40年前の長崎大水害は、車社会特有の「水による車の被害」や社会的影響が初めてクローズアップされた災害だった。「あの夏の雨」から40年、水害とクルマについて考える。

保険代理店「福助」の会長、泉健彦さん(78)。当時、長崎市の浦上川の下大橋付近で見た光景が忘れられないという。

保険代理店「福助」会長・泉健彦さん:
(水害から数日経っても)10台とかは(川の中に)あった。一抱えになっているような印象のものもありました。折り重なるように、橋桁のところまで積み重なるようにありましたね。せめてもの幸いに(車の中で)お亡くなりになった人を目にすることはなかったですけどね

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車の冠水や流出被害…保険金の支払総額12億円超に

1982年(昭和57年)7月23日の長崎大水害。坂の町、長崎では1時間雨量187mm、3時間雨量366mmという豪雨で、中心部では一気に濁流が押し寄せた。

雨のピークが帰宅時と重なったこともあり、走行中や停車中に流されたり、土石と一緒に転落、埋没したりして、放置された車は1,568台に上った。特に路上に放置された車は、復旧作業の妨げにもなった。

車の冠水や流出被害が、社会的に大きくクローズアップされた災害だった。

当時は、個人で損害保険の代理店業を営んでいた泉さん。顧客の車両で保険の対象となったのは6台だった。中心部の稲佐橋の中央で、車が動けなくなったケースもあったという。

保険代理店「福助」会長・泉健彦さん:
車を歩道の方に、縁石を越えて持ち上げて、車を一晩放置しておいたと。中に水と土砂がいっぱい詰まってて。(浸水が)突然だったから、みんな心構えもなかったし、どこかに移動しようというのもできなかった。
エンジンに打刻されている車体番号、これを見つけて、なるほど、これがそうだ、というのも1台ありました。ナンバープレートも外れてしまっているんですよ。全く車がわからなかった、出てこなかったというのもありました。推定で保険会社が全損で払ってくれました。

当時、保険金の支払いは、県内で一般車両1,669台、商品車1,268台で、額は合わせて12億6,281万3,000円に上った。

「行くな」消防団の声がけで命つながる

あの夏の雨から40年。水害で犠牲になった299人を慰霊するため、2022年7月23日に中島川沿いに299本の竹灯籠を灯す計画を、市民が進めている。
この実行委員会のメンバーにも、当時の惨状に遭遇した人がいる。あの日の夕方から夜にかけ、車で職場から自宅へ、慣れた道を通って迂回をしたのは前川文雄さんだ。

グリーンヘルパーの会・前川文雄さん:
繁華街近くの中央橋辺りはもうプールになっていて、金比羅神社の方から、すごい水が滝のように流れていて、道路の真ん中辺まで滝のようにどーっと、噴水のように流れていて、車がみんな流されたり、立ち往生する中を無事に家に帰り着いた。

大塚正和さんは知人宅を訪ねた帰りに、車でいつもとは違う道を通って帰宅した。

環境保全研究所・大塚正和さん:
「これ以上行くと、川の水が氾濫しているから危ないから、ここまででストップですよ」ということで、そのまま突っ込んでいたら、(妻と)2人ともたぶん犠牲になってたんじゃないかと。消防団がこれ以上行くなと言ったことが、今思えば命をつないでもらったのかな。そういう感じ

知られていない車両保険…契約条件の確認を

梅雨末期や台風の大雨で近年、全国で毎年のように大きな被害が出ている。

車は避難に欠かせないが、浸水で走行できなくなるほか、車の中に閉じ込められる、車ごと流されるといった危険性も徐々に知られてきている。

一方で、知られていないのが、自動車保険の中の車両保険だ。交通事故以外のリスクをカバーするもので、一般的な車両保険では水没した車両の修理代や買い替え費用が補償される。

しかし、加入率は全国平均が45%なのに対し、長崎県は39%となっている。また一部の車両保険では水損が選択性になっているため、加入者は契約条件を確認しておくことが大切だ。

また、災害時の車のリスクに備えて企業側の意識も高まっている。
県遊戯業組合は、万一の場合、大切な命と財産を守るための避難先として、パチンコ店の駐車場を提供する協定を2年前、県と結んだ。

駐車場の無料開放は、以前から取り組んでいる店舗もあった。

災害に備えて、ハザードマップなどで安全な避難ルートを確認しておく。それと同時に、ドライバーは水害リスクもふまえ、どの程度の水深まで車で避難できるのかなど、命と財産を守るための事前の準備と心構えが肝要だ。

(テレビ長崎)

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