歌手の八代亜紀さんが2023年12月30日 肺炎のため亡くなった。73歳だった。八代さんが生前、絵画の師と仰いでいた静岡市の男性が、八代さんの人柄や絵画に対する思いを語ってくれた。子供やお年寄りがわかりやすい写実的な絵が好きで、徹夜で描くこともあったという。

約30年間指導 徹夜で描くことも

八代さんは21歳で歌手デビューし「雨の慕情」で日本レコード大賞に輝くなど、「演歌の女王」として心に残る名曲を残してきた。2023年9月から膠原病の療養を続け、12月30日に肺炎のため亡くなった。73歳だった。

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画家としても高く評価された八代さんが師と仰いでいたのが静岡市葵区に住む画家の市川元晴さんだ。市川さんは、世界最古の美術展とされるフランスの「ル・サロン美術展」で銀賞などを受賞し、ル・サロンの永久会員になっている。

画家・市川元晴さんは「その前から危ないとは聞いていたものの、まさかまさかで残念でしたね。未だに信じられないですね」と、八代さんの死を悼む。
八代さんとの出会いは1995年で、今から30年ほど前だ。本格的に絵の勉強をしたいと考えていた八代さんが、静岡市の隣の焼津市に飲食店を出したことがきっかけで共通の友人を通じて知り合った。

月に2~3回 東京や箱根の別荘のアトリエで教えた。市川さんは芸能人に絵を教えるのは初めてで「すぐ飽きるだろう」と思っていたそうだが、八代さんは「こんなに絵が好きで、描くのが幸せな人はいないのでは」と市川さんが驚くほど熱心だったという。絵を描くことにワクワクしていて、会った途端に「先生 描こうよ」と誘い、夜を徹して朝まで描いていたこともあるという。

子供やお年寄りにわかりやすい絵を

八代さんが好きだったモナリザ
八代さんが好きだったモナリザ

八代さんは写実的な絵が好きだったそうだ。展覧会にきた子供やお年寄りにわかりやすい絵、例えばネコの作品なら見た子供が「抱きたい」と思うようなものを描きたいと言っていたそうだ。ダヴィンチが好きでモナリザの模写をしたり、ルーベンスなどの過去の歴史ある絵を何度も模写したりして勉強した。

制作活動の節目にしようと展覧会への出展を持ち掛け、八代亜紀さんを誰も知らない海外の美術展に出展した。市川さんも出展してきたフランスのル・サロン美術展だ。八代さんはこれまでに入選が5回、銅賞にも輝き永久会員になった。自分の小さい時をモチーフにした「想い出」が最初の入選作、自画像を描いた「時は流れて」という作品が銅賞受賞作だ。

故郷の果物を気さくに振る舞って

バンペイユの皮をむく八代さん
バンペイユの皮をむく八代さん

箱根のアトリエでは八代さんが地元・熊本で採れた果物を振る舞うこともあった。晩白柚(バンペイユ)という大きな柑橘系の果物で、「ほら先生すごいでしょ。世界チャンピオンだ」といって皮をむき、配っていたそうだ。飾らない人柄がしのばれる。

最後の指導は2023年8月。箱根のアトリエで2人で並んで油絵を描いた。ふだんはひとりで部屋にこもって描くことが多いが、その時は描きながらずっとしゃべり続けて大笑いをし、あまりの笑い声に他の人がアトリエに上がってきたほどだったという。
12月の広島の個展を控え、9月下旬に指導の予定をいれていたが、検査入院のためキャンセルになった。

八代さんは本業の歌の活動も充実していたようだ。毎年8月29日の八代さんの誕生日にニューヨークでジャズの舞台をしていたが、「あと10年、何だったら20年(頑張る)。死ぬまでやるんだ」と話し、市川さんは「人生の中で今が一番よかったのではないかな」と振り返る。

棺に筆と手紙「ずっと描き続けてね」

2024年パリで開かれる美術展の表彰式を楽しみにしていた八代さん。1月8日に執り行われた葬儀では安らかな表情だったという。市川さんは棺に筆と手紙を入れて最後の別れをしのんだ。

画家・市川元晴さん:
棺桶を見ても全然信じられなかったですね。なんにも変わらないですよ、奇麗なままでしたね、穏やかで。まさか、こんな急に。完璧で、こんな優しい人いなかったですね。誰に対しても優しかったですね、裏表が全くないですね

市川さんは「ずっと向こうでも描き続けようね。向こうでもみんなのために歌っていてくださいね」と、妹のように親しくしてくれた八代さんに話しかけた。

(テレビ静岡)

テレビ静岡
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