一流のアスリートはどのようにして育ったのか。

7月19日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、国内外で活躍する柔道・川端龍選手、テニス・久保杏夏選手、プロボクサー・八重樫東選手らアスリートたちの教育法や自宅のルールなどを特集した。

お仕置きレパートリーは3つ

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日本人初となる3階級制覇を達成したプロボクサーの八重樫東選手。一歩も引かないボクシングスタイルでついた異名は“激闘王”。そんな八重樫選手の母・淳子さんは、八重樫選手を超える“激闘王”だった。

八重樫選手は「小さい頃は本当に怖くて。悪いことをしていないのに怯えてました。僕もすごく怒られていたんですけど、友達も悪いことをしたら怒っていた。地元では有名な母ちゃんでした」と振り返る。

しつけに厳しく、友達にも叱るほどだったといい、遅くまで遊んでいると竹刀を振り回して容赦なく怒ったりしていたため、友達からも恐れられていた。

八重樫選手が弟を泣かせてしまったときは、ローキックが炸裂。そのため、「人生で最初に倒れたのは母のローキックです」と苦笑した。

母・淳子さんに厳しくしつけした理由を聞くと「厳しくしないと効き目がない。人をケガさせたりしないように、叩いたら痛いということを覚えてほしかった」と明かす。

スタジオでは、八重樫選手が「今でも同級生に会うと『お前の母ちゃん元気か?』と聞かれる」と話し、自分の母親の存在が同級生たちの記憶に強く残っているという。

同じく破天荒な父・アニマル浜口さんに育てられたレスリング・浜口京子さんは「愛情があるから真剣に怒ることができる。お友達のことも自分の子どもだと思っているから、全力で“叱る・怒る・教える”ことができ、素晴らしい」と感激した。

そんな八重樫選手の母親のお仕置きレパートリーは3つ。

八重樫選手は「僕が悪いことをしたから」と前置きしつつ、1つ目は「柱にグルグル巻きにされること」だとし、「半日くらい家のリビングの柱に縛られたり。その状態で、(家族が)どこかに出かけることも。帰ってくるまで動けない」。2つ目の「雪が積もる外に放り出されること」は「岩手出身なんですけど、冬の雪が積もっていて寒いときにすっぽんぽんにされてバーンと家から出されてカギを閉められる」。3つ目の「窓から宙づり」については、2階のベランダから母親に足を持たれ逆さまにされると明かした。

しかし、こうした母親のしつけがボクシングにも生かされているといい、「時間を守る、ご飯を食べる、礼儀作法について、なぜそんなに言うのか?と思ったこともありますが、人として当たり前のことをしつけてもらった。ボクシングで“体重を何キロまで落とせ”と約束事がある中で、きちっと(礼儀正しさなどを)守れるようになったのは母親のおかげ」と感謝した。

番組MCの浜田雅功さんが「おやじは怒るの?」と聞くと、八重樫選手は「要所要所でバシッと怒りますが、親父は怒られる方だったので僕と一緒」と笑った。

息子の褒美のため消費者金融で…

柔道の異端児、川端龍選手。東京五輪代表の髙藤直寿選手を過去に2度も倒している。実力だけでなく、試合後のインタビューでも常に笑いで会場を沸かせるユーモアのある男。

現在30歳でどの実業団にも所属せず、決まった収入もない。柔道界では異例のフリーの柔道家として現役を続けている。

そんな彼を育てた父親は元ボクサーであり、とんでもなく怖い人物だったという。「ホンマに、大阪イチ怖い」と川端選手が語るように、子育ては超ぶっ飛んでいたという。

まず、柔道の指導法が超理不尽だった。5歳のときに柔道を始めた川端選手は、その頃から強かったという。「強い子の親がちょっとチヤホヤされるみたいな感じで、『どんな練習をしているのか?』と聞かれて、(父親が)柔道にハマって。やってないのに、柔道」と明かす。

柔道未経験の父親は、“強い人のマネをしたら強くなる”という考えて、バルセロナオリンピック柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦さんの映像などを見せ、「マネをしろ」と川端選手に訴えていたという。

しかし、川端選手が勝つたび、父親は必ずファミレスに連れて行ってくれたといい、「好きなものをなんでも食べてもいいと言われて嬉しかった」と話した。

だが、当時から支払い時に封筒からお金を出す父親の姿が気になっていたと言い、そのときは尋ねても教えてもらえることはなかった。のちに、試合に勝った息子への褒美のために、父親が消費者金融でお金を借りていたことを知ったという。川端選手は「できれば借りずに連れて行ってほしかった。毎回、(消費者金融に)寄ってファミレスに行っていたので…」と苦笑した。

ちなみに当時は、ファミレス前にどこへ寄っていたのかは分かっていなかったという。

さらに、川端選手には30年以上一度も聞けなかったことがあると明かした。それは母親の存在で、「物心つく前からいなかった。お母さんのことをよく知らない。死ぬまでに1回会いたい。顔も知らないし、写真も見たことがない」と話した。

そこで番組スタッフが代わりに川端選手の父親に聞いてみると「(30年)一度も会ってない。ギャルやね。当時、俺が33歳で相手が19歳やったから、昔のギャル。今は50過ぎくらい」と告白。

スタジオでは、番組スタッフが借りてきた母親の写真を川端選手だけに見せると、「ギャルやん!」と叫び、「お母さん、一緒に住もう!」とまだ見ぬ母親へメッセージを送った。

「虫を栄養があるから食え!」

サッカー元日本代表の久保竜彦さん。日本人離れした圧倒的な身体能力と、左足の強烈なシュートでゴールを量産した。

久保さんの私生活は野性的で、かつてチームメイトだった現在浦和レッズの槙野智章選手によると「山にこもってシカを倒す。素手でねじ伏せて倒してエサにするという話は聞いています」と明かした。

そんな久保さんの血を受け継いだのが次女・杏夏さん、16歳。現在、世界を舞台に戦っているテニス界の若き逸材。

そして、久保家の教育は超野性的だという。杏夏さんは「獣道に放置される」ことを挙げ、「家の近くの獣道に連れていかれて山をダッシュするんですけど、お父さんが早いから置いていかれる。イノシシとか出そうな場所なのにいなくなる」と話した。

久保さんに娘を置いていく理由を尋ねると「自分が先に行くことで、子どもはついてこざるを得ないから」と明かすも、杏夏さんは「自分が勝ちたいだけ」と冷ややかな目で父を見た。

さらに、「虫も栄養素」だと主張されるといい、杏夏さんは「夜ごはんのサラダに芋虫みたいなのが入ってて、『食べたくない』って言ったら、『虫も栄養あるから食え』と言われて、『食べない!』って怒って寝ました」と語る。

すると、浜田さんが久保さんに「ご自身は(虫を)食べるんですか?」と質問すると、「ムチャクチャ、お腹が空いていたら食べるかもしれない」と話し、それを聞いた浜田さんは苦笑した。

“奇跡”を起こした息子と両親の強い絆

昨年、阪神タイガースを引退した元プロ野球選手の横田慎太郎さん。2019年9月26日に、阪神2軍成尾浜球場で行われた引退試合のプレーが話題を呼んだ。“奇跡のバックホーム”と言われるこのプレーがなぜ、“奇跡”なのか。彼と彼の家族の絆に迫った。

横田さんの父は元プロ野球選手の横田真之さん。

横田さんは2014年にドラフト2位で阪神に入団し、憧れのプロ野球選手に。そしてプロ入り3年目には、開幕スタメンで一軍デビュー。将来は球団を背負う主軸になるだろうと期待されていた。

しかし、プロ入り4年目で病魔が襲う。横田さんは「左目の視界の中に黒いラインが入ってきて。見ているものがぼやけたり、震えたりして、ボールもブワーンとなって見えにくい」と当時を振り返った。

病院で診察を受けた結果、脳腫瘍だった。22歳で下された診断に、「『1回、野球のことは忘れてください』と言われたときに頭が真っ白になった」と明かした。

その後、手術は成功するが後遺症で目は見えないままだった。日常生活もままならない状態で、母親は仕事を辞めて、入院していた大阪の病院の近くに引っ越してきた。

横田さんは「半年間ずっと病院に来てくれて。母の手を借りないと何もできない。ご飯を食べるにしても、トイレに行くにしても母の手が必要。僕以上に苦しい思いもしていたので、本当に感謝してもしきれない」と明かした。

そして、抗がん剤や放射線治療により、横田さんの髪が抜け落ちていくと、息子の姿を見た父は、自分も髪を丸坊主にした。それを見て横田さんは「すごい父だと思った」と当時も今も感謝しているという。

半年間の闘病生活を終え、退院後に本格的にリハビリを開始。「もう一度野球がしたい」と育成選手として2軍に登録。しかし、モノが二重に見えるといった目の症状は治らず、昨年引退を決意。そして、横田さんの戦いを見守ってきたチームは、横田さんのために引退試合を開催した。

「うれしかったけど、3年ぶりの試合で緊張した」と振り返る横田さん。一方、母・まなみさんは「お願いだからボールが(横田さんのポジションの)センターに行かないように祈ってました」と複雑な思いで試合を見ていたと明かした。

試合は2アウト2塁一打逆転のピンチを迎えていた。すると、打球はセンターの横田さんめがけて飛んで行った。ボールの見えない横田さんがこのボールを捕ることは不可能だと誰もが思ったが、二重に見えるボールを捕り、キャッチャーめがけてストライク送球。まさかの、バックホームだった。

スタジオでは浜田さんが「こういうときに、あなたのところへ(ボールは)行くんですね」と話すと、横田さんは「いつもならはじいたりしていた。このときは、誰かに背中を押されたようにスムーズに前に行き、ボールをつかめた。ボールも見えなかったんですけど、ファンがよろこんでいて、内野手がガッツポーズしたりして、アウトって気づきました」と振り返った。

また両親に向けて、「入院中から自分以上に苦しい思いもして、何回も迷惑をかけましたけど、両親が何回も立ち上がらせてくれた。強い両親がいなかったら病気も治ってなかったし、プロ野球の世界にも帰って来れなかったので、本当に感謝している」と語った。

現在は講演活動を行っているという横田さん。今の目の調子について「だいぶ慣れてきましたが、今日も浜田さんが2人に見えて。病院の先生に治ると言われているのでそれを信じで頑張っていきます」と明かした。

そんな横田さんに、浜口さんはスタジオ中に響くほどの力強い「気合いだ!」のエールを送った。

(『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送)