この日、石川県は大盛り上がりだった。県勢としては出島以来25年ぶり、初土俵から7場所目という史上最速優勝を果たした大の里。一夜明け、改めて優勝の喜びをかみしめた。

史上最速の幕内優勝

大相撲夏場所、千秋楽。3敗でただ一人、首位に立つ大の里は勝てば優勝が決まる。地元石川県津幡町では200人以上の住民がパブリックビューイングで見守る中、その瞬間は訪れた。石川県勢としては1999年の出島以来、25年ぶりの幕内優勝だ。小学生時代に大の里を指導した岩脇進一さんは「大の里らしい手堅い、右差しの相撲。落ち着いた相撲だった」と目を細めた。初土俵から7場所での優勝は史上最速。両国国技館で息子の戦いを見守った父の目にも涙が浮かんだ。

石川県津幡町で行われたパブリックビューイング
石川県津幡町で行われたパブリックビューイング
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何回も優勝したい

祝賀会では、二所ノ関親方が「まさかこんな早く、この日を迎えるとは思っていなかった。よく頑張ってれた」と弟子を称えた。大の里は「小さいころからテレビで見ていた賜杯をいただくことができて、うれしかった。また何回も優勝したい」と心境を語った。

石川に帰って食べたい金沢カレー

初優勝から一夜明け、石川県に帰って食べたいものを聞いたところ、大の里は「チャンカレですかね」と地元石川のソウルフード、金沢カレーを上げた。一方、大の里が家族でよく通う津幡町のすし店「鮨正」の小山圭介さんは、「昔から知っているけどサインしてくれって言ってもしてくれなかった。『サインできる立場になったらします』と言われ、やっとサインできる立場になって油性で書いてもらって、来たお客さんみんな手を合わせて行きます」と喜んでいた。

場所中、店では大の里が取組で勝つたびに、生ビールを値引きするサービスを実施していた。優勝を決めた千秋楽の夜は生ビールを100円に。小山さんは「昔から知っているし、お店で大の里の相撲を見て、みんなで盛り上がってくれるのが僕は嬉しい」と笑顔で話した。

石川県津幡町のすし店「鮨正」
石川県津幡町のすし店「鮨正」

大の里の祖父母もお祝い

大の里の祖父、中村貞夫さんは「各大会に行って応援していました」と少年時代を懐かしみ、「負けては泣いてばかりで、それがこんなに強くなって」と嬉しそうに話した。祖母の明美さんは、幼い頃の大の里の印象について「割とひょうきんで大好きです。こんだけすごい人になってくれて一番嬉しいです」と喜びを語った。

大の里の祖父、中村貞夫さん
大の里の祖父、中村貞夫さん

玄関先では近所の人から「懸賞金や」と祝いの酒が届けられた。貞夫さんが「幕内優勝…飲みます。これだけ来るのは初めて」と恐縮していると、すかさず明美さんが「あんたが飲むんじゃないよ。息子にやらないと」とたしなめた。

7歳から始まった相撲の道

石川県津幡町で生まれた大の里。相撲を始めたのは小学1年生の7歳のころだった。父、知幸さんは「かわいらしいですよね。丸い顔してかわいらしい」と振り返る。

少年時代の大の里
少年時代の大の里

相撲を勧めたのはアマチュア相撲の経験がある知幸さんだった。その後大の里は「もっと強くなりたい」と中学校から新潟県に相撲留学した。日本体育大学では193cm、175kgの大きな体を生かして全日本相撲選手権で2連覇。大学を卒業したのは幕内優勝1年前の2023年3月だった。

大学時代の大の里
大学時代の大の里

入門したのは二所ノ関部屋

「まずはしっかりプロに行って、一日も早く関取になれるように頑張りたい」と、入門したのは二所ノ関部屋。親方は平成最後の日本人横綱として活躍した、元稀勢の里だ。「私も何回か相撲をとらせてもらったが、ものすごいものを感じた。その中でまだ荒削りな部分はまだありますから、非常に伸びしろにも期待があります」。

角界から大きな期待を背負った大の里。2023年5月の初土俵は黒星スタートだったが、2場所で十両に昇進。十両優勝こそ成しえなかったが、2024年1月の初場所で新入幕すると、いきなり11勝を上げた。

上へ上へと駆け上がって

2024年2月には、能登半島地震の避難所を訪問。石川県内灘町で被災した祖父をはじめ、ふるさとの県民に決意を話していた。「みんな頑張っているんで、また大阪場所、明るい話題を
届けたいと思います」。その言葉通り、大阪場所は11勝、夏場所は12勝で初優勝。被災地の住民も勇気づける記録ずくめの優勝となった。

一躍「時の人」となった大の里。次の目標については「最終的な目標はここではないと思っているので、ここからさらに上へ上へと駆け上がって行きたい」と力強く語った。

(石川テレビ)

石川テレビ
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