かつて建物の断熱材などに使われていた「アスベスト」。知らず知らずのうちに吸い込み、がんを発症する人も多い。余命宣告を受けてから、同じ病気で苦しむ患者たちと励まし合い、生きる希望を持ちたいと活動を続ける男性を追った。

■ある男性との出会い…患者の未来のために

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2018年4月、名古屋で行われた、同じ病気で苦しむ患者や家族の交流会。

右田孝雄さん:一つだけお願いがあります。僕より先に死なないでください。僕は死ぬまで元気ですから

右田孝雄さん(59歳)は2016年、アスベストが原因とされる特有のがん「中皮腫」で、余命2年と告げられた。 断熱性が高く、耐久性に優れていることから、かつては“奇跡の鉱物”と呼ばれたアスベスト。駅や学校など、私たちの身近な建物にも多く使われたが、発がん性が問題となり、2004年に原則使用禁止に。 中皮腫はアスベストを吸ってから発症するまで一般的に数十年潜伏することから、今も年間1500人以上が亡くなっている。 右田さんは、同じような境遇に苦しむ患者のもとを訪れて不安を分かちあい、励まし合っている。きっかけは、一人の男性との出会いだった。

■「余命1年」と言われた中皮腫患者 「患者の力に」全国回り活動

栗田英司さん:(中皮腫で)余命1年と言われて、結局、再発を繰り返しながら4回手術して今日まで生きているので。余命1年といわれてもそんなにくじける必要はないと思いますね

栗田英司さんは、余命宣告を受けてから20年近く生き続け、「患者さんの力になりたい」と、右田さんと共に全国各地を回った。 がんが肺や肝臓に転移しても、入退院を繰り返しながら、できる限りのことをやり続けた。

栗田英司さん:僕は残された命は短いかもしれないけど、自分の家族、友達、日本とか地域社会のために、アスベストという問題に対して自分が今できる最善のことは何かといったら、この活動しかないわけですよね

栗田さんと右田さんは、治療法が少ない中皮腫の医療体制の充実を国に要望するなど、“患者の未来”のために動き続けた。

■「治らなくても満足できる生き方」 同志の遺志を継ぎ患者と交流続ける

栗田さんの体調は日に日に悪化していったが、それでもできる限り患者たちの集まりには参加した。

栗田英司さん 2019年4月:私たち一人一人の闘病生活は本当に大変です。苦しい毎日を送っている。それは本当によく分かります。“治らなくても満足できる生き方”…私は、いつも思っているのは、今を懸命に生きる。自分のやりたいことをやる。それでも自分のためだけに生きるのではなくて、他の人たち、これからの中皮腫患者を助けるための何らかのご協力をお願いしたいと思っています

「他の患者を助けるため」、そう話した栗田さんは、この2カ月後に亡くなった。

右田さんは、栗田さんの遺志を継ぎ、新型コロナの流行で直接会うことが難しくなっても、オンラインで全国にいる仲間とつながり続けた。そんなある日、栗田さんのお墓がある霊園に右田さんの姿があった。手を合わせ、栗田さんに語りかけた。

右田孝雄さん:栗ちゃんのいない間、こっちも必死こいて頑張っているけど、まだまだそっちに行くことはできません。やることがたんまりありますから。栗ちゃん、頑張るので見守ってください

そして2021年11月。およそ2年ぶりに開催された交流会では、全国各地から患者や家族が集まった。

中皮腫患者:岐阜から来た平田です。いつもZoomでしかお顔を拝見できなかったので、今日は本当に楽しみに来ました
中皮腫患者の妻:私は2週間前に主人が亡くなりました。今日は全国から皆さんが来られるということで、私も前向きに明るく生きていきたいので

参加者は皆、笑顔で、笑いが絶えない、明るい会となった。

中皮腫患者:こうやって右ちゃんがやってくれているのがね…
右田孝雄さん:いや、僕がやっているんじゃない。みんなで一緒にやっている
中皮腫患者:栗ちゃん亡き後、右ちゃんがやって。ストーリができている
右田孝雄さん:僕より先に死んだらあかんって言っているやん。あの世に行ったら、罰金もらいに行くから

 “明るく前向きに”。そう思って生き続けている右田さんだ。

■「笑っていることで、力をもらえる」

余命宣告を受けた日から7年が過ぎ、長年の夢が一つかなった。 2023年9月。大歓声が沸き起こった甲子園球場で、右田さんは最高の笑顔を見せた。「阪神優勝するまでは死ねない」と言っていたが、願いがかなったのだ。

右田孝雄さん:(優勝した)9月14日以外(席を)取ってなかったから、ほんまに奇跡。阪神優勝するまでは死なれへんとか言っていて、優勝した時に現場に立ち会えた喜びはひとしおですよね。ほんま良かった。『諦めなかったら夢って達成するんだな』って思った。ほんまに奇跡

 しかしその3カ月後、右田さんは呼吸をするのも苦しい状態になった。

和歌山労災病院 細 隆信医師:写真見たけどね、あんまりあなたには見せたくないんだけど。肺内の腫瘤が出てきたのと、こっち側がひどいことはひどい
右田孝雄さん:先生の中では、ここに2カ月後に来られる確率は何パーセントですか?
和歌山労災病院 細 隆信医師:2カ月間の期間でどれだけ大きくなるかやな。おそらく右肺はもう全滅してるかもしれんな

診断結果は思っていたよりも厳しいものだった。

右田孝雄さん:この階段だけでもあかんね。わずか十数段の階段でも息切れしちゃう。着実に(病状が)進んでいっているのを見て、これあかんねんや、ってね

18日後、右田さんは意識を失い救急搬送された。ICUで治療を受け、何とか一命を取り留めた。

右田孝雄さん:やっとリハビリができるようになりましたが、心拍数が140ぐらいあるのでしんどい。動きに制限があるので、なかなかやりたいことができませんね

片方の肺がほとんど機能せず、退院しても以前のように生活することは難しくなった。車から降りるのも、わずかな距離を歩くのにも介助が必要だ。

右田孝雄さん:まさかこれだけ筋力が落ちていると思わなかった。ちょっとスピードが早すぎるなって感じ。無理に長生きしてしんどい思いするんだったらね。娘と息子と話ができて、家族と話ができたらいいかなと

■「ここでストップってわけにはいかん。栗田英司さんに怒られる」

そう話した翌日。右田さんは、患者や医師たちの意見交換会に参加していた。体調が悪い中でも、仲間のために動き続ける。

右田孝雄さん:他の患者さんといろんな話ができる。しかも皆さん笑っているんですよね。笑っていることで、力をもらえる。不安を取り除けるというのは、患者団体として必要ではないかと思って私はずっとやっているんですけど

2020年代後半から2030年代に、患者数がピークを迎えるともいわれる中皮腫。仲間と共に、最後まで戦う。

右田孝雄さん:これまでやってきたことは、ここでストップってわけにはいかんし。僕の使命だと思っているし、ここでストップしたら栗田英司さんに怒られる。そのためにみんな僕を長生きさせてくれていると思っている

(関西テレビ「newsランナー」2024年2月7日放送)

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