火災や災害現場に対峙してきた1人の消防士が2024年3月29日に活動の一線を退いた。原動力となったのは「人のために 住民のために」という使命感。
38年に渡って沖縄県那覇市消防局に務めた消防士は、忘れることができない首里城火災など、これまでの消防士人生を振り返った。
38年間の消防士としての人生
「いま一緒に仕事をしている仲間たちもみんな真摯に消防の仕事をやってくれていて、本当に彼らが私にとっては財産」と話すのは、那覇市消防局の照屋雅浩局長。
この記事の画像(10枚)消防士や救急隊員など約100人が在籍する那覇市消防局のトップだ。
照屋さんは1985年に入庁し、消火活動に当たる警防隊や救助隊などを歴任し、3月29日に局長として最後の日を迎えた。
38年間の消防人生の中では辛い現場にも立ち会ってきた。
那覇市消防局 照屋雅浩 局長:
「クレセント(窓のカギ)に手を掛けながら亡くなっている方とか、子どもとお母さんが子どもを守るように覆い被さって亡くなっている場面とか、今でもこういった場面は思い起こしたりします」
東日本大震災では行方不明者の捜索にあたる
2011年の東日本大震災では、発生から6日後に照屋さんは県内11の消防でつくる緊急消防援助隊の隊長として岩手県に派遣された。
建物は倒壊し、余震の恐れもあるなかで照屋さんたちは行方不明者の捜索や、救急患者への対応にあたった。
那覇市消防局 照屋雅浩 局長:
「(被災者から)住所と名前を渡されてこの方がまだ見つかっていないんです。助けてくださいとかですね色々国民の声を聞く機会があった」
生涯忘れることのできない現場
様々な現場を踏み、照屋さんは2017年、中央消防署の署長に就任。その2年後の2019年、照屋さんにとって生涯忘れることのできない「現場」が訪れた。
2019年の首里城火災。類を見ない大規模な火災に全県から応援が投入され、首里城に駆けつけた照屋さんは総勢240人を超える大規模な部隊の総指揮を任された。
那覇市消防局 照屋雅浩 局長:
私が到着したのは火災が起きて1時間程度してからなんですけど正殿は非常に厳しい。なおかつ南殿北殿に延焼拡大しているという状況で 空を見たら花火のように火の粉が舞っているんですよね
既に城は炎に包まれ、城郭内は1000度を超える輻射熱と、とぐろを巻くような火災旋風で消防士たちの活動を阻み、また、風下に位置し住宅街広がる金城町の上空は火の粉が激しく舞い、いつ延焼してもおかしくない危険な状態にとなっていた。
さらに、活動を困難にしたのが城壁に囲まれた首里城特有の地形だった。
那覇市消防局 照屋雅浩 局長:
消防車両もやはりできるだけ近くに現場に行きたかったんですけど、それがどうしてもかなわずにホースを何十本も繋いで、火災は動いていますのでどんどん転戦をしないといけないんですけどあれだけ何十本のホースを移動させるのは困難を極めたんですね
いくつもの障害に直面しながらも照屋さんは「絶対消し止める」という思いで自らと隊員たちを鼓舞し、首里城火災に対峙した。
那覇市消防局 照屋雅浩 局長:
前線で活動している隊員の方が気持ちも強かったでしょうし、長期戦にもなるし、体力の配分だとか戦術の練り直しとか、そういったことも視野に入れながら指揮を行っていました。我々の仕事としてはとにかく早く鎮圧させる早く消し止める
未明の発生から夜が明けてもなお、消火活動が続くなか、照屋さんはカメラの前に立ち、当時の状況を報告した。
照屋雅浩さん(首里城火災当時):
午前2時41分頃、首里城から出火し、正殿から北殿、南殿がほぼ全焼している火災であります。現在も奉神門の方に火が迫っている可能性もあるため鎮圧状態ではありません。現在、懸命に消防隊が消火活動を実施しています
照屋さんは、「現状いま首里城がどうなっているんだってことはお伝えすることは非常に大切な事でもあるし、また、伝えることによって見ている方、首里城を愛するみなさんがちょっと落ち着いていただければなという気持ちは強かった」と当時を振り返る。
首里城火災では発生からおよそ9時間後の午後1時半に鎮火し、正殿を含む6棟が全焼した。
その一方で、けが人や周辺住宅への延焼は無かった。
照屋さんは、「歴史に残る火災、ただ気持ちだけは負けないでいたかった」「隊員もみんなそうだったと思うし、火災に負けてたまるかという気持ちはあったと思うが、なかなか勝てなかった火災でもあった」と語った。
よみがえった首里城を早く見たい
照屋さんにとって、再建が進むいまの首里城の光景は心の支えとなっている。
那覇市消防局 照屋雅浩 局長
私たち消防士職員が一番待ち望んでいるんじゃないかなと思います。最後に首里城を見てきたものとして、本当に復興したよみがえった首里城を早く1日でも早く見たいと思っています
首里城正殿の再建にあたっては、連結送水管など防火設備が整備されることとなった。
人のために住民のために
照屋さんはこれまでを振り返り「私はこんな職業に恵まれて本当に今でも心から良かったなと思っています」「人のために住民のためにやれる仕事って素敵だなと思いますし、そういう心を持った消防士がどんどん育っていく事を願っています」とインタビューを締めくくった。
「人のため住民のため」という照屋さんの消防士としての使命感は、後輩たちに受け継がれていく。
(沖縄テレビ)