長崎を代表する果物・ビワ。長崎は生産量の3分の1を占める全国一の産地だが、生産者の高齢化と担い手不足に加え、気象災害に弱く、年々、耕作放棄地が増えている。そんな厳しい環境の中、脱サラしてビワ栽培に乗り出した夫婦を取材した。

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復興事務所が閉所「やりきった」

西島純一郎さん(51)と純子さん(49)は、数年間放置されていた長崎市千々町の4,500平方メートルのビワ園を、2022年に譲り受けた。(※年齢は取材当時)

2023年1月の寒害で、収穫はほとんど見込めないが、2人は明るく前を向いている。

ビワ園からは、遠くは熊本・天草まで、空気が澄んで天気がよい日は長崎・島原半島の普賢岳も望める。

西島純一郎さんと妻の純子さん
西島純一郎さんと妻の純子さん

西島純一郎さん:
どこかの片隅に平成新山は置いときたいなと思ったので、最終的にここを選んだ

「平成新山」は、雲仙岳が1990年に大噴火した際に生まれた、溶岩ドームの山。1990年の噴火は約200年ぶりの噴火だったが、火砕流や土石流を繰り返し、多くの人命と民家や田畑を奪った。この噴火の隆起でできた平成新山は、標高は1,483メートルまで成長した。

西島さんは、社会人としての大半を国土交通省雲仙復興事務所で過ごし、普賢岳に寄せる思いは特別だ。

西島純一郎さん:
地域の皆さんとずっと一緒にやってきたという思いがあって、それが閉所するという中で、寂しいのと同時に、やりきったという気持ちもすごくあった

西島さんは、長年勤めてきた雲仙復興事務所が2021年4月に28年間の歴史に幕を下ろしたあと、「雲仙砂防管理センター」の初代センター長を務めた。

「地域の復興を支える」から「砂防施設の管理」へ。職員も減り、役割が変わる中、西島さん自身も挑戦を決めた。

西島純一郎さん:
「復興」という文字が消えた。やっぱ完全に消えたのかなと思います

妻の純子さんは以前から農業に興味が

夫婦そろって早期退職し、第2の人生をスタートさせた。

西島純一郎さん:
妻が仕事を辞めるって言って、ああ俺も辞めたいってなって

妻・純子さん:
定年してからだと、ちょっと体力的にやっぱり無理となりそうだったから、元気なうちに(農業を)やって長く続けられるように

若いときから農業に興味があったという純子さん。農作業中のある「やりとり」に胸がときめいたという。

妻・純子さん:
(純一郎さんが)「もう帰ろうか」って。今まで一緒に帰ろうと言うようなシーンがなかったなって、何かドキッとしました

長崎県のビワの栽培面積は、1999年に654haだったが、2019年には375haに減少。出荷量も、20年間で976トンから375トンにまで減少した。それでも、長崎県が全国の生産量の3分の1を占めている。

ただ 担い手不足と、台風や強い冷え込み、長雨などの気象災害に弱いというのは産地共通の課題だ。

かつての職場での経験が“いま”に

2023年3月に長崎市で行われた「全国ビワ研究協議会」。
全国のビワ生産者が情報を共有し、交流を深める大会で西島さん夫妻は、“これからの新しい形の産地の担い手“と紹介を受けた。

50代で一からビワ栽培を始める西島さんに、関係者は…。

長崎県JA果樹研究会枇杷部会長・濱口理さん: 
脱サラしてビワで飯食おうたって無茶な話。最初はびっくりしました。家の家系上の後継者ではなく、産地のビワ作りの後継者

関係者からは、農業の厳しさを知るがゆえに驚きの声が聞かれる一方で、西島夫妻は、かつての職場である島原などでの経験が“いま”につながっていると話す。

西島純一郎さん:
(前の職場で)農家と出会う・話すということが多かったんですが、皆さん素敵な笑顔でキラキラしてるんです

妻・純子さん: 
(農業研修を受ける中で)熱いビワ農家さんに出会ったり、「農家はいいよ、楽しいよ」って話してくれた

「内心うれしい」ビワ農家の先輩も温かく見守る

全国大会の参加者が、長崎市内のビワ園を視察に訪れた。

このビワ園では、露地(ろじ)で「なつたより」を栽培しているが、定年後に本格的に農業を始めたため、体に負担が少ないようにビワの木の高さを抑え、農薬散布にはドローンを活用している。

それでも、2023年1月の寒波では、大打撃を受けた。

ビワ農家・高崎善昭さん:
(1月の寒害で)全滅かなと思っていたが、少し残っているみたい。1割か2割くらい

西島夫妻については…。

ビワ農家・高崎善昭さん:
大丈夫かなという感じはあるが、頑張ってもらいたい気持ちはある

2022年夏、農園の研修生として西島さんを受け入れた濱口さんも、温かく見守っている。

長崎県JA果樹研究会枇杷部会長・濱口理さん:
おいおいちょっと待てというような話もしましたけど、内心はうれしい気持ちもありました。縁あって出会ったからには、何とか成功させたいなと

「まずはこの園をビワ袋でいっぱいに」

1月の寒波のあと、西島さんからすぐに連絡があったという。

長崎県JA果樹研究会枇杷部会長・濱口理さん:
どれが生きて残ったビワなのか、それとも凍死してしまっただめなビワなのか見分けもつかないと

西島純一郎さん:
これ死んでいます。中が茶色になって。僕もまだ始めたばかりで、見極めが全くできてないが、日がたってくると(果皮が)緑から段々すすけた色に変わってくる。そうしたら、その実はアウト。落とすタイミングも難しい

西島純一郎さん:
難しいけど楽しいですね。木のことを考えながら仕事するのがビワ農家なんだなって感じます。(2023年は寒害で)ビワはできなかったけど、これも勉強で次につなげるぞって感じで、いま前向きに捉えている。そんなに落ち込んでない。まずはこの園をビワ袋でいっぱいにしたいな

災害復興に力を注ぎ、西島さんの人生にはなくてはならない存在である「平成新山」と、ビワ農家の先輩に見守られながら、西島純一郎さん、純子さん夫婦は「来年こそは」と新たな苗木も植えてビワ栽培にいっそう情熱を注いでいる。

(テレビ長崎)

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