森山総務会長の意味深な言葉

岸田文雄首相は4日の参院予算委で、4月28日の衆院3補選に合わせて解散に踏み切る可能性を問われ、「全く考えていない」と全面否定した。

実は筆者は2月15日付の夕刊フジに「4月28日選挙急浮上」という記事を書いていたので、「読みが外れたか」と思っていたのだが、翌日の森山裕・自民党総務会長の会見を聞いて「これはまだわからんぞ」と思い直した。

森山氏は前日の首相の解散否定について、「(解散しないというのは)昨日まではそうなのだと思う。昨日までは」と意味深に語った。

森山裕・自民党総務会長
森山裕・自民党総務会長
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首相は森山氏を重用しており、今回の政治資金規正法違反問題でも先頭に立って事態の処理に当たらせている。幹事長職を不仲が伝えられる現職の茂木敏充氏から森山氏に差し替えるという案もささやかれているので、森山氏の発言は要注意なのだ。

4月28日の補選は自民にとっては非常に厳しい情勢で、3戦全敗という声も出ている。衆参両院の選挙が遅くともこの1年半のうちにあるというのに、補選で3戦全敗だと普通は首相退陣だ。

自民苦戦の原因は政治資金規正補違反事件なので、補選だと「自民にお灸をすえる」ということになるが、総選挙にして政権選択を問えば「しょうがないから自民に入れるか」になるのでは、という事で4月28日総選挙案が出ている。

衆院政倫審に出席した岸田首相(2月29日)
衆院政倫審に出席した岸田首相(2月29日)

ただ筆者も4月28日説を書いたものの、この低迷する支持率を見ていると解散はなかなか難しいだろうと思っていた。だが1日から2日にかけての政倫審から予算の衆院通過までの流れを見て、永田町では早期解散説が盛り上がった。

岸田首相は開催が危ぶまれていた政倫審について突然「オレも出る」と言い出し、公開に消極的と伝えられていた安倍派幹部だけでなく追及する野党側も驚かせた。

立憲の作戦ミスと責めるのは酷

結局政倫審は公開で開催されたのだが、ここで岸田氏は予算案を自然成立させるために、衆院での採決の強行を図った。これに対し野党第1党の立憲民主党は、そもそも自民の不祥事がきっかけなのだから自民は「おりる」と見て、不信任案の連発や議事妨害などで徹底抗戦の構えを見せた。

だが他の自民党幹部は妥協に動こうとしたものの、首相本人は固く、最後まで妥協しなかった。議事妨害には国民や他の野党からの批判も多く、立憲は抵抗を途中で辞めざるを得なかった。

立憲は徹底抗戦の構えを見せたが…
立憲は徹底抗戦の構えを見せたが…

これを立憲の作戦ミスと責めるのは酷だと思う。岸田氏は早期解散カードを放したくないから予算の自然成立にこだわり、そのためには2日までに衆院通過させねばならなかったのだが、まさかそこまで岸田氏が解散する気があるなんて誰も思っていなかったからだ。

解散日程の本命は6月の会期末だ。株が上がり、実質賃金がプラスになり、デフレの終息を宣言して解散するというのが常道なのだが、4月説もまだ消えていないという事だ。

今後、岸田氏は補選3敗でおろされるのがいやなので4月28日選挙に傾き、反岸田の人たちは補選をそのままやって負けて岸田氏をおろす、と考えるかもしれない。

小池都知事の出馬はあるのか
小池都知事の出馬はあるのか

ちなみに補選の1つである東京15区には小池百合子東京都知事が出馬するという噂が以前からあるのだが、これがまだ完全に消えていない。万一小池氏が出るという事になればそれは「首相の芽があるから出る」ということなので、とんでもない政局になる。

強いリーダーだが選挙には負ける?

最近、市場関係者と話したら、「支持率が低いから4月も6月も解散はなくて、9月に岸田さんが交代というのがマーケットの見方」と言われた。

また、先週米国に行ってホワイトハウス関係者に会った元日本政府高官によると、バイデン政権で会う人、会う人、みんな「キシダは大丈夫か。倒れることはないのか」と心配していたという。

マーケットもホワイトハウスも岸田政権の先行きには悲観的なのだ。

だが永田町で岸田氏は「妙に」強い。自ら宏池会を解散して、派閥を無力化し、「大派閥に首根っこを押さえつけられている弱小派閥の首相」というくびきから逃れ、党内で主導権を握った。

政倫審に「オレも出る」と言い出して敵味方双方を驚かせ、そのすきに予算を衆院通過させて自然成立を決め、早期の解散権を確保した。

今や岸田氏は強いリーダーになった。だが支持率は極めて低いから解散したらたぶん負ける。こういう首相は初めてだ。自民党の人たちも結構みんな戸惑っている。

平井文夫
平井文夫

言わねばならぬことを言う。神は細部に宿る。
フジテレビ報道局上席解説委員。1959年長崎市生まれ。82年フジテレビ入社。ワシントン特派員、編集長、政治部長、専任局長、「新報道2001」キャスター等を経て現職。