メディアはこれまでスポーツ選手、芸能人、そして政治家の熱愛や不倫などの「プライバシー」を伝えてきた。

しかし、価値観も多様化する現代において、どこまでの報道が社会に受け入れられるのか。

元週刊文春記者でジャーナリストの中村竜太郎さん、社会学者の古市憲寿さん、そして元BPOの委員でメディア論などについて研究している東海大学の水島久光教授が「著名人のプライバシーはどこまで守られるべきなのか」について語った。

「公人」「私人」の区分とは?

去年11月、フィギュアスケート金メダリストの羽生結弦さんが、結婚から3カ月で離婚したことをSNSで報告した。

その中で、離婚に至った背景としてメディアの加熱取材について触れていた。

――プライバシーを報じる上で、「公人」「私人」といった区分があります。この区分が曖昧になっていることも背景にあると思うのですが、いかがでしょうか。

東海大学教授・水島久光さん
東海大学教授・水島久光さん
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水島さん:
全くそうだと思います。

よく言われるのは、「公人」と「私人」の間に“準公人”や“みなし公人”といった言い方をします。つまり「公人とみなす」というような。

それはマスメディアと一般の距離感で設定される話であって、さまざまなメディアが出てくると複雑になり、「どこまでが“準公人”か」、それぞれの立場から理解が違うという現象が起きると思うのです。

中村さん:
羽生さんがX(旧ツイッター)で声明を出されましたが、その内容はざっくり言うと、「いわゆるストーカー的なつきまといや、そういった報道があった」ということ。

それが何かということは具体的に見えなかったところもあります。報道に携わる人間としても、それがよく分かりませんでした。

古市さん:
元週刊誌の記者としても、ピンとこなかったんですか。

ジャーナリスト・中村竜太郎さん
ジャーナリスト・中村竜太郎さん

中村さん:
具体的な媒体も分からないですよね。“迷惑系YouTuber”と呼ばれるような人たちが取材をしているのかとも受け止められます。

「アスリート」のプライバシーの伝え方

――「アスリート本人が望んでいない形で、熱愛や不倫を報じる」ことについて、「あり」か「なし」か。3人はどう思われますか。

中村さん「あり」
古市さん、水島さん「なし」

中村さん:
世間の関心が、例えば競技だけであればいいのですが、それ以外の、スター選手のプライバシーが知りたい、それに共感したいという関心は、やはりあるのです。

それに応えるメディアは必ずあり、それがまったく「なし」というのは、おそらくこの流れではあり得ないのではないかと思っています。

コンプライアンスや世間の意識は徐々に変わってきていて、それに合わせて、報じ方も実際に変わってきている。

水島さん:
本人が同意してないことに関する報道は、「すべきではない」ということが基本だと思います。

一般の人たちが関心を持つのは、一般の人の勝手ですし、メディアがどういったバリューをその人に対してつけているのかも勝手ですけれども、「本人の人権」を考えたときには、本人が認めていないものは出さないのが基本だと思います。

社会学者・古市憲寿さん
社会学者・古市憲寿さん

古市さん:
本人がスポーツという能力で評価されている以上、プライバシーを切り売りするという判断をしていない以上、そこは切り分けてもいいと思います。

ただ一方で、難しいのは「法律をつくりましょう」という話も違うと思っています。「法律を作って、芸能人や有名人のプライバシーを取材するのをやめましょう」は違う話で、言論の自由に勝るものはないと思うんですね。

だから、法律で規制すべき問題ではないのです。

あとはメディア側の良識。ちょっとした配慮は、もしかしたらマスコミのみなさんはしているのかもしれないけど、「ノリで配慮しました」も何か足りない。

もう少し時代に合わせた取材の仕方や、マスコミのあり方があるんじゃないかと思います。

恩師や学友などの取材は?

――「本人の同意なしに、アスリートの恩師や学友などを取材して、生い立ちあるいは教育法を伝える」ということが「あり」か「なし」か。どう思われますか。

中村さん、古市さん「どちらとも」
水島さん「なし」

水島さん:
おそらく、“マスメディアの時代”であればそれも可能だったかもしれません。しかし、新しいメディアの時代で、どこからどう情報を探索するかが予測できない時代です。

基本は取材される中心人物、誰の取材をするか、その人の意思を中心に考えるべきだと私は思います。

古市さん:
アスリートの恩師や学友にも表現する自由があると思います。

例えば「アスリートがいました。そのアスリートと友達でした。過去、彼にいろいろなことを教えました」は事実なわけですよね。

その事実をインタビューされて答える、発信したい人がいたとして、それを果たして止められるのかというと、口をふさぐ方がその人たちの“表現する自由”を侵すことになるのではないかと思うので、その権利は第三者が否定できないのではないかと思います。

中村さん:
大谷翔平さんがこれだけの成績を残していて、本人の独占インタビューが取れればいいけれど、その伝え方ができない場合に制作側はいろいろ考えますよね。

そうすると恩師や友人にインタビューをしたりして、その人がどういった人となりだったのかを探って紹介したいというのはあると思うんです。

水島さん:
私も同意します。同意しますが、それには条件があると思っています。「その選手の出身校がここ」といったことが公知の情報になっているか。

そうすれば本人の許諾を受けなくても、その学校に取材に行くことは自由ですよね。それで学校の先生が、当時の思い出などを語りながら話す、というのは表現の自由。どこまでが公知になっているかを基準に、新しいマナーや判断が生まれてくると思います。

(「週刊フジテレビ批評」12月9日放送より
聞き手:渡辺和洋アナウンサー、新美有加アナウンサー)