1600人を超える子供が親を失った東日本大震災。そんな震災遺児の一人、石巻市で被災し津波で母を失った当時中学2年生の少女は、幼いころからの夢をかなえパティシエになった。2023年3月11日、「あの日」から12年の節目に彼女が作ったのは、母に捧げる「世界に一つだけのケーキ」だった。

焼き菓子の香りで思い出す母との思い出

宮城県・石巻市出身の大槻綾香さん(26)埼玉県のレストランでパティシエとして働いている。
宮城県・石巻市出身の大槻綾香さん(26)埼玉県のレストランでパティシエとして働いている。
この記事の画像(13枚)

大槻綾香さん
生クリームは、まっすぐ塗ることと、カットしたときに真ん中にくるよう、等間隔にするのがポイントです。

埼玉県・春日部市のとあるレストラン。店のショーケースには、色とりどりのケーキが並ぶ。
この店でパティシエを努める大槻綾香さん(26)は、宮城県・石巻市出身で、高校を卒業後、パティシエを目指し、仙台市内の専門学校に進学した。卒業後、この店で働き始めて3年。店長の木村さんは綾香さんについて、「気さくで明るく働いてくれているし、クオリティが高いデザートを提供してくれていて、頼りになる存在」だと話す。信頼は厚い。

専門学校時代の綾香さん(左下)
専門学校時代の綾香さん(左下)

綾香さんがパティシエの夢をもつようになったきっかけとなったのが、物心がついた頃からいつも一緒にキッチンに立っていた、母親の存在だった。

大槻綾香さん
小学校入る前ぐらいから、お母さんの手伝いで料理を作ったりしていました。土日のおやつにホットケーキを作ったりとか。お菓子を作るとみんなが笑顔になるし、すごく楽しくて。それから仕事にするならケーキ屋さんがいいなと思うようになりました。

東日本大震災の津波の犠牲になった母・京子さん(右)と綾香さん(右)
東日本大震災の津波の犠牲になった母・京子さん(右)と綾香さん(右)

お菓子作りが得意だった母親の京子さん。12年前のあの日、石巻市の自宅で津波にのまれ、帰らぬ人となった。大槻さんは当時、まだ中学2年生だった。今でも、3月11日が近づくたび、街中で感じる焼き菓子の香ばしい匂いで母との思い出がよみがえる。

大槻綾香さん:
当時、母親に対しては少し反抗気味で…。結構怒られました。けんかが多かったかなと。一緒にお菓子を作るときもああだこうだ言いながら…。でも、出来上がったお菓子を食べて「おいしい」で終われていたら結果OKだった。悪いことも含めて、コミュニケーションが取れていたかなって。その時間が今となってはすごく大事だった。いなくなってしまってからだと、何も話すこともできない。けんかしたりすることもできないから、寂しいというのはありますね

母親との思い出が詰まった家も流され、母親を亡くしたショックから、家から一歩も出ることができなかった時期もあった。人と接すること自体が嫌だった。しかし、それでもパティシエの夢はあきらめなかった。そこにあったのは「お菓子作り」だった。

「お菓子作り」通して広がった人の輪

大槻綾香さん
なぜ知らない人のためにお菓子を作らないといけないんだと思いながらも、頼まれたからやるかくらいの気持ちで最初は作っていたんですが、作り続ける中で人と会ってみようという気持ちになったんです。人と会ってみたら交流がつながっていった。お菓子があったからこそ、人とつながれた部分があるので、お菓子が助けてくれたかな。

震災後、多くの人が被災地にボランティアで入った。石巻も例外ではなく、そういった人たちへの感謝の気持ちも込めてお菓子を作ってみないかという依頼が綾香さんに寄せられた。最初は嫌々ながらも、活動を続ける中で、人の輪は広がっていった。「今でも連絡を取っている人がいる」と嬉しそうに綾香さんは話す。お菓子作りを通してできた「人の輪」は、パティシエになりたいという夢を、さらにゆるぎないものにしていった。

ようやく表現できた母への思い

2023年3月10日、母の13回忌を翌日に控えた綾香さんの姿は、石巻市内の実家にあった。

記者:何を作っているんですか?
大槻綾香さん
いちごのゼリーが入ったミルクムースのケーキです。

綾香さんが作っていたのは、母・京子さんの「思い出のケーキ」。綾香さんが学校から帰るとよく作ってくれた牛乳プリンを今の自分なりにアレンジをしたものだ。
パティシエという子供のころからの夢をかなえ、自信がついた今だからこそ、ひとつの区切りとして、母親への気持ちをケーキに表現することにしたのだという。

「もっと話したいことがあった」

「もっと一緒にお菓子を作りたかった」

「一人前のパティシエになったよ」

12年の様々な思いをケーキに込めていく。

そして完成したケーキ。このケーキに、綾香さんは「祈り」というテーマを付けた。

完成した、母との思い出がつまった特別なケーキ。テーマは「祈り」だ。
完成した、母との思い出がつまった特別なケーキ。テーマは「祈り」だ。

大槻綾香さん
月の形のチョコを作ったので…あとは羽をイメージして、祈りが天に届きますようにという意味を込めました。羽は幸せを運んできてくれるものでもある。祈りとともにこれからまた羽ばたいていけるように…

記者:お母さんのケーキと比べてうまく作れましたか?
大槻綾香さん
そうでないとまずいと思います(笑)。母とは違い、仕事としてパティシエをしているので…。成長していない姿を見られるのは恥ずかしいので、これからも頑張ろうと思います。

綾香さんは照れくさそうに笑い、母の遺影にケーキを供え、そっと目を閉じた。

新たな夢「お菓子作りの魅力を伝えたい」

震災から12年。辛い時期を乗り越えてパティシエの夢を叶え、心の中に抱えていた母親への思いをケーキとして表現できるまでになった綾香さん。新たな夢が芽生え始めていた。

大槻綾香さん
自分の店、好きなお菓子を置く店を持ちたいと以前は思っていたんですが、それだけでなく、自分が作るお菓子だったり、学んできたことだったりをいろんな人に伝えたりしたい。

「母がしてくれたように」お菓子作りの魅力を、たくさんの人に伝えたい。震災を経験し、母を津波で亡くし、もがきながらも乗り越えてきた自分だからこそ伝えられることがあると綾香さんは話す。

大槻綾香さん
大人になりかけの時に震災を経験して、進路や友達に関する悩み、しんどさがある中で、培ったものが大きかったと思うし、自分が感じてきたことを、お菓子を通じて表現できるんだったら、あのしんどさも受け止められるのかなと。

あの日から12年の節目。ケーキ作りを通して、新しい夢、そして母親への気持ちを再確認することができた綾香さん。最後に改めて、母・京子さんへ伝えたいことを聞いてみた。

大槻綾香さん
母が生きていた時は、けんかをしたとしても一緒にお菓子を食べる時間は大事な時間だったりしたので、これからも自分が作ったり、誰かと食べて楽しんでいる姿をなんとなく見守ってくれていたらうれしいなって思います。

きっかけは亡き母親との思い出「お菓子作り」。綾香さんだからこそ伝えられる思いがきっとある。その思いは、焼きあがったケーキの香りとともに、新たな世代に引き継がれていくに違いない。

(仙台放送)

仙台放送
仙台放送

宮城の最新ニュース、身近な話題、災害や事故の速報などを発信します。