中学2年生で東日本大震災を経験した女性。当時、家族が被災ピアノの復旧に尽力するなか、何もできない自分にもどかしさを感じていた。自分も音楽を通して復興に関わりたい…あれから12年、フルート奏者となり夢への一歩を踏み出した。

ピアノ家族で育ったフルート奏者

遠藤優衣さん26歳。福島県いわき市出身のプロのフルート奏者で、関東を拠点に音楽の魅力を伝えている。

遠藤優衣さん 福島県いわき市出身のフルート奏者 関東を拠点に活動
遠藤優衣さん 福島県いわき市出身のフルート奏者 関東を拠点に活動
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家族が経営するピアノショップは、優衣さんにとって「音楽の原点」だという。父・洋さんと、2人の兄・慶彦さんと悟さん。全員がピアノの調律師で、優衣さんは「ピアノ家族」の中で育った。小さいころから周りにピアノがあり自然と弾くように、そこから音楽が好きになったという。

実家が「音楽の原点」父と2人の兄はピアノ調律師  
実家が「音楽の原点」父と2人の兄はピアノ調律師  

家族が復活させた被災ピアノ

優衣さんは、特別なコンサートを翌日に控えていた。プロとして初めて開催するいわき市でのクラシックコンサートで、家族が命を吹き込んだ「奇跡のピアノ」と共演する。
優衣さんは「私の父以外にも兄弟も色々直したり、明日もピアノを運搬してくれて。家族一丸となって、みなさんに楽しんで頂けたらと思います」とコンサートへの思いを語った。
「音楽のチカラで心の復興を」 優衣さんが2011年の”あの日”から、思い描いてきた夢だ。

コンサートでは家族が命を吹き込んだピアノと共演
コンサートでは家族が命を吹き込んだピアノと共演

ピアノは、気温や会場に運び入れるまでの環境の変化などでも、音に細かなズレが生じる。コンサート当日、調律をする父・洋さん。調律師として、だけではなくこの日ばかりは「娘のために」という父としての気持ちも込めていた。

繊細なピアノの調律 父も特別な思いを込めて作業
繊細なピアノの調律 父も特別な思いを込めて作業

優衣さんにとっての震災12年

優衣さんが被災したのは、中学2年生の時。故郷・久之浜に押し寄せた津波、その後の火事で多くの人が犠牲になった。2011年に家族が修復に取りかかった奇跡のピアノ。当時は何もできない自分に、もどかしさを感じていた。

故郷は津波・火災にのみ込まれ多くの人が犠牲に
故郷は津波・火災にのみ込まれ多くの人が犠牲に

この12年で変わらなかったのは、音楽で福島を復興したいという気持ちだという。優衣さんは「楽器だと言葉にして伝えることは出来ないけど、音に思いを込めることはできる。その思いがあれば、聞いている方々に伝わると思いながら演奏している」と話す。

当時、叶わなかったことをいま「音楽で福島を復興したい」
当時、叶わなかったことをいま「音楽で福島を復興したい」

伝えたい感情を音色にのせて

優衣さんには、奇跡のピアノの音色が「復興を諦めない」「一緒に前を向いて歩きだそう」と背中を押してくれるメッセージにも聞こえている。

奇跡のピアノから感じる「復興を諦めない」「一緒に前を向いて歩きだそう」というメッセージ
奇跡のピアノから感じる「復興を諦めない」「一緒に前を向いて歩きだそう」というメッセージ

12年前は受け取ることしかできなかったメッセージ。今は傷ついている人の心を癒せるように、明るく生きていけるように。福島の人に伝えたかった12年間の感情を、音色にのせた。

この12年の思いを音色にのせて
この12年の思いを音色にのせて

コンサートを見終えた観客は「震災で負った私たちの傷を、フルートの音とピアノの音でいやすことは、音楽家として素晴らしいことだと思う」「ここ数年で震災も台風も大きな被害受けたので、被災したピアノが弾けるようになってすごく良かった」と話した。

観客にも届いた思い「心の傷を音楽でいやすことは素晴らしい」
観客にも届いた思い「心の傷を音楽でいやすことは素晴らしい」

夢への一歩を踏み出した優衣さんは「ピアノも復興できたので、皆様の心も復興。思い出すことはこれからもあると思うんですけど、前向きな気持ちになってほしい」と語った。

(福島テレビ)

福島テレビ
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