鹿児島・吹上浜で市川修一さんが北朝鮮に拉致されたのは1978年8月。45年以上の歳月が過ぎた今、関係者の高齢化が進み、風化が懸念されている。そんな中、2023年12月、政府主催の拉致に関する作文コンクールで鹿児島・薩摩川内市の女子中学生が最優秀賞を受賞した。

ある中学生が感じた「当たり前」の大切さ

「『ただいま』『おかえり』そんな何気ない会話さえできない家族が私の近くにいる」こんな書き出しの作文。書いたのは薩摩川内市・祁答院中学校3年、羽島奈穂さん。北朝鮮による拉致被害者家族への思いを綴ったものだ。

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羽島さんの作文:
母の手料理を食べる、兄弟と遊ぶ、そんな当たり前のことができない。我が身に置き換えると、ぎゅっと胸が締め付けられた。

同じ吹奏楽部の友達2人は「優等生みたいな感じ」「真面目だけど、なんか抜けているところも(笑)」と羽島さんの印象を語る。

そんな羽島さんが拉致問題に興味を持ったのは、先生の推薦で、拉致問題を学ぶ中学生のサミットへの参加が決まったことがきっかけだった。

「『何も知らずにいくのは(ちょっと)』と思って、自分でノートにまとめたりして、関心が深まったというのはあります」と話す羽島さんにノートを見せてもらうと、資料などで調べ上げたことがびっしり書かれている。

台風の影響でサミットには参加できなかったが、拉致への関心を深めた羽島さんは「当事者の声を聞きたい」と、2023年8月、鹿児島・鹿屋市に住む拉致被害者家族、市川健一さんの自宅を訪ねた。

拉致被害者から語られる言葉の重み

父親が撮影したビデオに、羽島さんと市川健一さんのやりとりが記録されている。健一さんは「素直な子で、兄ちゃん兄ちゃんって」と、弟・修一さんの思い出を語った。その表情は穏やかだったが、2002年9月、健一さんは記者会見で声を震わせていた。

拉致被害者・市川修一さんの兄健一さん(2002年9月の会見):
両親が高齢なんです、心配なんです!どのように伝えていいかわかりません。

1978年8月12日、健一さんの弟・市川修一さんは日置市の吹上浜近くで、増元るみ子さんとともに北朝鮮に拉致された。

2002年9月、当時の小泉純一郎首相が北朝鮮を訪問、金正日総書記(当時)と会談した。拉致の事実を認めた北朝鮮は日本側に、拉致被害者5人が生存していると伝え、5人はその後、帰国。しかし市川修一さんは「死亡」と伝えていた。

それを受けての健一さんの会見。当時存命だった父の平さん、母のトミさんは、鹿児島の実家で、テレビのニュースを通して息子「死亡」の情報を知った。

拉致問題が解決を見ないまま経過した歳月。羽島さんは市川さんから当時の話、今も続く苦悩、修一さんへの思いなどを聞いた。

「修一さんが帰ってきたらどんな言葉をかけたいですか」という羽島さんの問いかけに「どんな言葉をかけるだろう(笑)?」と健一さん。「おかえりかな…衆一はいつも『兄ちゃん兄ちゃん』と言っていたからね。『兄ちゃんただいま』(と言う)かな。『おかえり』と言うしかないのかな」健一さんの妻・龍子さんが「聞きたいですね。『ただいま』というのを聞きたい」と続けた。

祁答院中3年・羽島奈穂さん:
本人から聞くのは言葉の重みが違う。心が本当に痛むってこのことなんだと思ったり、涙が出そうになったり。私に何ができるんだろうとか複雑な気持ちになりながら聞いていた。

託されたバトンが広がりを生む

15歳の羽島さんは、自ら学んだ拉致問題を1,200字の作文にまとめた。題名は「市川さんに託されたバトン」だ。

左から2番目が羽島さん
左から2番目が羽島さん

この作文は政府拉致問題対策本部主催の作文コンクールで、全国3,500点を超える応募の中から中学生部門・最優秀賞を受賞。12月に東京で開かれた、拉致被害者家族らが参加するシンポジウムで作文を朗読した。

修一さんのお母さん
修一さんのお母さん

羽島さんの作文(題名「市川さんに託されたバトン」):
修一さんは初給料でお母さまに大島紬の着物をプレゼントしたが、拉致が起き、一度も袖を通すことなくタンスに眠ったままだという。お母さまは「修一が帰ってきた時、これを着て出迎える」と言われていたが、かなわぬまま亡くなった。ご夫婦のお話に、私は大きく心を揺さぶられた。

羽島さんは「とにかく伝われ、という思いと、自分の気持ちを込めて(読んだ)」とシンポジウムでの朗読を振り返った。そして「市川さんに『修一のことを書いてくれてありがとう』と言われた時に、まだ終わりではないけれど、ちょっと自分も役に立ててよかった」と話した。

実はこの日、市川健一さんは会場で羽島さんの作文を聞いていた。その時の感想を「何回も練習したと思う。それが私たちの心の中にスムーズに入ってきた。熱心に訴えるその姿が今でも忘れられない。若い世代の人たちが拉致問題に関心を持ってくれることは本当にありがたい」と話した。

この出会いがきっかけで、羽島さんが通う祁答院中学校では、市川さん夫婦による講演会も行われ、友達も拉致問題に興味を持つようになった。

羽島さんの友人・宮坂薫子さん:
(拉致問題を)色々な人に広めたいなと思ったし、色々な人と一緒にこの問題について話していきたいなと思った。

羽島さんの友人・寳満美羽さん:
署名活動している時があったら、私もぜひ署名したいと思った。真穂ちゃん(羽島さん)からもらったバトンを、もっと他の人にも渡したいと思った。

祁答院中3年・羽島奈穂さん:
自分から友達に、友達から他の人にと、なっていけばうれしい。自分にできることはすべてやっていけたらと思います。

拉致を知らない世代として、市川さんからのバトンを受け取った羽島さん。作文は次のように締めくくられている。

羽島さんの作文:
市川さん夫妻から託されたこのバトン、今度は私が皆に広く伝え、渡す番だ。今度は私が皆に広く伝え、渡す番だ。「皆の人権が尊重される当たり前の日々を願い、命と、何気ない日々に、感謝しましょう」と。

一日も早い解決が望まれる拉致問題を風化させないために…。そのバトンは、次の世代に、確実に受け継がれている。

(鹿児島テレビ)

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