5年前の沖縄・首里城火災により焼失した首里城の復元が行われているが、この事業に富山・南砺市の井波彫刻師が関わっている。沖縄の人と共に、首里城の再建を目指す職人の思いを取材した。

正殿の復元作業に井波彫刻の技術

沖縄の歴史や文化の象徴として多くの人が心を寄せてきた世界遺産の首里城。2019年に9つの施設が火災により焼失した。一夜にして焼け落ちたその姿に、全国の人々が喪失感にさいなまれた。

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その首里城は現在、2年後の完成を目指して正殿の復元作業が行われている。2023年12月には柱と梁(はり)の設置が終わり、屋根の取り付け作業が進められている。この正殿の復元に、富山の井波彫刻の技術が活かされている。

南砺市の井波地域は木彫刻のまちとして知られ、「井波彫刻」の名のもとで多くの彫刻師が活躍している。その中の一人である砂田清定さんはこの道50年以上。仏像や寺社の彫刻を得意としている。

砂田さんが担当した美福門
砂田さんが担当した美福門

砂田さんは、平成の復元でも首里城の美福門の一部を担当した。経験と確かな技術を見込まれ、正殿の復元を任された。

彫刻師・砂田清定さん:
ものすごくうれしかった。眠れなかった。込めたいのは自分の思いだけじゃなくて、(首里城は)何回も燃えて、その度に彫刻や建築をされた方の思いに寄り添ってやっていきたい。

写真をもとに可能な限り忠実に再現

2000年に首里城跡が世界遺産に登録された。第二次世界大戦で焼けた正殿は平成になって復元されたもの。今回任されたのは、正殿の顔とも言われる唐玻豊 妻飾(からはふ つまかざり)の彫刻だ。美しく細かい飾りには繊細な彫りが求められるため、まさに彫刻師の経験と腕にかかっている。

2023年12月、砂田さんは沖縄で地元の宮大工と共に下絵の制作に取り掛かっていた。今回の復元では、新たに見つかった大正時代の写真をもとに、より忠実なデザインに近づけることになっている。前回の下絵をベースに新たな表現も加えて下絵を書き上げた。

彫刻師・砂田清定さん:
細かい部分は分からないので、写真も古いし奥の方ははっきり見えないが、できるだけ近づけたい。

現在は下絵の一部を粘土原型で立体的に作り、デザインを確認する作業に入っている。

彫刻師・砂田清定さん:
図面の雲の部分を作っている。粘土はつけて木の場合は削って形を出す。その感じをつかむために最終的に彫ることを考えて。これはとても大事な作業。

砂田さんを困らせたのは「龍」のデザインだ。幾度となく龍を彫ってきたが、本州と沖縄の龍の姿は細かい部分で違いがあった。富山では目は半開きで指が3本に対し、沖縄では見開いた目で指は4本あり、体つきも違う。

琉球文化を学びながら思いを込めて彫刻

忠実に再現するために、砂田さんは琉球文化を学びながら制作にあたることにした。この日、沖縄から彫刻を監修する大学教授などが砂田さんの工房を訪れた。古写真のデジタル画像を見ながら原寸大の下絵や龍の粘土原型の仕上がりをチェックし、修正箇所を伝えていた。

琉球大学・西村貞雄名誉教授:
琉球王朝の特徴を一生懸命生かそうとしている姿勢が見える。そこに私は感心している。デジタル画像を見ながら、ここは少し抑えたほうがいいんじゃないかと具体的な話し合いができたので、きょうは非常に意味があると思う。

彫刻師・砂田清定さん:
ひと彫ひと彫にも思いはあるが、首里城再建・復活は(沖縄の)県民の方々も思っているので力になりたい。やはり勇気を与えたい。

砂田さんは4月下旬にも再び沖縄へ行き、粘土原型と下絵のチェックを受け、5月には彫刻作業に入る予定だ。
首里城の復元は全国各地で協力して行われ、正殿の彫刻は福井県でも行われているという。首里城正殿の完成は、2026年を目指している。

(富山テレビ)

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