島根県海士町。かつて人口減少で消滅の恐れがあると言われた、本土から船で2時間以上かかる離島は今、「地方創生の成功例」として注目されている。島に唯一ある高校の魅力化プロジェクト、「島留学」から始まり、海士町が今打ち出している「大人の島留学」を取材した。

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「島は自分が大切にしたいものが見える」

「大人の島留学」に今年参加した田中沙采さんは、石川県の大学を卒業後に働いていたが、大学時代に一度訪れた海士町にまた来てみたいという気持ちが強くなり応募した。昨年4月から1年間、海士町に滞在した後、今年4月にそのまま就職して今は総務の仕事をしている。

大人の島留学に参加した田中沙采さん「島は自分が大切にしたいものを持ちながら、寛容になれる場所」
大人の島留学に参加した田中沙采さん「島は自分が大切にしたいものを持ちながら、寛容になれる場所」
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田中さんは「島は自分が大切にしたいものを持ちながら、寛容になれる場所」だという。

「正しさや都会と比べた良さというよりも、暮らしていくのに必要なものや自分が大切にしたいものが見えるようになりました。まだ将来へのイメージはないですが、もうしばらくは海士町に住もうと思います」

「ここに来て人生が変わった」

武田紫野さんは兵庫県神戸市出身の22歳。高校時代に隠岐島前高校のオープンスクールに参加して島の人たちの優しさに触れ、「単純にワクワクしたから」入学した。卒業後、武田さんは福岡県の大学に進学したが、今年の4月から休学して海士町のホテルで働いている。

「私は大学で地域創生を勉強していたので、島に貢献したいと思ってきました。この島の人が好きで、ここに来て人生が変わったと思います」

大学を休学し、海士町のホテルで働く武田紫野さん「ここに来て人生が変わったと思います」
大学を休学し、海士町のホテルで働く武田紫野さん「ここに来て人生が変わったと思います」

「大人の島留学」の参加者は2020年に始まってから毎年増えており、のべ200人以上の若手社会人や大学生らが参加している(参加資格は「20歳から29歳程度」)。参加者は海士町を含む隠岐島前地域で1年間、役場や一次産業などで働く。また3カ月間のインターンシップ制度もある。

参加者は役場や一次産業などで働く
参加者は役場や一次産業などで働く

お試し島暮らしや仕事体験事業からスタート

事業を運営するのは一般財団法人島前ふるさと魅力化財団(以下財団)。行政は財団とともに事業と参加者、そして受け入れ側の支援を行っている。参加希望者は定員(今年は年間150人)の約2倍で、Zoomで事前に面接して受け入れ先とのマッチングをしているという。

大人の島留学は今年4月に65人を受け入れた
大人の島留学は今年4月に65人を受け入れた

2009年から隠岐島前高校の魅力化プロジェクトに参加し、「大人の島留学」に関わってきた海士町役場の豊田庄吾さんはこう語る。

「魅力化プロジェクトが始まって10年以上経ちますが、当初は高校の卒業生のUターン率に大きな変化が見られませんでした。そこで『島へ戻るにはハードルが高い』という卒業生の声をもとに、2020年秋からお試しで島暮らしや島での仕事体験を行う事業を始めました。そして、2021年4月から本格的に大人の島留学がスタートしたのです」

参加者にとってかけがえない原体験に

「大人の島留学」に参加する動機は、「この島で学びたいから」「島暮らしを体験したい」「なんとなくこの島に来た」まで様々だ。しかし豊田さんは、「参加者にとってかけがえのない原体験になっていると感じる」という。

海士町は綱引きが盛ん。豊田さん(右から2人目)も参加
海士町は綱引きが盛ん。豊田さん(右から2人目)も参加

「田舎暮らしは不便だと思っていた人が、それほど大変ではなく、むしろ人の温かさに触れて“つながり”に価値を見出したり、今までは少しでも安いものを買おうとしていた自分が、コメ作りに関わることで経済観念の見直しが起こったり。島の人たちとの関りや、仕事・暮らし両面での体験をすることで、参加者に価値観の“捉え直し”が起きていると思います」

“消滅可能性自治体”からサステナブルな離島へ

海士町の人口は今、約2300人。約20年前、人口問題研究所は1700人に減少すると予測していた。しかし、海士町の未来のため隠岐島前高校の魅力化と島留学、そして大人の島留学といった施策を次々と打ち出し、予測を裏切って人口はほとんど横ばい。しかも若年層や若い女性の人口比率は増加傾向にある。

吉元副町長は海士町の人口減少対策を主導してきた
吉元副町長は海士町の人口減少対策を主導してきた

早くからこうした人口減少対策を主導してきた1人が、海士町役場の吉元操副町長だ。大人の島留学について吉元さんは「若い人に選ばれる島でないと未来はない」と断言する。

「高齢者ばかりの島になれば未来が確実に無くなります。参加者のうち、これまで島に来たことのない人が8割から9割です。5%ぐらいが定住に繋がってくれればという思いでやっています」

就職でも転職でもない新しい選択肢に

当初島の住民には、特に短期滞在者に対して「仕事のやり方を教えてもいなくなるんだろう」「すぐに帰っていく人たちとどう付き合っていくのか」といった戸惑いの声が多かったという。しかし、吉元さんはこう言う。

「ファンを増やすためには、地域をどう魅力化するか。そして、人と人とのつながりが重要だと思っています。たとえば島の過疎地域では様々な取り組みをしていて、“食の寺子屋”と名付けて地元でとれた魚や野菜、山菜を使って、若者に料理を学んでもらっています。この地域では特に女性の参加希望が多かったりします」

大人の島留学では魚のさばき方も学ぶ
大人の島留学では魚のさばき方も学ぶ

「大人の島留学」の今後について前述の豊田さんは、「就職でも転職でもない、新しい選択肢の1つになっていくとうれしい」という。

「今まであった地方から都会への人の流れに対して、地方で暮らすことや働くことの見直しが起きればと思います。また、こうした滞在人口を受け入れることで地域の寛容性がさらに増し、地域のアップデートが起きだすと他の地域にもこの制度が広まっていくと思います」

大人の島留学は地方創生の希望となるのか
大人の島留学は地方創生の希望となるのか

「大人の島留学」が地方創生の希望となるのか。次回は「島留学」の発展形ともいえる「地域みらい留学」について紹介する。

(執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款)

鈴木款
鈴木款

政治経済を中心に教育問題などを担当。「現場第一」を信条に、取材に赴き、地上波で伝えきれない解説報道を目指します。著書「日本のパラリンピックを創った男 中村裕」「小泉進次郎 日本の未来をつくる言葉」、「日経電子版の読みかた」、編著「2020教育改革のキモ」。趣味はマラソン、ウインドサーフィン。2017年サハラ砂漠マラソン(全長250キロ)走破。2020年早稲田大学院スポーツ科学研究科卒業。
フジテレビ報道局解説委員。1961年北海道生まれ、早稲田大学卒業後、農林中央金庫に入庫しニューヨーク支店などを経て1992年フジテレビ入社。営業局、政治部、ニューヨーク支局長、経済部長を経て現職。iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授。映画倫理機構(映倫)年少者映画審議会委員。はこだて観光大使。映画配給会社アドバイザー。