2005年、沼津市で歴史的に「重要」な古墳が見つかった。しかし、そこは道路の建設予定地。“道路”か“古墳”か…長らく論争が続いたが市は2023年7月、道路と古墳の両立を目指した工事の入札を公告した。

古墳時代最初期に築造された高尾山古墳

沼津市で見つかった高尾山古墳(2016年撮影)
沼津市で見つかった高尾山古墳(2016年撮影)
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2005年、沼津市東熊堂で見つかった高尾山古墳(旧名:辻畑古墳)。全長62mの前方後方墳で、墳丘内の構造や出土した土器を調べたところ「西暦250年頃かその少し前」に築造されたと推定されている。

古墳時代は邪馬台国を治めた卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳(奈良県桜井市)から始まったとされ、その時期は西暦250年頃と言われている。このため高尾山古墳は箸墓古墳と同時期の古墳であると同時に、弘法山古墳(長野県松本市)や高部30号墳・32号墳(千葉県木更津市)と並んで古墳時代の最初期に東日本で築造された重要な古墳として位置づけられている。

都市計画道路の建設予定地に位置する高尾山古墳
都市計画道路の建設予定地に位置する高尾山古墳

実は高尾山古墳が発見されたのにはわけがある。慢性的な渋滞の解消に向け、市が整備してきた国道246号と国道1号を結ぶ都市計画道路・沼津南一色線の工事が進むと同時に、建設予定地となっていた周辺一帯の用地取得が済んだため試掘調査が行われた。この結果、存在が明らかとなったのが高尾山古墳だ。そして、これにより工事は中断を余儀なくされた。

古墳の保存か道路の建設か

日本考古学協会が声明を発表(2015年5月)
日本考古学協会が声明を発表(2015年5月)

それから時が流れること10年。2015年5月、市が従来の計画通り「古墳を取り壊して道路を建設するため、年度内に古墳を削る発掘調査を再開したい」との意向を固めたことが明らかになると、日本考古学協会が「古墳文化の形成を解明する上で極めて重要」として事業の見直しと保存を求める声明を出した。

沼津市議会・建設水道委員会(2015年5月)
沼津市議会・建設水道委員会(2015年5月)

ただ、市も古墳の保存と道路の建設が両立できないか検討しなかったわけではない。市議会・建設水道委員会(2015年5月27日)では「古墳が新幹線のガードと国道1号に近接していることなどから、道路の構造上、迂回やトンネル、高架にすることは困難だった」と説明した。市によると、いずれの案を採用したとしても政令で決められた基準に適合する道路が建設できないことから計画の変更を断念したという。

古墳のすぐ手前で中断された道路整備(2015年撮影)
古墳のすぐ手前で中断された道路整備(2015年撮影)

栗原裕康 市長(当時)も「建設を中止するという選択肢もなかったわけではないが、そうすると周辺住民に多大な迷惑をかけるし、経済活動に大きな影響がある」と述べていた。

高まる保存の声に市長は方針撤回

浅原議長(当時)に要望書を手渡す市民グループ(2015年6月)
浅原議長(当時)に要望書を手渡す市民グループ(2015年6月)

しかし、翌6月には3つの市民グループが発足し「高尾山古墳を何としても沼津市民が守り、存続させなければいけない。それが沼津市民の全国の国民に対する責任」と市議会に古墳を取り壊さないよう求めたほか、県考古学会も古墳の保存を要望。また川勝平太 知事も定例記者会見(2015年6月25日)の中で「なぜ今のように破壊する、保存するという二者択一になっているのか不思議で、全部を破壊するという考えを私は持っていない」と古墳の一部を残すよう市に助言する考えを示した。

栗原市長(当時)が緊急会見で方針撤回を表明(2015年8月)
栗原市長(当時)が緊急会見で方針撤回を表明(2015年8月)

すると6月30日に開かれた市議会本会議。高尾山古墳を削る発掘調査費を含む補正予算案が賛成多数で可決されたものの、栗原市長は閉会直後「発掘調査をやみくもに実施する気はない」と述べた上で、都市計画の専門家などによる協議会を立ち上げて「古墳の保存と道路整備の両立を目指した検討を重ねる」とした。

さらに8月6日には緊急の記者会見を開き「もう一度、1からやり直す」と市の方針そのものを白紙化する意向を表明。

市が示した新たな整備方針とは

有識者による協議会(2015年9月)
有識者による協議会(2015年9月)

全3回行われた協議会では、上り線と下り線を分離させる案やトンネル化させる案など9つの案について歩行者の安全確保や用地買収などの観点から評価を行い、6案まで絞り込んで市に示しつつ、協議会としては「道路を古墳西側に迂回させる案を提唱したい」とした。

沼津市役所
沼津市役所

これを受け市は2017年12月、提示された6案について関係者と相談した結果、安全性や交通の円滑性などの面から協議会が提唱した案を含む5案については「採用が困難との結論に至った」として、東側2車線を橋梁に、西側2車線をトンネルにする案を新たな整備方針として打ち出した。

市ではその後「歴史を重んじ、地域のつながりを大切にする“みちづくり”」とのコンセプトのもと「道路と古墳を含む周辺までを一体的な空間として設計し、質の高い意匠等を施すこ とで、良好な景観の形成を目指す」基本計画をまとめ、設計に関わるデザインコンペも実施。

全体計画鳥瞰図(提供:(株)エイト日本技術開発・(株)イー・エー・ユー・二井昭佳・文化財保存計画協会)
全体計画鳥瞰図(提供:(株)エイト日本技術開発・(株)イー・エー・ユー・二井昭佳・文化財保存計画協会)

そして2023年7月、まずは東側の橋梁部分の着工に向けて入札を公告したことを明らかにした。市は応札状況を公表していないが、順調に進めば2024年1月に工事の請負に関わる仮契約の締結が行われる予定で、2026年度から橋梁部分の2車線を暫定的に供用できるようにしたいとしている。また全線の供用開始は2030年前後になる見通しだ。

一方、高尾山古墳については2023年秋の国の史跡指定を目指し、2022年12月に文化庁へ意見具申書を提出。指定されれば保存活用計画や整備基本計画を策定した上で、2028年度頃から史跡公園の整備に着手する方針だ。

 “道路”か“古墳”か。18年にわたる論争は、市が道路と古墳の“両立”に向けた工事の入札を公告したことで、ようやく終止符が打たれることになった。

(テレビ静岡)

テレビ静岡
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