JAが福井県内で開催する健康診断の健診医を務める福田優医師。地域医療の最前線で精力的に仕事を続けるが、実は国立大学の学長など要職を歴任した異色の経歴を持つ。
名誉職には就かず医療の現場に戻った理由は、70年以上前に誓った「人を病気から救いたい」という強い志があった。

元国立大学長が“未知の領域”へ

「大きく息を吸って、出して…。はい異常ありません」と、丁寧に聴診器を当てて受診者の身体の異音を探るのは、JAの健診医・福田優医師(81)だ。

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診察時間は約5分。入室の瞬間から歩き方、表情を観察し、聴診器や触診で受診者が気づいていない病気を探し出していく。

福田優医師:
腹部のいぼ、これ増えてない?

受診者の男性:
最近、増えてるな…

福田優医師:
脂漏性角化症といってこれ自体に問題はない。ただ急激に増えてくると、体の中にがんがある可能性が高いという警鐘を鳴らしているんや。だからちゃんとがん検診やっておいて

医学部教授、福井大学学長を歴任した福田優医師(左)
医学部教授、福井大学学長を歴任した福田優医師(左)

地域医療の最前線で働く福田さんは、実は国立大学法人 福井大学の元学長という異色の経歴を持っている。
学長就任前の医学部教授時代は研究が主で、受診者と向き合う臨床はまさに未知の領域だ。
学長退任後の2013年、名誉職には就かず、71歳で健診医という新たなフィールドに飛び込んだ。

福田優医師:
必ず手から見る。爪、皮膚を見るだけでもいろんな病気が分かる。わずかな情報の中から背後に潜む病気えぐり出し、専門の診療科に橋渡しをする。それが健診医の最大の任務。それには不断の知識のアップデートが欠かせないね

福田さんが10年かけて読んだ400冊を超える医学書
福田さんが10年かけて読んだ400冊を超える医学書

福田さんの自宅本棚には、400冊を超える医学書が並ぶ。10年前に健診医を始めるにあたり、臨床の知識を習得するために買い続けた。毎月3万円ほどのおこづかいは、今もすべて医学書の購入に充てている。

原動力は仕事 「勉強はエンドレス」

福田さんの1日は、早朝午前5時から始まる。

1日の勉強時間は約10時間で食事、トイレ、睡眠以外はほぼ勉強しているという。気になる症例があると就寝中でも目覚めてしまい、文献を調べることもある。福田さんは「勉強はエンドレスやね。終わることはまずない」と話す。

2023年3月、福田さんは自宅で転倒しろっ骨を骨折した。1カ月間の入院で足の筋力が衰えたため、自宅でリハビリに取り組む。筋トレを指導するのは妻・眞知子さんだ。

妻・眞知子さん:
最初は𠮟咤(しった)激励して運動していたが、今は知らない間に自分でやっている。好きなことを続けるのが本人にとって一番の幸せで、仕事をすることが夫の生きる原動力。感心はしているんですよ、言ってないけど(笑)

小学2年生で医者を志し…そして福井大学の学長に

福田さんは、1942年に新潟県の長岡市に生まれた。医者を志したのは小学2年生の時、いとことのささいなケンカが人生の転機となった。

福田優医師:
いとこが僕に向かって撃ったパチンコ玉が、隣にいた祖母に当たり、眼底出血して脳梗塞で1週間ぐらいで亡くなった。ものすごくショックだった。これが一つの医者を志すきっかけになった

2年間の浪人を経て、京都府立医科大学に入学。細胞ががん化する仕組みなどを研究する病理学に進み、同僚研究者の3倍以上の論文を執筆したという。
そして1980年、37歳の若さで、新設された福井医科大学の教授に就任した。今は温和な福田さんだが、当時のあだ名は“鬼教授”だった。

福田優医師:
一人前の医者に育てるのが僕の責任だけれども、能力のない人間を医者にしないことも僕の責任だと、必ず講義の前に学生に伝えていた。人の命を預かる訳だから、知らなかったではすまない。それだけの責任を負っているから、厳しくならざるを得なかった

「いずれはノーベル賞を」と研究にまい進する中、2003年に旧福井医科大学は福井大学と統合され、副学長に選出。そして2007年には福井大学のトップ、学長に選出された。
研究の道に戻りたいという葛藤もあったが、周囲の期待に応えるため、教職員・学生あわせて5000人を超える福井大学の運営責任をという道に進んだ。

学長時代は、国からの運営費削減の動きに反対し、自ら街頭で署名活動を展開。大学施設や病院の拡充などを成し遂げ、2013年に6年間の任期を終え退任した。

福田さんは退任後、再び医師として働きたいという意欲が高まってきたという。そんな中、復帰を求める声がかかったが、その仕事は健康診断の健診医。研究職の福田さんにとって、臨床は未知の世界だった。

福田優医師:
臨床をもう一度やってみるいい機会だと。医学は広くて深い。だから逆に闘志がわいてきたね

いつまでも医師として 「人を病気から救いたい」

医学部教授、福井大学長を歴任し、2023年に81歳になった。健診医を始めて10年。健診が終わると疲れがどっと押し寄せるという。

仕事への意欲を支えているのは、8歳の時に決意した「人を病気から救いたい」という志だ。

福田優医師:
先人が築き上げた大きな所見、知識がある。それを使って未知の病気をえぐり出すかが健診医の責任。なんぼ勉強しても足りないね

ーーいつまで医者を続ける?

全く決めていないね。自分の体が動いてやっていける限り

(福井テレビ)

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