元日の能登半島地震から4月1日で3カ月、被災地の復旧が急がれている。一方、東日本大震災で被害を受けた宮城県沿岸で、街の復興に向けてワイナリーを立ち上げた、山形市出身の男性がいる。
大切にしているのは「10年、20年先を見据えること」。男性は、自身の取り組みが能登の参考にもなればと奮闘している。
震災の被災地にワイナリーを立ち上げ
山形・上山市のブドウ畑を案内してくれた佐々木道彦さん。ここで育てているのは、すべてワイン用のブドウだ。
この記事の画像(18枚)佐々木さんは「ちょうど12列目まで終わったところ」と話しながら、剪定(せんてい)後と剪定前の木を見せてくれた。
山形市出身の佐々木さんは、現在宮城に暮らし、週1回ほどこの畑に通っている。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
距離はあるが、ここに来て作業できるのは本当に良かったと思う。(蔵王の目の前で本当にきれいですね)きれいなんですよね
宮城北部の沿岸部にある南三陸町。佐々木さんは2019年、この地に「南三陸ワイナリー」を立ち上げた。醸造所は震災後、水産加工場として使われていた建物を改修。南三陸と上山で自家栽培したブドウと、山形の農家から仕入れたブドウを使い、2024年は16種類のワインを仕上げた。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
瓶を割ってしまったり、流れ的にうまくいかなかったりしたけど、だいぶ流れができてきている。きょうも1500本目標で、もう1500本瓶詰めした
作るワインは南三陸の豊富な食材と合うよう、「辛口」の味わいが基本だ。醸造を4度経験して目指す味わいに近づいているが、すべてはその年のブドウ次第。そこが面白いと話す。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
最初モタっとしすぎた、ろ過もしてきれいになったのでだいぶすっきりして、これだったら生ガキのうまみとあうんじゃないかな
南三陸は「必ず元気になる」
元々、静岡で会社勤めをしていた佐々木さんは東日本大震災の後、復興のボランティアで1年半、東北に入り、大きな決断をするに至った。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
土砂もなくなって、きれいになっていっても、にぎわいはなかなか戻らない。人も戻らない。地域に根差した新しい事業・産業ができないかと、震災から3年後に宮城に移住しました
行政による復興事業が進んでも、元に戻らない街のにぎわい。移住後、すぐには被災地との関わりを持てずにいた佐々木さんだが、2017年、南三陸でワイナリーを立ち上げるプロジェクトがあるという話が舞い込んできた。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
地域が元気になるためには、地域の産業・経済が回っていかないといけないと思っているので、この街であれば本当に海・山の食材が豊富なので、マーケティングも含めてブランド作りをしていけば、必ず元気になると思っていた
10年・20年続けることが最大の目標
プロジェクトの先頭に立つことになった佐々木さんが目指したのは、「南三陸らしいワイナリー」だ。
併設するワインショップに特産のカキの加工品を置いたり、週末に料理とワインを楽しむイベントを開いたりしている。さらに、地元の漁師の協力を得て、ワインを海に沈めて早く熟成させる「海中熟成」にも挑戦している。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
ワイン会なんかやる時にコメの生産者だったり、漁師さんだったり、あるいは畜産農家さんにも来てもらって話してもらうことができるんですけども、そういったつながりをワイナリーで作れているのかな…って感じています
元々、ワイン文化が根付いていなかった南三陸。今では、地元の人が「南三陸の土産にしたい」と買いに来てくれるようになった。土地のものを生かそうとするほど、ワイナリーに人が集い、にぎわいが生まれ始めている。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
私の使命は、被災地の一つであるこの南三陸町でしっかりワイナリーの営業を続けて、しっかり利益を出して、産業として根付くことが一番。これを10年・20年と続けていくことが最大の目標。この街にずっと残るワイナリーとして…
南三陸での取り組みが能登に役立てば
2024年1月、能登半島で大きな地震が起きた。過疎化が進む地方の街からさらに人が離れることが心配されている。そうした状況を知る中、佐々木さんは南三陸での取り組みが少しでも役立てばと話す。
南三陸ワイナリー・佐々木さん:
やはり能登も素晴らしい景色とおいしい食材がたくさんあるし、何もなくなった街でも、また新たにそういった産業が生まれて、生産者と一緒にやっているところを見てもらえば、何か今後の復興のきっかけになるのではないかと思っている
もちろん、震災から13年たった南三陸の復興も道半ば。にぎわいを取り戻し、新たなにぎわいを作っていくため、佐々木さんは長くこの街に寄り添っていく決意だ。
(さくらんぼテレビ)