八代亜紀さんの訃報から一夜明け、八代さんと親交のあった地元・八代市の人たちには悲しみが広がっている。
その歌声に心を動かされ、時に励まされた多くの人が、在りし日を偲んだ。
児童福祉施設で支援続けた八代さん
ハスキーで艶やかな歌声を響かせる、八代亜紀さんにはいつも哀愁が漂っていた。
しかし、ふるさとでファンに見せてくれたのは、気さくな人柄があふれ出る優しい笑顔だった。
この記事の画像(9枚)2023年9月、膠原(こうげん)病を発症し療養を続けていた「演歌の女王」八代亜紀さんは2023年12月30日に73歳で歌手人生の幕を閉じた。
ふるさと八代を訪れるたびに八代さんが訪ねていた児童福祉施設の八代ナザレ園の富田美智子園長は八代さんが贈ってくれたという絵を見ながら、「たぶん天国で歌っているかもしれません」と八代さんに思いを寄せた。
40年近くにわたり施設を支援してきた八代さんは2023年4月に園を訪れたときも、時間ぎりぎりまで子供たちと触れ合っていたという。
熊本地震を「風化させない」強い思い
八代市にあるエフエムやつしろは、定期的に八代さんが電話出演で近況を語っていたラジオ局だ。
八代さんが活動休止を発表した後の2023年10月には、療養中の八代さんにエールを送る特別番組を放送したばかりだった。
八代さんの番組を担当前田美紀さん:
(八代さんも)一緒に悲しんでいると思う。亜紀さんから頂いた人への感謝とふるさとを思う気持ちは番組を通して八代のみなさんに伝えていきたい、という思いを新たにしました
2016年の熊本地震のときには、約2カ月後に里帰りし、力強い歌声で被災者に寄り添った八代さんは「絶対に風化させないし、大丈夫ですからね!絶対守るから!」と、地震直後からライブ会場で自ら先頭に立ち募金活動を始め、「風化させない」という思いを込めた支援活動は現在も続けていた。
突然の訃報に、地元には悲しみが広がっている。
八代市民:
「好きだったのよね。病気も知らなくて、ショックでね」
八代市民:
「八代は八代亜紀さんがいるからみんな頑張っていける。いなくなることは八代の人にとって悲しく残念」
「亜紀ちゃんは八代の宝。ゆっくり休んで」
八代市中心部にある「キャバレー・ニュー白馬」は、デビュー前の八代さんが初めてステージに立った場所だ。
原点となった思い出の場所について八代さんは「ここからがスタート。ここから八代亜紀が生まれた。まさに八代亜紀の聖地ですね」と語っていて、キャバレー・ニュー白馬の池田信義社長は「亜紀ちゃんは八代の宝、店の宝、私たちの宝。ゆっくり休んでください。本当に八代のため店のためにありがとうございました」と話してくれた。
「ありがとう」という言葉を病床でも常に大切にしていたという八代さん。
2020年の7月豪雨ではサプライズで被災地を慰問に訪れ、被災者からたくさんの「ありがとう」があふれた。
八代さん「ちょっと幸せの声で歌う」
日本人の心にしみわたる八代さんの歌は、なんとか苦難を乗り越えようとする人々を癒やし、これからも支え続ける。
その歌の魅力について八代さんは「私は代弁者なの。毎日幸せなのね。この幸せをこの声でつらい人が聞いたときに、悲しい歌を聞いたときに、ちょっと幸せの声で歌うの。そうすると悲しい人が「もっと自分より悲しい人もいるんだ。自分のつらさは大したことないじゃん」と思ってもらえると信じているのです」と話していた。
歌を愛し、ふるさとの苦境を最期まで支え続けた八代亜紀さん。
笑顔と歌声は、勇気をもらった多くの人々の記憶の中に生き続ける。
(テレビ熊本)