、11名(内業6名、組立5名)の受刑者が工場内作業に従事していて、その他に食事洗濯等担当いわゆる経理班2名の合計13名が、刑務所の外にある造船場の敷地内にある友愛寮という塀のない寮で生活している。
年齢は20代から40代。詐欺罪や窃盗罪で刑期3年未満の者が多い。
しかも、全国の施設から候補者が選定され、何度も審査や訓練が繰り返されたあとに選抜された、いわば受刑者のなかの優等生のみが、塀のない刑務所という処遇を受けられる。
寮での生活も刑務所とは大違いだ。塀はないし、窓に格子もついていない。
風呂は、刑務所では数日に一回。身体検査も行われるが友愛寮では、基本的には身体検査もないし、風呂は毎日入れる。部屋は2人1部屋。鍵はない。書道、絵画、生け花などのクラブ活動もある。食事は、調理担当の受刑者が担当する。
毎日ミーティングが行われ、受刑者同士で反省点などをあげる。私が取材した日のミーティングでは、「トイレの床が濡れていたらふこう」などの意見がでていた。
もちろんすべてが自由ではない。寮からはでられないし、自分の部屋から出られるのは自由時間のときだけ。
受刑者の一日はこうだ
朝6時半 起床
7時 朝食
7時半 ミーティング
8時 作業開始
12時 昼食
13時 午後の作業
18時 夕食
21時~22時 自由時間
22時 消灯
受刑者を受け入れている株式会社新来島どっくの森克司代表取締役社長は、「受刑者は現場で先輩の作業員から教わり、日々作業効率を高めていて、優秀な人材として活躍してくれている」と述べる。受刑者と社員との間でも不要な日常会話はしていないが、「ありがとう」という感謝の気持ちや「助かったよ」と先輩から声をかけられたりというやり取りはよくあるという。
井村雅代さんは、「受刑者たちにとって、『君がいて助かるよ』などと声をかけられることで、他人から評価されることの喜びやうれしさを感じることができる。それこそが、開放型刑務所の社会復帰に向けたもっともよい点」だと指摘する。
2018年には脱走事件も
大井造船作業場では、2018年に20代の受刑者が脱走する事件が発生し、大きな問題となった。受刑者は寮の窓から脱走し、瀬戸内海の対岸、広島県尾道市の向島に潜伏した後、対岸まで泳いで渡り、更に逃亡し、広島市内で発見され確保された。
この事件以降、動体検知能力を有する監視カメラの設置、窓を全開できないようするなどの、再発防止策がとられている。
この脱走事件について、地元の今治市役所の総合政策部地域振興局大西支所の山田康人支所長は、「当時は騒ぎになったが、2024年現在は、友愛寮の受刑者に対して、地域が不安に感じていることはない。地元として十分な理解と協力がえられていると思う」と話す。
鬼コーチ井村雅代さんから熱いメッセージ
視察の最後の時間、井村雅代さんから受刑者へメッセージを伝える場が設けられた。
10人超の受刑者たちは全員丸刈りで、大半が20代とあって、若々しい顔立ちが多い。
井村さんは、「あなたたちは全国の刑務所から選ばれてここにきています。人から選ばれるということはとても大変なことですから、ぜひ自信をつけてください。あなた方のために多くの方が、この開放型刑務所を支えていること。充実した支援体制に対しても感謝の気持ちを忘れないでください。少し窮屈な生活かもしれませんが、オリンピックを目指す選手もドーピング検査のために毎日、数時間単位で居場所を報告しなければなりません。やるべきこと、守るべきことはきちんと守らなければなりません。」と話した。
その上で、オリンピック選手の日常について、こんなエピソードを披露した。
「五輪のアスリートたち、オリンピアンたちがどのように毎日を過ごしているかを紹介します。きのう出来たからきょうも出来るだろうと思わないこと。同じことができても成長はしていません。きょうも同じことしかできなかったと思いましょう。何か少しでも新しい何かができるように努力する。そうした気持ちで毎日過ごしていってほしいです」
約10分の井村さんからのメッセージ。張り詰めた緊張感のなか、受刑者全員が、真剣な表情で聞き入っていた。
視察を終え、研究会の委員からは、開放型刑務所の実情に関していくつかの課題点が指摘された。北欧の刑務所では自律性を高めるモチベーションプログラムなどが導入されているので、そうしたプログラム的な要素があってもいいのではないか。社会復帰に向けて金銭管理教育が必要なため、作業報奨金の一部を受刑者に管理させ、生活のために使えるようにしたらどうか。逃走事件前は行われていた地域の祭り(会社の感謝祭)への受刑者の参加を復活させたらどうか、などの意見だった。
社会復帰に向けた様々な取り組み、先端技術も駆使
日本では開放的施設は、旭川刑務所の西神楽農場(北海道)、網走刑務所の二見ケ岡農場(北海道)、市原刑務所(千葉県)、広島刑務所尾道刑務所支所の有井作業場(広島県)、松山刑務所大井造船作業場(愛媛県)、鹿児島刑務所の農場区(鹿児島県)の6か所である。
そのほかに、受刑者を刑務官の同行なしに刑務所から外出通勤させて働かせる外部通勤作業(木材加工や自動車整備など)や、刑務官の監視のもとで、刑務所の外で従事する外塀外作業(林業や除草作業など)も開放的処遇として実施されている。
社会復帰に向けた新しい取り組みとしては、日本財団が2024年2月、日本初のVR技術を活用した職業体験を久里浜少年院などで試行的に実施したほか、インターンシップの施行実施、メタバース空間を活用した企業説明・面談体験も実施されている。
琉球大学の矢野恵美教授からスウェーデンの開放型刑務所の事例が紹介された。
スウェーデンの強制保護庁のロゴは、銀と金のカギが特徴だが、銀のカギは、過去の人生に鍵をかける。金のカギは新しい人生の扉を開く、という意味が込められているという。
スウェーデンでは、開放型刑務所について受刑者が逃走する前提に対策がとられているという。2017年では63人、開放型刑務所にいる受刑者の2.5パーセントが逃走したことになる。
ただし、受刑者はGPSで位置を把握するために足輪がつけられていて、位置が特定しやすい警備体制となっているようだ(受刑者が選択可能)。
GPSをめぐっては、日本でも受刑者の位置情報の管理のため、各種端末を活用した導入が検討されている。矢野教授は、「開放型刑務所の導入にあたっての懸念は、地域の理解が得られるかどうかだという。開放型刑務所の自由度を高めると脱走のリスクも高まる。自由度を下げると開放施設の良さがなくなってしまう」と指摘する。
北欧では、犯罪は社会の抱えている問題にも関係しているとの認識があり、その解決のために受刑者に対しても支援していくという発想がある。
反省は1人でもできるが更生は一人ではできない。
日本財団の職親プロジェクトの代表で、刑務所から出所した人の雇用を進めてきた、お好み焼き専門店・千房の中井政嗣会長は、開放型刑務所の大井造船作業場を視察した。
その感想として、「もっと自由度を高めることが社会復帰のために必要だ。」と述べ、「反省は一人でもできるが、更生は一人ではできない。過去は変えられないが、自分と未来は変えられる、との信念で今後も犯罪者の更生支援を続けていく。」と力強く語った。
研究会では、2024年9月までに提言をとりまとめ、法務省に提出する予定だ。