2023年4月の大阪府知事選挙で、吉村知事は安定した強さをみせ、当選した。

当選後すぐ、吉村知事は、高校授業料「完全無償化」の制度案作成に着手する。4月に知事から、幹部職員らに共有された案は、「キャップ制」を維持し、上限を超える授業料を生徒全員分について私立高校が負担するという内容だった。

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私学課の幹部職員は6月に取材した際、「制度案について説明があったのは4月の知事選で当選された後。それまでは全ての生徒を対象に60万円を超える授業料は学校負担とは聞いてなかったので『ほんまにやるかぁ』と思った」と語っていた。教育行政のトップ橋本正司教育長も「今回においては知事の思いが強かったな」と当時を振り返る。

府の職員によると、吉村知事に対し「その制度案は、私学の経営の自由を行政が制約することになる」と直接指摘した幹部職員もいたという。しかし、知事は「それでも『完全』無償化を実現したい」とこだわった。

負担増の私立高校側と事前調整なく作られた素案

維新内部では、知事選の公約に掲げるにあたって高校授業料完全無償化の制度案は議論されたのだろうか。4月の大阪府知事・市長選、大阪府議・市議選において、維新を圧勝に導いた大阪維新の会・選対本部長の森和臣大阪府議は8月に取材した際、当時を振り返り「僕には相談はないよ。ほかの議員にもしていないと思う」と語った。

上限を超える額をすべて私立が負担する案について、知事から維新の議員に事前に共有する必要性を、当時を振り返って感じますかと質問すると森議員は「そんなんならへん。全然ならへん。ここは知事との信頼関係やね」と答え、「完全無償化に踏み切ったのは選挙公約やっていうこと。もうこれしかない。選挙で選ばれたトップの吉村知事が判断することやし、僕たちも過半数の議席をもらったんやから、僕たちも判断する。これはすごく理に適っているよ」と語った。

吉村知事が職員に構想を共有した後、その構想をベースに私学課の職員が中心となり完全無償化の制度素案が練り上げられていったという。関係者によると、負担を求められる私立高校との事前調整は行われなかった。

私立高校の負担増となる素案の発表

そして、吉村知事が2期目の当選を果たしてからわずか1カ月後の5月9日。戦略本部会議で、高校授業料完全無償化の素案が発表された。

素案では、世帯の所得制限が撤廃され大阪府在住のすべての生徒を対象に国と大阪府が60万円までは補助し、60万円をこえる授業料については、すべて私立高校が負担するという内容だった。また、大阪府民で、京都、兵庫、奈良、滋賀、和歌山に通う生徒についても対象にするとした。

制度加入は強制ではないものの、現行の制度と同じく加入しない私立高校には、大阪府の授業料補助は一切支給されない仕組みだ。吉村知事は同時に3カ月後の8月中にこの制度案を固める方針を打ち出した。

この素案が適用されれば、私立高校側の負担は、所得制限のある現行制度の9億5000万円から17億円に上がる。年間の負担が8000万円増える私立高校も出てくる。

私立高校の経営の根幹となるのは授業料だが、その上限金額を自治体が一律に決め、超える部分はサービスの提供者である高校自身が負担するという制度を導入した場合、私立高校はどうやって経営を維持するのか。

そうした質問に対し、吉村知事はこの日「これからは役所がくれる私学助成金と授業料だけで私立高校が収入を確保する社会ではない」という見解を示し、寄付金を集めるなど私学が授業料に代わる新たな財源を確保する道もあるとした。

“教育の質が低下する”素案に反発する私立高校

こうした知事の考えに対し、ヨーロッパのリーグで活躍するサッカー選手などを輩出してきた興国高校の草島葉子校長は「学校は将来の校舎建て替えなどの費用について、授業料収入をもとに長期的に計画をたてています。寄付は安定した財源ではありません。入ってくるかどうかまったくわからない、予測することができない収入をベースに予算を組むことなどできませんよ」と話した。

府内有数の進学校として知られる清風南海高校は、この素案が制度化されると負担額が年間3300万円ほどになる見込みだった。平岡正校長は「いい先生を呼んでくるには、お金がかかるんです。私立高校の経費の大部分は人件費なんですね。授業料が大阪府に統制されると、教員の人件費を削減の対象にする高校も出てくると思います。優秀な先生が府外の私立に流出するのではないかと危惧しています」と語っていた。

清風南海高校に勤務して34年。物理は楽しい科目なんだということを知ってほしいと自ら本を執筆するなど熱心に生徒と向き合ってきた折戸正紀先生も「60万円より上の授業料をとっているということは、ある意味で企業努力をした結果、それでも生徒が来てくれている。その企業努力をして今いい結果を出している学校が損をするっていうことが、なにか努力のしがいがないなと非常に思うところではあります」と悔しそうに語った。

各校から素案への反発が強まる中、府内すべての私立高校でつくる団体、私立中高連は5月末に総会を開き、素案が成案化されれば、経営破綻や“教育の質の低下”を招くとして素案には賛同できないという考えを議決した。また、知事に対し、直接意見交換する場を求めた。

しかし、吉村知事は素案に反対しているのは、私立中高連という業界団体であって、各校の考えは違うのではないかとして面会は実現しなかった。

一部保護者負担を残す無償化は?

6月に入り街頭などで、中学生や高校生の子供を持つ保護者にも話を聞いた。保護者の多くが「授業料が無料になるのはありがたい」と語っていたが、中には「私立が無料になるんですよね」と授業料だけでなく、私立高校の教育費がすべて無料になると勘違いしている人もいた。さらに制度について、上限額を超える授業料は全て学校負担となることを知っている保護者はほとんどおらず、財源は行政がすべて出すものと考えている人が多かった。

素案について説明すると年収が910万円を超える世帯の保護者の1人が「私立の経営の自由が阻害されるのであれば、60万円までは行政が補助し、60万円からはみ出た授業料については、学校ではなく、ある程度所得のある世帯の保護者が負担する形の「無償化」でもいいのではないか」という考えを示していたのが印象的だった。

息子を私立に通わせる阪口めぐみさんは「完全無償化については、保護者にとってはほんとにありがたい制度だとは思っているんですけれども、学校側の経営負担になったりすること=最終的に子供たちへの負担としてのしかかってくるのではないかという大きな懸念があります。多少の金額を払ってでもその学校の特色あるいい教育を受けさせてやりたい」と語った。

教育財政学が専門の日本大学の末冨芳教授も当時「授業料はサービスの対価です。例えば美容室のカットについて6000円の上限額を行政に決められ、6500円のサービスを提供しているのに、500円分を美容室が自腹で払うのはおかしいと思いますよね。サービスを受ける側がその対価を支払うことは必要。高所得の世帯に関しては、60万円までは行政が負担。それを超える額は保護者が負担という制度であれば、全国に広がってほしい」とする考えを示していた。

知事と校長の生討論 議論は平行線

府民には授業料が無料になるという情報は広がっていくものの、制度案について議論する場が不足しているのではないか。案が固められる8月が迫る中で、6月30日、関西テレビでは制度案について、当事者が議論する場をつくろうと吉村知事と私立高校の校長が生出演し討論する番組を放送した。

この番組の中で、街頭などで聞いた保護者の意見を参考に、現行制度でキャップ制から外れる年収800万円以上の世帯については授業料の60万円までを国と府が補助し、それを超える額は、保護者が負担する形でもいいのではないかと提案した。

番組に出演した清風南海高校の平岡正校長も「所得の高い方っていうのは、例えば授業料が70万円の学校に10万円だけで行けるって言ったら、すごく喜ぶと思うんです。学校もこれまでの無償化制度と負担額は変わらない。そして知事が言っているような、そうやってみんなが自由に教育を受ける機会を与えるっていうと全員が喜ぶんじゃないかなと思います」と知事に質問した。

しかし、吉村知事は「結局(授業料の値上げの)いたちごっこになってくるんですよ。なので、結局は、この授業料完全無償化っていうのをしっかりやっていこうとするならば、やっぱりどっかでその僕はキャップ(授業料の補助上限)というのが必要だと思う」と話し、補助したらその分だけ私立高校が値上げを行うため、一律の上限以上の授業料は全て高校が負担する「キャップ制」でないと完全無償化にはならないとする考えを示した。

知事の言うように、行政側が授業料補助の上限を上げれば、その分だけ私立高校は便乗値上げを行い、授業料が際限のない値上げの“いたちごっこ”になるのだろうか。大阪府によると、そもそも授業料は学校が値上げを行いたいと思えば簡単にあげられる性質のものではないという。私学課は取材に対し「授業料を何の目的で上げるのか明確な根拠が必要。授業料を値上げしてどういう収支計画になるのか、どこにどう使うのか収入と支出の出入りを私学課で確認している。そんな簡単に値上げはできない」と説明している。

議論が平行線で終わった生番組。知事が制度案を固める期限とした8月が近づく。

水面下で進められた私学と大阪府の交渉

実は、8月には私立高校側にとっても大事なイベントがあった。8月12日、13日に開かれる私学展だ。私立学校が一堂に集まり、それぞれブースを設け会場に訪れた中学生や保護者にアピールする一大イベント。

興国高校の草島葉子校長は7月中旬、取材に対し「私学展までに大阪府との交渉をまとめないといけないんです。このままだと募集要項がつくれない。子供たちが志望校を絞りはじめるこの時期に勧誘できないことは経営的にも痛手になる」と語り、焦りを募らせていた。

大阪府内の私立高校の校長の1人も「大阪府の制度に加入しなければ、府からの授業料補助は一切受け取れなくなる。一方で制度に加入した高校は、保護者にとっては、授業料がタダになるわけだから、同じ偏差値で環境も似ていたら、どちらを子供たちが選ぶかと言えば、制度に加入する高校ということになるのは明白。我々は足かせをはめられている。大阪府から授業料の上限を統制されることは受け入れがたいが、知事が完全無償化を行うとし、府民も支持している中で、生徒集めの点を考えると現実問題、落としどころを考えなければいけないと思う」と話していた。

そんな中、私学側との交渉に送り込まれたのが、吉村知事の右腕、山口信彦副知事だった。

教育行政のトップ橋本教育長は、副知事が交渉にあたった経緯について「僕自身は公立高校の設置者の代表者。その立場で私立の補助上限をなんぼにするとか調整するのは非常に難しいというのが一つ。それと予算が200億とか300億の話やからはっきり言って、僕にそこまでの権限はないわけや。それで知事と副知事と相談して、ここは副知事に見てもらおうかという話になった」と語った。

7月31日、山口副知事と私学団体の初の会合が実施される。関係者によるとそこで山口副知事は「高校側の負担が現在の制度から増えない形で検討する」と回答したという。それからわずか4日後の8月4日、吉村知事は素案の修正案を発表した。

現行制度よりも私学の負担が減る“修正案”

修正案では補助する授業料の上限が60万円から63万円に引き上げられた。私立高校側の負担額は、現行制度の約9億5000万円から7億9000万円ほどに、むしろ減ることになる案だった。

また、この授業料補助の上限額引き上げの恩恵を受けることができない60万円未満の高校にも、これまで以上に教育環境の充実を図ってもらう目的で、教員の人件費などに充てられる経常費助成も、現在、全国ワースト2位の32万5500円だったが、制度が完成する2026年度までに約2万円引き上げられることになった。単純に2万円を足して、34万5500円となれば、全国40位程度となる。

吉村知事はこの日記者団に「今の制度より負担が少なくなり、教育の質を上げるための財源を生み出すことができるという制度に府の方針として定めました」と語った。

そして、8月9日、吉村知事と私学団体の初めての意見交換会が開かれ、私学団体は知事と握手を交わし、この修正案に合意した。ただ、授業料の上限額が事実上、大阪府に一律に決められることになるため私学団体はいくつか条件をつけた。

私学側が知事にお願いした“条件”

特に大きな条件は2つ。ひとつは、大阪府側に授業料の上限額を固定化されないために、これからは年に1回以上、制度の在り方、補助上限額などについて話し合う会議体を創設すること。

もうひとつは、授業料が自治体側にハンドリングされても、私立高校側が経営の自由を担保できるよう、入学金などは現行の制度と同じく学校設置者である私立高校が自由に価格を設定できるようにするという条件だった。

この意見交換を踏まえ、8月25日大阪府の戦略本部会議でこの修正案が府の制度案として正式に固められた。大阪の子供たちは親の所得もきょうだいの数も関係なく3年間で計189万円分の授業料が無料になる制度だ。

補助上限額については、来年度以降、63万円で5年間固定され、その後改定されたとしても以後、原則5年間は補助上限を変えないという内容だった。

また、私立高校の新たな財源を生み出すために、母校応援ふるさと納税制度の創設も盛り込まれた。

私立高校は授業料以外の保護者負担が公立より依然として大きい

大阪府として正式に固められた高校授業料完全無償化の制度案。

私立高校の校長の1人は、制度案について「親の所得による、不公平感はなくなる。ただ、物価高や光熱費の高騰がさらに加速し、他の自治体の私学が授業料を上げても、府は原則5年間補助上限を上げないとしているため、私立は授業料以外の教育費を値上げする可能性は大きい。そうなれば、実質的に負担が大きくなるのは、所得の低い家庭の子供たちだ」と語っている。

今回の「完全」無償化で、無料になるのは、あくまで授業料だ。授業料189万円分の負担がなくなることで、これまでの所得制限つきの制度下で「お金がかかるから私立はあきらめよう」と考えていた子供たちの中には、行きたい私立高校を選択できるようになる子供も増えるはずだ。

ただ、私立高校に通うために必要な教育費は授業料だけではない。約20万円の入学金、海外への修学旅行、タブレット代、高価な制服など、高校によってばらつきはあるが、関係者によると3年間で約100万円から150万円ほどかかるという。府内の私立高校の校長の1人は、既に現行の無償化制度でも「『僕の家はお金がないんで、修学旅行には行きません』と伝える生徒がいる」と話した。

また、大阪府教育庁の幹部職員の1人も公立であれば、可能な限り生徒全員が修学旅行に行けることを念頭に計画をたてる。ただ、私立は海外の修学旅行に魅力を感じて入学する生徒もいるわけで、無理に修学旅行費を捻出できない子のために、行き先を変更するということはないのではないか」と語っている。

では、府内の公立でかかる費用はというと、3年間で約30万円から40万円の保護者負担で学校に通うことができる。授業料が無料になったことで、私立と公立の保護者負担の差は縮まったものの、依然としてまだ大きな差があるのが現状だ。

大阪府は、私立高校において授業料以外にかかるこの100万円から150万円の費用についても支払うことが難しい世帯の子供のために、奨学金制度の創設も検討している。

私立に比べると保護者負担の少ない公立高校だが、大阪府ではこの10年ほどで急速に数が減っている。府内には現在152の公立高校があるが、そのうち10校が廃校になることが決まっている。なぜ公立高校が減っていくのか。その背景には、維新府政が行ってきた教育改革がある。

【関西テレビ 報道センター 大阪府政キャップ 井上真一】

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