長崎は2023年8月9日で原爆投下から78年を迎えた。いつかは訪れる「被爆者なき時代」。語り続ける被爆者の思いはさまざまな形で受け継いでいく必要がある。

平和と核廃絶は「知ることから始まる」

被爆者・工藤武子さん:
母と兄弟たちで食卓を囲んだ時でした。突然、強烈な閃光(せんこう)がして、雷の稲光が束になってきたような光がして、私は母にしがみつきました

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8月9日の平和祈念式典で、被爆者代表として平和への誓いを読み上げた工藤武子さん(85)。現在熊本に住む工藤さんは78年前、きのこ雲の下で何が起こったのかを地元で語り続けている。

被爆者・工藤武子さん:
核兵器は廃絶しないと、私たち人類と地球の未来はないと本当にそう思うから、まず知ってほしい、知らない人が多い気がするから。平和と核兵器廃絶は知ることから始まると思う

78年前の8月9日。当時7歳だった工藤さんは爆心地から約3km、現在の長崎市片淵2丁目の自宅で被爆した。

幸い、家族を含めて大きなけがはなかったが、14年後に父が「肝臓がん」で54歳で亡くなり、その後、母と姉、弟、妹も相次いでがんを患い、この世を去った。

被爆者・工藤武子さん:
私は3年前に肺がんの手術。(原爆の放射能は)延々と人の体内に入って細胞を痛めつけて、こんな恐ろしい非人道的な兵器は即刻、廃絶しなければいけないと思う

「核の非人道性を多くの人に伝えたい」

「核の非人道性を多くの人に伝えたい」。結婚を機に長崎から熊本に移り住んだ工藤さんは、6年前から紙芝居を使った被爆体験の継承に取り組んでいる。自らの体験はもちろん、ほかの被爆者の体験も紙芝居にした。

被爆者・工藤武子さん(被爆者・深堀弘泰さんの体験)​:
まだ火の気のある焼け跡を夢中で掘り返しました。そしてついに変わり果てた弟の姿を発見しなければなりませんでした。戦争のない、核兵器のない世界が一日も早く来ることを心から願わずにはいられません

被爆体験を聞いた人:
体験した方の実際の話はすごく心に響いた

被爆体験を聞いた子ども:
核兵器は使ってはいけない

工藤さんは近く、紙芝居の語り手を被爆二世に託そうと考えている。

被爆者・工藤武子さん:
私が被爆者の平均年齢の85歳。体験して記憶している最後の世代で、体力的にもう何年もは続けられない。今こそ(被爆)二世・三世の人たちに引き継ぐべき大事な時だと思っている

2023年の平和祈念式典は、台風の影響で異例の規模縮小で屋内開催となったが、「伝えたい」という工藤さんの強い思いは変わらない。

被爆者・工藤武子さん:
平和祈念像の前で(平和の誓いの読み上げを)できないのは残念だが、被爆者の思いや亡くなった家族の思いを背負って、心を込めて世界に発信したい

英語を学び直し、海外に向けた講話も

被爆者の築城昭平さん(96)は長崎県内最高齢の語り部だ。半世紀前から被爆講話を続けている。

8月8日の平和会館ホールでも「ガガガガーっと音がして、血がダーっと出ているのが分かりました。それまでは(血が出ていることも)知らなかったんです」と戦争について語った。

被爆者・築城昭平さん:
だんだん話す人が亡くなって少なくなっている。核兵器は「最後の兵器」なんだ。人間が自分の手で世界、人類を滅ぼしてしまう。その悲しみをみんなにしっかり理解してもらいたい

築城さんは18歳の時、爆心地から約1.8kmの長崎師範学校の寮で被爆した。学徒動員先の三菱兵器住吉トンネル工場で勤務した後、寮で眠っていた時に原爆が落とされた。

被爆者・築城昭平さん:
(左腕を出して)これが布団の線です。(腕を)布団から出していたんです。放射線が当たって、めちゃくちゃ真っ赤になった

戦後、中学校の教員になった築城さんは、40代の頃から修学旅行生などへの講話を始めた。90歳を過ぎてからは英語を学び直し、今では留学生や、海外に向けた英語での講話も行っている。

被爆者・築城昭平さん:
If we ever use it again, it will truly be the end of the earth.(もう一度核兵器を使えば、本当に地球が終わります)
Please don’t forget this old man’s pray for the peace.(この年寄りの平和への願いをどうか忘れないで)

被爆者・築城昭平さん:
やっぱりこの話は世界中にしなければならない。(当初は)通訳で話をしていたが「英語で聞いた方がしっかり分かる」と言われたから、これはますます英語を勉強しないといけないと思った

つなぎ続ける“平和のバトン”

築城さんが並行して取り組んできたのが“次の世代への継承”だ。
7月、大学生の三宅杏風さん(22)が、築城さんの体験を代弁する「交流証言者」としてデビューした。

「交流証言者」の三宅杏風さん
「交流証言者」の三宅杏風さん

「11時2分。ガガーッ、大きな音で目覚めた途端、身体は飛ばされて床にたたきつけられました」などと、原爆投下時の音なども築城さんの表現を再現している。

三宅さんは19歳の時に築城さんと出会い、直接話を聞いたり、文通を重ねてバトンを受け継いだ。

交流証言者・三宅杏風さん:
次の世代に伝えたい、語り継ぎたいという強い思いが伝わってきて、そのバトン・平和の種を聞いてくださる方々の心に植えつけられるような講話にしたい

2023年から移動に車いすを使っている築城さん。体の衰えは感じているが、“語り継ぐこと”への思いは以前と全く変わらない。

被爆者・築城昭平さん:
できたら(講話で)世界を回りたいが、とても回りきらん、足が悪くて。なんとかして長生きをできるだけして話を続けていきたいと思っている

被爆者は「長崎を最後の被爆地に」と、被爆の実相や核兵器の恐ろしさを伝えて続けてきた。2023年、被爆者の平均年齢は85.01歳と85歳を超えた。被爆者の声を直接聞けなくなる時代が刻一刻と迫ってきている。

被爆二世・三世だけでなく、被爆の記憶をどう受け継いでいくか、真剣に考える時に来ている。

(テレビ長崎)

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