メディアはこれまでスポーツ選手、芸能人、そして政治家の熱愛や不倫などの「プライバシー」を伝えてきた。

しかし、価値観も多様化する現代において、どこまでの報道が社会に受け入れられるのか。

元週刊文春記者でジャーナリストの中村竜太郎さん、社会学者の古市憲寿さん、そして元BPOの委員でメディア論などについて研究している東海大学の水島久光教授が「著名人のプライバシーはどこまで守られるべきなのか」について語った。

前編では「アスリートのプライバシーの伝え方」を議論。後編は芸能人や政治家の報道について触れていく。

「芸能人」のプライバシーの伝え方

――「芸能人の熱愛や不倫など、本人の望まないことを報じる」のは「あり」か「なし」か。3人はどう思いますか。

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古市さん、水島さんは「どちらとも」
中村さんは「あり」

古市さん:
アスリートと違って、芸能人は自分で望んで表に出ることを選んだ人だと思います。アスリートと比べると、取材や報道されることに対して、甘んじてはいけない部分もあるとは思うんです。

一方で、最近は「有名税」というものが、あまりにも上がりすぎているのかなと。昔と比べて誰もがカメラを持っていて、SNSにアップロードできる時代で、ちょっとしたことも全てが周知になってしまいすぎる。

有名になることと、それで払わなきゃいけない対価があまりにも乖離(かいり)しすぎて、エンターテインメントという世界の未来を考えると、どうなのかなとは思います。

東海大学教授・水島久光さん
東海大学教授・水島久光さん

水島さん:
「芸能人」というキャラクターはどういった存在なのかを考えたときに、つまりメディアとともに有名になった人たち、例えば「歌手」「演劇の役者さん」は、そういった切り方じゃないじゃないですか。

ですからメディアの中で有名になった人ということを考えると、ある程度メディア的な常識、習慣の中で判断されても仕方がないと、お互いに了解をしていると思うのです。

ただここも問題があって、例えばYouTuberからメジャーになっていく人もいますよね。

そういった人たちが、今のテレビを前提とした芸能人かというと違う。ネットから出てくる人で、プライバシーは隠したい人もたくさんいますし、そういったことも含めて、すごく複雑になっていると思います。

中村さん:
芸能人として人前に立つということを職業にしているわけですから、例えば、結婚に関しては「いい夫婦」「いいお父さん」「いいお母さん」のようなイメージを売っているわけですよね。

ところが、ネガティブなことになると一転、「それは書いちゃダメですよ」と、例えば事務所などを巻き込んでそういったことを伏せたり、フタをすることが概して多く見られてきていた。

私としては、それはちょっとフェアじゃない、と。離婚といったことも報じてしかるべきじゃないかなと思っています。

「政治家」のプライバシーの伝え方

――それでは、「政治家の不倫や熱愛など、政治とは関係のないことを伝える」のは「あり」か「なし」か。どう思われますか。

中村さん、古市さん、水島さん、3人とも「あり」

中村さん:
政治家は公人中の公人なので、これは本当に厳しく取材して、その結果をもとに報じるのは当然だと思います。

よく言われることは、政治家の不倫に関してはどうなんだということ。

「ネガティブなプライバシーじゃないのか」ということがありますが、その人がどういったことを考えて、日頃の生活を送っているのか、市民生活に向き合っているのかが、指標になる。ネガティブなことも含めて、政治家は報じてしかるべきだと思います。

水島さん:
政治家は基本的に公人ですので、他のさまざまな存在に比べて、取材の範囲が広くてしかるべきだと思っています。

しかも個人的な行動に関しても、有権者は政治家に対する信頼をもとに投票する部分もある。信頼を構成するものは、いわゆる公的な行動の中で何をやっているか、だけじゃなく、私的な行動でも共感を得られる、これは倫理的に問題がないなど。

そういった情報はある程度、公開されるべきだろうと思います。

社会学者・古市憲寿さん
社会学者・古市憲寿さん

古市さん:
公人中の公人なので、基本的にタブーはないと思います。

仮に不倫をしていたとしても、それを含めて次の選挙のときに、有権者が投票して当選することもあり得るわけです。そういった全部が投票のための情報になって、芸能人だったらダメな報道も政治家はあっていいと思うのです。

ただ今の時代、難しいのは、例えばセクシュアリティな部分や本人がそういったことで言っていないことに、どこまで踏み込むかはケースバイケース。基本的に、政治家は、メディアが知ったことは報道してもいいと思います。

マスメディアの伝え方

――伝える側のマスメディアは今後、プライバシーについてどう考えていったらいいのでしょうか。

水島さん:
一番考えなければいけないことは、マスメディアが決定的な強さを持っていた時代は、もうとっくに終わっているということです。

そういった時代の中で、多くの人達が自分の行動や意見を、ネットを通じて発信するというときに、ネットの向こう側にはもしかすると、それをもとに攻撃する人がいるという前提になってきているわけです。

こういったものの上に、マスメディアが乗っかっていると考えるべき。マスメディアの取材の規範も、ネットの基本も通信と同じ。互いがきちんと了解し合えるかということなので、取材をする人間も被取材者に対して了解し合えているかどうか。

あるいはその人の情報に対して、その情報がもう既に公知になっているのかを前提に取材すべきだと思います。

ジャーナリスト・中村竜太郎さん
ジャーナリスト・中村竜太郎さん

中村さん:
新しいSNSやネットメディアに関して、SNSでの話の広がり方や批判、誹謗中傷は新聞や雑誌が報じることで広がっていく。

取材する側も事実に基づいた取材や伝え方をしていかなければいけない。(そうしないと)時代に沿っていけないという危機感はあります。

古市さん:
面白くなってきていると思うのは、例えば、週刊誌から有名人に取材があったとします。そのとき、その有名人がYouTubeなどで生放送をしながら取材に答える。

週刊誌の記者と有名人の取材が、ライブで見ることができる時代になっていると思うんです。

昔のような週刊誌やマスコミが一方的に書いて、一般の人は書かれるだけのような関係じゃなく、あらゆる人がメディアを持つ時代になってきたので、その対象性がどんどん崩れていると思うんです。

そこで何が起こっていくかというと、週刊誌に書かれっぱなしじゃなくなるようなことも起こるんだけれども、一方で“迷惑系YouTuber”が代表するように、どんどんカオスになり、収拾がつかなくなる可能性もある。

そうなっていくと10年後、20年後はどうなっていくのか。楽しみでもあり、ちょっと怖くもありますね。

(「週刊フジテレビ批評」12月9日放送より
聞き手:渡辺和洋アナウンサー、新美有加アナウンサー)