津波と豪雨で傷ついた被災ピアノに新たな命を吹き込んだ調律師が、音色に込めた災害の記憶と教訓。奇跡と希望の共演が叶ったコンサートの舞台裏を取材した。
このままだとガレキかな…
2011年3月11日東日本大震災。福島県いわき市の中学校にあった1台のピアノが、津波に飲み込まれた。
調律師・遠藤洋さん:海水に浸かったピアノなんて、直したことないですよ。初めてですよ
この記事の画像(13枚)調律師の手で修復され「奇跡のピアノ」と呼ばれるようになった。そして…もう1台。
調律師・遠藤洋さん:このままだとガレキかなと、すぐ感じましたね
令和2年7月豪雨で被災した熊本県のピアノ。修復され「希望のピアノ」と呼ばれている。
被災ピアノに新たな命
この2台のピアノが、2022年9月に初めて同じ舞台で音を奏でた。9月10日、大阪のコンサートホールに響く「奇跡のピアノ」の音色…このピアノに再び命を吹き込んだのが、福島県いわき市の調律師・遠藤洋さん。
調律師・遠藤洋さん:
これは直らないと思ってましたよ。でも何もやらない段階で無理だってことになっちゃうんでね、自分達プロとして仕事してる訳だからそれは卑怯かなと思ったわけですよ
修復を終えたから終わり…ではない。
「奇跡のピアノ」は震災の記憶や教訓を伝えるために、全国、時に世界と様々な場所で演奏されてきた。
音色に込める被災の記憶と教訓
調律師・遠藤洋さん:音が、割れたような音になっているから
遠藤さんによると、長距離の移動の影響や運び方によってピアノの音に乱れが出ているという。普段ピアノの音色に触れていない人は気づきにくいであろうわずかなものであっても、見逃すわけにはいかない。コンサートで最高の音色を奏でるために、現地で最後の調整を行うのも遠藤さんの役割。
調律師・遠藤洋さん:
長旅でちょっと疲れていたから、ねじをまいてあげた感じ。あしたのコンサートは、いい感じに奏でてくれると思いますよ
「奇跡のピアノ」の隣には、遠藤さんが修復した熊本の「希望のピアノ」。2台の調律は約5時間に及んだ。
「奇跡」と「希望」
被災直後は音を出すことさえ難しいと言われた2台のピアノが、その音色で会場を優しく包み込む。
調律師・遠藤洋さん:
災害の時は大変なことばかり、マイナス要素ばかりで。そこで僕らがピアノを直そう、やりましょうって言葉がね、灯の光だとは思うんですけども。そういった光から、大きな一番星にはならないけども、希望に思ってくださる方が日本中にたくさんいると思うんです
災害を乗り越えた2台のピアノ。困難から立ち上がる力を私たちに伝えている。
来場者:津波で大変だったのにね、綺麗な音になって。本当に感動しました
来場者:元気もらいましたし、何かできることがあれば、微力ながら協力していきたいと思ってます
調律師・遠藤洋さん:
今、こういう自然災害であったり戦争があると心が痛みますよね。そういった時に一つの心の拠り所になる、それが音楽であるのかなって思います
(福島テレビ)