元日、石川県輪島市の朝市通りを襲った大規模火災。この火災で、営んでいた飲食店を失った女性が、かほく市で店を再開させた。元日以来、192日ぶりの営業再開。輪島を愛し、輪島にこだわる女性の再起にかける姿を追った。

焼け残った店のドア

6月下旬の朝市通りを歩く女性。「ここが私の『わら』というお店の玄関です」。「わら」の店主・小路幸子さん(68)だ。元日の朝市通りを襲った大火災で、店のドアが焼け残っていた。珠洲市出身の小路さんは輪島に来て48年。小料理店の店主などを経て2021年4月、朝市通りに海鮮丼の店「わら」をオープンした。

朝市通りで焼け残ったドア
朝市通りで焼け残ったドア
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「お客さんとこんな話したな。こんな丼も作ったなとか」。スマートフォンに保存されているのは、輪島の店で作っていたブリやカニ尽くしの丼を撮影した写真だ。「お客さんが何とも言えん顔して食べる。その顔が見たいだけねん」。元日も、午後2時まで営業。片付けを終え店を離れたところで、地震が全てを奪った。「私の人生で本当に大事な大事な、とっても大事な場所でした」。

長年暮らしてきた輪島市内のアパートも、1階部分が潰れて住めなくなった。小路さんは、息子が住むかほく市に移り、みなし仮設住宅で1人暮らしをしている。「わら」の再開に向け協力を募るクラウドファンディングを、息子が2月に立ち上げてくれた。

店の再開を決意

きっかけとなったのが、あの焼け残ったドアだった。「引き戸じゃなくてドアになっていて、皆さん『まだですか?』と聞きながら入って下さった。この戸が、私に『もう一回やれ』と
言っているような気がして…」。小路さんは近くの空き店舗を借り、かほく市で「わら」を
再開することにした。一方、小路さんの再開を後押ししたドアは、公費解体で撤去された。

小路幸子さん
小路幸子さん

7月3日。少路さんは開店に向けて準備をしていた。火災で焼失した包丁は全て新調した。「全部が新品というのは初めて。手、切ったりして」。店には、小路さんの能登へのこだわりが詰まっている。醤油は輪島市の谷川醸造が製造するサクラ醤油。箸はすべて輪島塗だ。「口に入れた時の、輪島塗の良さがある。根は深いです、輪島に対しての根はね」。「輪島で最期を迎えたい」という気持ちは変わっていないという。「変わらない、帰りたいよ。帰るためにもここで頑張る」。

新店のオープン当日。小路さんは仕込み作業に励んでいた。下処理していたのは新鮮な甘えびやサザエなど。「オールスターやね。大谷翔平はどれやと思う?ヌートバーは、まだ箱にいます」。息子の将寛さんも母の再スタートを手伝おうと有休をとって駆けつけた。「母親がここに立っとることが一番。この先はどうあれ、とりあえず今立たせてあげられた事が一番うれしいかな」。

笑う門には福来る

オープン日の7月11日にも小路さんなりの意図があった。「イチイチ(1月1日)。きょうもイチイチ(7月11日)。1月1日は絶対に忘れたくない日やし。今年の初めにわらは終わったけども、きょうが『新たなわら』の記念日になる」。

午前10時に店がオープン。「2名様ね!」「はい、どうもいらっしゃいませ!」。店は活気に満ちていた。「はい、海鮮丼です」「うわー素敵、すごーい」「めちゃくちゃうまい!」。輪島の店に通っていた常連客も顔を出してくれた。

小路さんは「わら」という店名の由来について教えてくれた。「『笑う門には福来る』で付けたんですよ。辛い時ほど笑った方がいいなと。笑いたくない気持ちもあるけど、泣いてばっかりおっても進まんもん。笑いに変えていければいいなと思うね」。

(石川テレビ)

石川テレビ
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