ヒトは進化の過程でどのように「言語を」獲得したのか? この進化のプロセスの重要な一端が明らかとなった。

京都大学ヒト行動進化研究センター・西村剛准教授らの研究チームが、ヒトの声帯はサルに比べて単純な形であり、音声言語に適応した形態に進化していたという研究結果をまとめたのだ。

研究チームは、声帯の形態を調べるために、43種類のサル類の喉の標本を高解像度CTで解析。その結果、どのサル類にも声帯の上に、ヒトにはない「声帯膜」という組織があることが確認されたという。

サル類の声帯膜(画像提供:京都大学ヒト行動進化研究センター・西村剛准教授)
サル類の声帯膜(画像提供:京都大学ヒト行動進化研究センター・西村剛准教授)
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ニホンザルやチンパンジーなどで声帯を振動させる実験などを行ったところ、サル類は声帯膜が振動の主体で、声帯が付加的であることが判明。

さらに、サル類は声帯と声帯膜の相互作用により、声を大きくすることや多様な音声をつくることができるが、声帯に不規則な振動が起きたりするなど、音源の安定性に欠けた。一方、ヒトは声帯膜を持たないが、単純な声帯を震わせて、安定した音源をつくることができることがわかった。

こうしたことから、ヒトは多様な母音や子音を一息の中で連ねて言語コミュニケーションをとっているが、声帯が単純な構造だったからこそ、複雑に音素を連ねる音声言語が安定して繰り出せることが示されたという。

音の源を作る“喉の研究”はほとんど進んでいなかった

では、そもそもヒトの言語の進化というのはどこまでのことがわかっているのか? また、今回の研究はどれくらいすごい発見なのか? 研究チームの一人である京都大学ヒト行動進化研究センターの西村剛准教授に詳しく話を聞いてみた。


――なぜこの研究を始めた?

元々、言語の起源というのが研究のテーマにありました。言語にはいろんな側面があり、その1つが音声を出してコミュニケーションをするというものです。

サルと我々の音声の大きな違いというのは、私たちヒトは一息で「あいうえお」と言えますが、サルはできないという点です。「あいうえお」と素早く音をつなげられないと言語のような大量の情報を外に出すコミュニケーションはできないわけです。サルがいくら「ホーホーホー」と鳴いても、言葉にはならない。こういう音声をどのような進化を経て出せるようになったのか、が私どもの研究テーマだったわけです。

その一環として、今まで「あ」「い」と音の種類を決める器官(舌や唇)の比較形態を進めていたのですが、その音の源を作る喉の研究がほとんど進んでいなかったので、やってみることになりました。


――ヒトの声をテーマにした進化の研究は難しい?

何百年前なのか?といった時間を知るのは、まだまだ難しいと思います。進化の研究でいつ?を知るのは確かに重要です。例えば、霊長類は6500万年くらいかけて進化してきているわけですが、その間、どのような道筋を辿って今ある姿になったのかというプロセスを知ることも同じくらい重要です。

現生のサルと比べることで、私たちが言語の音声を発するのに必要な身体の特徴の、このパーツはどのサルとの共通祖先まで遡ることができるのか、といった進化のプロセスを知ることができます。


――ヒトの言語獲得は、これまでどこまでがわかっている?

言語の進化、起源というのは人類進化史上一番謎が多いところです。例えば、私たちは指を使ってつまむことができますが、これは化石を見ればわかることですので、その進化プロセスは比較的によくわかっています。しかし、言語は化石にも残らないのでどう進化していたかはよくわかってません。

例えば、研究者の中には、今ある言語は、ホモサピエンスが持っていて、近縁なネアンデルタール人は持ってないだろうという人がいたり、いやいや、もっと遡れるだろうと考える人もいます。言語は色んな要素が組み合わさって出来上がるので、その人がどの要素に着目するかで見解はバラバラです。

少なくとも、ホモサピエンス、私たちは言語を持っていますが、それ以前の人類がどのような言語的なものを持っていたのか?はまだまだコンセンサスと言えるものはありません。

「声帯膜はヒトだけがなくなった」を確かめたことが大きな発見

――サルの声帯膜を見つけたことは画期的なの?

私たちが多くの種を調べることで、声帯膜はヒトだけがなくなったということを確かめたことが大きな発見ですね。声帯膜があのサルにあるのではないかといった報告はいくつかすでにありました。多くの研究者が考えていたのは、このサルでは声帯膜があって、あのサルにはないといったことで、ヒト以外の霊長類はみんな持ってるとは思っていなかったわけです。

今回、我々の研究は、大量の標本で確かめることができて、ヒト以外の霊長類がみんな声帯膜を持っていたので、それゆえにヒトだけがこれを失ったんだ、というのを明らかにしました。過去から大事に引き継がれてきた大量の標本があるからできるわけであって、今、誰かがいきなり我々と同じ研究を始めたいと思っても、すぐにはできません。そんなものを誰も持っていないからです。


――今回の研究で驚いたことは?

死んだサルから摘出した喉に空気を送り込んで、声帯を振動させる実験をしました。そうすると、声帯や声帯膜がどういう風に運動してるかわかるのですが、その時に初めて声帯膜が振動しているのに気づきました。それがこの研究の一連のきっかけで、声帯膜を研究すると面白いのではないかと?思うようになりました。

それまでは、声帯膜はあるかもしれないが、あっても振動するとは考えられておらず、ヒトと同じように声帯が振動していると思い込んでいました。声帯膜というのは単なる付属器官だと考えられていたからです。そんなとき、私たちは、実験で声帯膜が振動しているのをみたわけです。私たちヒトが振動で使ってる声帯は、サルではほとんど振動しないのです。
 

※イメージ
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――ヒトの声帯膜はいつなくなった?

今の段階では、この人類からなくなりましたとは断言できないです。全然わからないです。

ただ、ここからは私の単なる推測です。大型類人猿(ゴリラやチンパンジー)は喉頭嚢という気嚢を持っています。この喉頭嚢は大きな音声を出すのに役立っています。私たちヒトは、それを持っていません。これがアウストラロピテクスであるという証拠が見つかっているのです。それ以降の人類では、喉頭嚢がないという証拠はあるけれども、あるという報告はない。

喉頭嚢の喪失と、声帯膜の喪失が連動しているかどうかは全く誰もわからないのですが、推測としては同じようなタイミングで声帯膜もなくなったんじゃないか?と思っています。声帯膜を形成する遺伝子みたいなものが見つかれば、遡れると思いますが、今はさっぱりわかりません。

ヒトの単純な声帯は意図的なコントロールがしやすい

――サルは声帯膜を取れば話せるようになる?

運動する末梢器官の形が整っても、運動をコントロール、制御するシステムがないと話すことはできません。声帯膜だけ取ってもサルはフーとかしか言わないでしょう。


――研究を発表して反響はあった?

業界内の反響は大きかったです。ただ、私はワニのヘリウム音声の研究でイグノーベル賞を受賞したことがありますが、その時に比べれば、一般の方々の反応はほとんどないです。

(関連記事:「ワニもヘリウムガスを吸うと声が変化」にイグ・ノーベル賞…受賞した日本人に“実験方法”を聞いた

――今後、どんなアプローチで研究していく?

今回の研究では、ヒトの単純な声帯は意図的なコントロールがしやすい、制御しやすいのではないかということが示されました。声帯に加えて声帯膜があると、その振動の意図的なコントロールがうまくいかない、それらが不規則な挙動をして、意図した音声を作りにくいということを議論しました。

次は、音声の振動を制御するシステム、運動の制御の話をやりたいと思います。

西村剛准教授 (画像提供:京都大学ヒト行動進化研究センター 西村剛准教授)
西村剛准教授 (画像提供:京都大学ヒト行動進化研究センター 西村剛准教授)

ヒトは進化の過程でどのように言語を獲得したのか?という壮大な謎は、まだまだわからないことが多いようだ。今回、進化のプロセスの重要な一端が示されたわけだが、引き続き研究を進め、人類の謎を解き明かしていってほしい。

プライムオンライン編集部
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FNNプライムオンラインのオリジナル取材班が、ネットで話題になっている事象や気になる社会問題を独自の視点をまじえて取材しています。