6月4日に全国植樹祭が開かれる岩手・陸前高田市で、復興の象徴ともいえる「高田松原」の再生に取り組み続けてきた男性がいる。東日本大震災から12年、男性の現在の思いを取材した。
高田松原のマツ再生に尽力
6月4日の全国植樹祭の開催まで1カ月をきった5月16日、陸前高田市の高田松原で、地元の高校生が草刈りボランティアをしていた。
この記事の画像(36枚)全国植樹祭は毎年春に持ち回りで開催され、天皇皇后両陛下がご臨席する一大行事だ。
生徒とともに草刈りに汗を流す男性がいる。NPO法人高田松原を守る会理事長の鈴木善久さん(78)だ。
高田松原を守る会・鈴木善久理事長:
植えたマツもこういう風に伸びてきている。だから(マツのように)がんばっている地元の人たちがいるということを、天皇皇后両陛下に記憶にとどめてもらいたい
鈴木さんは、陸前高田市出身で東日本大震災前の2006年に守る会が発足した当時からのメンバーで、文字通り美しい「白砂青松」の景勝地・高田松原を守ろうと活動してきた。
高田松原を守る会・鈴木善久理事長:
高田松原好きだった。青い空、緑の松林、青い海で、白い砂浜。そういうのがそろって本当に白砂青松がぴったり。岩手県の中でも一番の海水浴場だった、高田松原は
全長約2kmに及ぶ砂浜と350年の歴史を誇る松林が織りなす景勝地・高田松原は東日本大震災の津波によって一変した。
約7万本のマツが流失。奇跡的に生き抜いたのはわずか1本だけだった。
4年かけて1万本のマツを植樹
松林の再生に真っ先に取り組んできたのが高田松原を守る会だ。市民の希望になるようにと仮設住宅の住民などと一緒に苗木を育てたり植樹の準備をしてきた。
高田松原を守る会・鈴木善久理事長(2014年):
これから生まれる人たちも、私たちが高田松原で楽しい思い出を作ったように、再生する高田松原で楽しい思い出を作ってもらいたい
2017年、いよいよ4万本のマツの苗木を植える活動が本格的にスタートした。
このうち高田松原を守る会では1万本を受け持った。市民はもちろん県内外から多くのボランティアが参加した。
陸前高田市の小学生(2017年):
楽しかった。大きく成長して立派な松原にしたい
大阪府から来た人(2017年):
皆さんの熱意も感じたし来られて良かった
参加したボランティアは延べ2万人以上。4年かけて1万本のマツが植樹された。
最初の植樹が行われた6年前(2017年)、緑はほとんど見えず、かつて誇っていた白砂青松の姿を取り戻すまでには50年の歳月が必要だ。
それでも年数を重ねるごとに砂浜に占める緑が増え、一歩一歩、再生の道のりを歩んでいる。
高田松原の松ぼっくりから育てた特別なマツ
4万本のうち、ひと際大きなマツが600本ほどある。
震災の前の年に、高田松原で松ぼっくりを拾った人から提供を受け、その種から大切に育てられたマツだ。
高田松原を守る会・鈴木善久理事長:
これは津波前の高田松原の遺伝子を引き継ぐ大事な大事なマツ
高田松原を守る会では津波で9人が犠牲になった。一時は解散も考えたという。
高田松原を守る会・鈴木善久理事長:
松ぼっくりの種をいただいて、「よし、この種から苗を育てて植えよう」と、「だから高田松原を守る会は解散しない」、そういうふうに思えたマツ
守る会にとって、このマツは希望の光となっている。そして6月、天皇皇后両陛下が訪問され、高田松原をご覧になる。
植樹祭まで1カ月をきった5月16日、草刈りに精を出す高田高校の2、3年生も、このマツとともに成長してきた。
高田高校3年生:
来るたび来るたび大きくなってるのを見るので、もっとでっかくなって、前みたいな松原になるのがすごく楽しみ
高田高校3年生:
「元に戻ったよ、みんな頑張ってやっているよ」というのを、全国のみなさんに知っていただけたらいいなと思う
高田松原を守る会・鈴木善久理事長:
高田松原を守る会だけではとてもこういう広い所の草刈りはやりきれない。それをこのようにボランティアさんが応援してくれて本当に感謝
一本一本のマツには協力したそれぞれの人の思いが宿り、マツの成長を通して陸前高田市の復興を発信する。
高田松原を守る会・鈴木善久理事長:
多くの皆さんが応援してくれたのを、(植樹祭では)見てもらうのがうれしい。50年後には津波前の名勝の高田松原になってもらいたい
40年後、50年後に、子どもたちが誇れる高田松原にするため、鈴木さんはマツの成長を温かく見守り続ける。
(岩手めんこいテレビ)