ヴェンダース監督が小津以上にこだわっているものは“音楽”。彼ほど音楽にこだわる映画監督はそうはいない。その例として『パリ、テキサス』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』が思い浮かぶが、彼と共に音楽の旅をしてみよう。

ヴィム・ヴェンダース監督 第33回高松宮殿下記念世界文化賞・授賞式典 © 日本美術協会/産経新聞
ヴィム・ヴェンダース監督 第33回高松宮殿下記念世界文化賞・授賞式典 © 日本美術協会/産経新聞
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映像と音楽の幸せな化学反応

ヴィム・ヴェンダース監督は、第二次世界大戦が終わった1945年に生まれた。幼い頃からアメリカ文化に魅了され、映画や音楽、コミックが大好きだった。ロックもその一つで、後の監督作品に色濃く反映されている。

筆者は、彼が故ジョン・レノン(1940―1980)やリンゴ・スターの5歳下、ポール・マッカートニーの3歳下、故ジョージ・ハリスン(1943―2001)の2歳下という事実に着目したい。この世代はリズム&ブルース、ロックンロールの洗礼をリアルタイムで体感している。彼の音楽体験を聞いてみた。

弟クラウスと © Wenders Images GbR
弟クラウスと © Wenders Images GbR

ヴィム・ヴェンダース(以下、WW):
16歳か17歳のときに自分で音楽を作り始めました。ジョン・コルトレーン※を尊敬しサックスを演奏していましたが、すぐに自分はコルトレーンではないことに気づきました。

自分に才能があったとは思えません。自分で演奏するよりも、レコードをかける方がずっと得意でしたが、音楽への思いはずっと持ち続けています。音楽は私の人生にインスピレーションを与え続けるのです。

ロックンロールやブルースだけでなく、ワールドミュージック、特にアフリカンミュージック。そしてジャズやクラシック音楽など、私は膨大なレコードコレクションに囲まれています。毎日、とんでもない量の音楽を聴いていますよ。

※ジョン・コルトレーン(1926―1967):モダンジャズを代表するアメリカ人サックスプレーヤー。

ヴェンダース青年 © Wenders Images GbR © Peter Lindbergh
ヴェンダース青年 © Wenders Images GbR © Peter Lindbergh

WW
だから映画を作り始めたとき、自分で編集して音楽をつけることは画期的な経験でした。お気に入りの音楽を自分が撮った映像にはめ込むとどうなるか。そうすると突然すべてが変わり、映像がまったく新しいものに見えてくるのです。

別の楽曲を使えば、別の映画になります。映画学校で初めて経験したこのことが、私の映画作りの原点なのです。映像と音楽が初めて出会う瞬間は、とても素晴らしいことなのです。

映画にどんな音楽が必要になるか。あらかじめ分かることもあれば、撮影中に分かることもあります。一番美しいのは、ロードムービーのように車に乗るとラジオから音楽が流れているような、最初からそこに音楽があることです。

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などは音楽そのものがテーマになっていますが、それも私の得意とするところです。

監督の心に染み入る”ドライブ・マイ・カー”

初めての長編作品『都市の夏』(1970)はイギリス出身のバンド、キンクス※の曲にこだわった。初期のヒット曲をちりばめ、“キンクスに捧ぐ”というサブタイトルまで付けている。以降、『アメリカの友人』(1977)まで7本の長編作品の中でチャック・ベリー※をはじめ数多くのロックンロールが流れている。

ヴェンダース作品を見ることは、現代ロック史の一部を反芻することにもつながるのではないか。

※キンクスThe Kinks:1964年デビュー。1960年代半ば、ビートルズ、ローリング・ストーンズなどと共にイギリスのカウンターカルチャーをアメリカに浸透させたムーブメント“ブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)”の一翼を担ったバンドである。アメリカのハードロックバンド、ヴァン・ヘイレンのデビュー曲(1978)「ユー・リアリー・ガット・ミー You Really Got Me」はキンクス1964年の大ヒット曲のカバーである。

※チャック・ベリー(1926―2017):アメリカのシンガーソングライター、ギタリスト。ロックンロールの創始者の一人。「ロール・オーバー・ベートーヴェンRoll Over Beethoven」(1956)、「ジョニー・B・グッドJohnny B. Goode」(1958)などロックの教科書的楽曲になったものが多々ある。彼がいなければビートルズもローリング・ストーンズもこの世にいなかったかもしれない。

デニス・ホッパー 『アメリカの友人 4Kレストア版』(1977/西ドイツ・フランス/カラー/ヨーロピアン・ビスタ/128分)© Wim Wenders Stiftung 2014
デニス・ホッパー 『アメリカの友人 4Kレストア版』(1977/西ドイツ・フランス/カラー/ヨーロピアン・ビスタ/128分)© Wim Wenders Stiftung 2014

ヴェンダース監督の音楽の使い方で特徴的なことがある。登場人物が心情の発露として歌を口ずさんでいることだ。実際の曲を流すこともあるが、脚本を自ら書いたときには、こだわりを反映して登場人物が歌詞の一部をせりふとして言ったり、歌詞そのものを口ずさむことが多い。

若き日のヴェンダース監督が心に染み入るまで聞き込んだのが、キンクスやボブ・ディラン、ビートルズなどの歌である。それは登場人物にとっても共通体験であろう。彼らが口ずさむ歌は、映画のサウンドトラック以上に、人生のサウンドトラックなのかもしれない。

1977年製作の『アメリカの友人』では、余命いくばくもない額縁職人(ブルーノ・ガンツ)が車を運転する前に、妻に向かってビートルズの「ドライブ・マイ・カーDrive My Car」(1965)を口ずさむ。

「ベイビー、俺の車を運転してくれ Baby, you can drive my car」
(筆者註:実際のビートルズの曲は女性目線での歌詞だが、映画のこのシーンでは男性の心情となっている)

監督自身、DVD収録のコメンタリー音声でこのシーンのことを「ビートルズの引用は必然だった」と語っている。

さらにはロードムービーの第一人者であるヴェンダース監督にとって、車はいつも小道具以上に重要な“登場人物”だと分かる。

ニューヨークにて © Wenders Images GbR
ニューヨークにて © Wenders Images GbR

『パリ、テキサス』の音楽誕生秘話

1984年にカンヌ国際映画祭で最高賞であるパルム・ドールを獲った『パリ、テキサス』はライ・クーダーのスライドギターなしでは成立しない映画である。音楽が作品にどのような影響を与えたか聞いてみた。

WW
最初からなんとなく、ライ※が音楽をやるべきだと思っていました。以前、一緒に仕事をしたかったのですが、スタジオに「ギタリストは必要ない。作曲家が必要だ」と言われました。(筆者註:1982年の映画『ハメット』のこと。結局、『007』シリーズの作曲家ジョン・バリーが音楽を担当した)

ライは作曲家ではなく楽譜も読めないのですが、素晴らしいギタリストなのです。

私たちは彼が理解した通りに映画を作りましたし、私もそれを後押ししました。マイルス・デイヴィス※が『死刑台のエレベーター』(1958)の音楽を担当したようにね。マイルスもライと同じように楽譜を読まないので、映像に合わせて即興で音楽を作りました。

※ライ・クーダー:1947年アメリカ・ロサンゼルス生まれ。幼い頃からギターを弾き始め、10代半ばにはプロのミュージシャンとして働く。スライドギターの名手として知られ、ローリング・ストーンズやニール・ヤングなどの録音にも参加している。

※マイルス・デイヴィス(1926―1991):アメリカのジャズトランペット奏者、作曲家、編曲家。「モダンジャズの帝王」

ライ・クーダー(右)『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999/ドイツ・アメリカ/カラー/ビスタ/105分)© Wim Wenders Stiftung 2014
ライ・クーダー(右)『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999/ドイツ・アメリカ/カラー/ビスタ/105分)© Wim Wenders Stiftung 2014

WW
『パリ、テキサス』のためにハリウッドの映画館を貸し切って、ライはそこにギター、アンプ、録音機材、それと自分の技術を持ち込みました。そして、スクリーンの前に立って、即興でギターを弾きながら映画の伴奏をしました。

曲にはテーマがありました。「ダーク・ワズ・ザ・ナイトDark Was the Night」というブラインド・ウィリー・ジョンソン※の曲をベースにして演奏しました。この曲、実は19世紀に作られた賛美歌が元になっています。

ライは即興で各シーンを伴奏し、それが完璧に映像とフィットするまで何度も演奏しました。時には、完全に納得するまで20回、30回と繰り返しました。

だからこそ、この音楽は驚くほど映像にフィットし、まるで撮影時にすでに映画の一部であったかのように感じられたのです。時々、ライがギターを持ってもう一度映画を撮影したような気がしました。

※ブラインド・ウィリー・ジョンソン(1897―1945):テキサス生まれの盲目のブルースギタリスト、ゴスペルミュージシャン。

ナスターシャ・キンスキー 『パリ、テキサス2Kレストア版』(1984/西ドイツ・フランス/カラー/ヨーロピアン・ビスタ/148分)© Wim Wenders Stiftung 2014
ナスターシャ・キンスキー 『パリ、テキサス2Kレストア版』(1984/西ドイツ・フランス/カラー/ヨーロピアン・ビスタ/148分)© Wim Wenders Stiftung 2014

新作映画での音楽へのこだわりは

日本で撮影した4本目の作品となる“トイレ映画”にヴェンダース監督はどんな音楽をつけてくれるのだろう。今、監督の住むベルリンで構想中かもしれないが、国内外を問わず大流行している日本のシティポップもいいかも、と筆者は妄想する。ソフィア・コッポラ監督の『ロスト・イン・トランスレーション』(2003)では、はっぴいえんどの「風をあつめて」(1971)が東京の物語に彩りを加えていたことを思い出す。

しかし、「ロードムービーで参考にした作品はない」と言い切る監督である。誰かがしたことを絶対にしないタイプだけに、東京―渋谷―公共トイレをつなぐ音楽は私たちを新たな想像の旅に連れていってくれるに違いない。

ドナータ夫人と―2022年東京 © 日本美術協会/産経新聞
ドナータ夫人と―2022年東京 © 日本美術協会/産経新聞

(サムネイル:『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』撮影中のヴェンダース監督とコンパイ・セグンド © 1999 Road Movies / Courtesy of Wim Wenders Stiftung)

ヴェンダース監督の世界文化賞受賞を祝い「ヴィム・ヴェンダース 第33回高松宮殿下記念世界文化賞 受賞記念Blu-ray上映会」(主催:記念上映実行委員会)がこれから来年にかけて全国で開催予定である。

中本 尚志
中本 尚志

フジテレビ国際局国際渉外担当。
ワイドショーのディレクター時代にエンタメネタと同時にベルリンの壁崩壊を取材。
ロサンゼルス駐在員時代には一時期、報道特派員も兼務。
国内外の芸術文化ジャーナリズムの一端を見つつ、国際エミー賞など世界のテレビ・メディア賞の審査員を毎年務める。
映画は小津安二郎、音楽はビートルズから学び、この二つの記号と共に21世紀文化を見続けたい。
広島出身。