岡山・香川のハンセン病療養所で戦時中、旧陸軍が開発していた薬「虹波(こうは)」による「人体実験」が行われていたことがOHKの取材で明らかになった。
9人死亡…旧陸軍の“人体実験”
菊池恵楓園歴史資料館・原田寿真学芸員が見せてくれたのは、「虹波」の粉末が入ったアンプル。箱の表紙には「虹波」と記載されていた。

「虹波」とよばれる薬は戦時中、人体機能の増進などを目的に旧陸軍が研究したとされている。

熊本県のハンセン病療養所菊池恵楓園では2022年、入所者を対象に虹波を使った「人体実験」が行われ、9人が死亡していたことが明らかになっている。
そして菊池恵楓園の検証をもとにOHKが調べたところ、岡山・香川の2つの療養所の虹波の使用実態が明らかになった。

菊池恵楓園歴史資料館・原田寿真学芸員は、「戦後に出された学会誌などに目を通すと、岡山の長島愛生園から香川の大島青松園で治験、臨床試験が実施されたとの記載が出てきた」と語った。
岡山・香川でも使用 逃げ出した人も
高松市庵治町の大島青松園。1947年(昭和22年)の皮膚科の専門誌で、入所者180人に虹波を使用したことが報告されている。

大島青松園入所者自治会の森和男会長(84)は、「治験をしていたのは間違いない。(存命の人が)2人か3人いる。熱がでたり体が熱くなって異常な状態になるのだろう。そういうことを(被験者は)言っている」と語る。

副作用を恐れて逃げ出した人がいるなど、虹波については、入所者の間で語り継がれていたという。青松園には、古いカルテなどの資料が残されていなかったが、園の50年史に、医師が虹波の効果などを報告した記述があった。

森会長は「あの頃は療養所の中で何でもできた時代だから、薬についても自分たちがこれはと思ったら誰に遠慮することもなかった。言うなら、入所者を使った人体実験。人権を無視した、医者の倫理としても許せないこと」と語った。

もう一つの療養所、長島愛生園で虹波が使われたことは、菊池恵楓園の50年史に記載があった。入所者自治会 中尾伸治会長(90)も他の入所者から聞いた記憶があったといい、「それはちらっと聞いたんだけど、どの人がやったか分からない」と語った。
中尾会長が調べたところ、入所者が書き残したわずかな文章が園内で見つかった。

中尾会長は「医者というよりも軍隊の影響が強い、無理やりさせられているような感じがする、新聞読んでいても、強引だったのだろう。そういうもの(資料)はやっぱり残しておいた方がいいんじゃないか」と話す。
実態を探るためにも療養所に残る資料の保存が必要だと、中尾会長は考えている。
実験には6歳の子供も
6月、熊本の菊池恵楓園は、虹波検証の中間報告を行った。

実験は1942年から1947年にかけ、少なくとも入所者472人に対し行われ、6歳の子供も含まれていた。実験中に亡くなった9人の内、2人の死因は激烈な副作用の影響が疑われている。激しい副作用があっても実験が中止されることはなかった。

菊池恵楓園歴史資料館・原田学芸員は、「医師の指示に従わなければ(入所者は)生活がしづらくなる、成り立たなくなると身に染みて感じていたのではないかと思う。ハンセン病問題の中で当事者がどのような形で具体的に抑圧を受けていたのかが今後、このような検証の中から理解されていくのでは」と語った。

また、ハンセン病問題に詳しい近藤剛弁護士は「他の病気の患者と違って人権を無視されて、尊厳も軽視されていく中で、こういうことが行われてきたことを明確にすることは元患者たちの名誉回復する大きな意味になる」「園が保管している資料をもう一回解明していく必要があるのでは」と指摘している。

国の誤った隔離政策により、長く閉ざされたハンセン病療養所で何が行われたのか…。私たちは目を背けるわけにはいかない。
(岡山放送)