これまでの日本酒の常識を超えた、新しいジャンルの酒が広島から誕生しようとしている。開発を支えたのは、多くの困難を乗り越えてきた広島の酒造りの技と新たな技術。

雑味なく透明感のある酒 苦難の酒造りの歴史

広島市内で開かれた酒の発表会。広島の3つの酒蔵が、新しい精米技術で磨かれた米で酒を造った。これまでにない雑味のない透明感のある酒。

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発表会参加者:
おいしいです。全部好きです

日本酒の可能性を広げる新たな酒は「真吟(しんぎん)」と名付けられた。

この酒、もともと水が酒造りに向かなかった広島で、酒米づくりと精米技術を磨いてきた歴史と大きな関係がある。

1876年(明治9年)、東広島市安芸津町で酒造家の三浦仙三郎が酒造りを始めた。

しかし、ほとんどの酒は腐ってしまう。原因は水だった。広島の水は酵母の栄養となるミネラルが少ない、いわゆる「軟水」。軟水では酵母の発酵が遅くなり、安定した酒造りが難しかった。

仙三郎たちは軟水で酒を造る方法を考える。この時、仙三郎の元に酒米を届けたのがサタケの創業者、佐竹利市だった。

後年、佐竹利市は日本初の動力精米機を完成させ、精米業界になくてはならない存在となった。

利市が磨いた米で仙三郎が酒を造る。失敗を重ねながらも1897年(明治30年)、ついに仙三郎たちは、軟水でも品質の高い酒を造ることが出来る「軟水醸造法」を完成させた。

広島の酒造りが日本酒に新たなジャンルを誕生させた瞬間だった。あれから125年経った今、日本酒は迷路に迷いこんでいる。

米をどこまで削るかが酒の価値に 実用化不可能とされた「扁平精米」

かつて日本酒業界に新風を吹き込んだのは「吟醸酒」。フレッシュで繊細な味わいを特徴とする吟醸酒は、4割以上削った白米が原料だ。

米をどれだけ削るかが酒の価値になってしまう…。この価値観に日本酒はからめとられているという。

今田酒造・今田美穂 社長・杜氏:
精米の技術が上がることによって30%精米、20%精米ということが発達してきた。それがゼロまで行き着いて、我々はこれから消費者にどう新しいものをプレゼンテーションできるかということに閉塞感があった。吟醸酒の次に来るものは何なのかというのは、実は日本酒業界の長い間の大きなテーマだった

そんな日本酒業界に一石を投じたのが、佐竹利市が創業したサタケ。その技術の発見は偶然だった。

サタケ プラント営業部・新山伸昭 酒米専任部長:
新しい材質の砥石でテストをしたところ、思いもしなかった平たくなる米が出て来て、我々も初めて目にしました

通常、米は丸い形に精米される。平らに薄く米を削る技術は「扁平(へんぺい)精米」と言われ、酒造りに有効であることは以前から分かっていた。

サタケ 先行技術本部・川上晃司 副本部長:
酒にした時に香りが乗らないので、たんぱく質をともかく取りたい。たんぱく質自体は米の内部まであるので、丸く削っていってもなかなか減ってこないという事がありました

しかし、この扁平精米は生産性に問題があり、長年、業界では実用化は不可能な技術とされてきた。

サタケ 先行技術本部・川上晃司 副本部長:
今までの精米機で平たく削ろうと思えば、精米機の回転数をゆっくりにして削らなければならない。時間はいっぱいかかるけども思ったような形にならないという、なかなか実用化が難しい技術でした

開発は何度も壁にぶつかる。

サタケ 先行技術本部・川上晃司 副本部長:
米を削る時にロール(砥石)で削るのですが、米に強い力を与えると米自体が動いてしまって、そうなると米はどんどん丸く削られる…それが難しかった

精米機の中で、米がどのように動いているのかを目で見ることはできない。これまでの経験から推測するしかなかった。

米の動きを「見える化」した新型精米機 でも酒蔵が使ってくれない

これを「見える化」しようという技術者が現れる。精米チームの橋本悠希さん。コンピュータ上で、精米機の中の米の動きを再現することに成功した。

サタケ 技術本部ブランドグループ・橋本悠希 主務:
開発者の思っていたことが、実際にコンピュータ上で起こっていたことが分かった。逆に、今まで自分がこうだろうと思っていたことと違うことも起きていて、新しい発見が今回生まれた

新たな技術が開発を前に進めた。

サタケ 技術本部ブランドグループ・橋本悠希 主務:
経験と勘というのは、ひとりひとりが自分の心の中にあるので、みんな意見が違うんですけど、このシュミレーションを見ることによって1つの方向に進める。この結果だからこうやっていけばいい、というのが明確になったので、よりチームとして動きやすくなった

開発を始めて4年後、新型精米機が完成した。

サタケ 先行技術本部・川上晃司 副本部長:
今まで見たこともないような平べったさ、米の輝き。こんなことも出来るのかなというのが率直な気持ちでした

Q:早く酒にして欲しい?

サタケ 先行技術本部・川上晃司 副本部長:
そこも大いにあります

サタケ プラント営業部・新山伸昭 酒米専任部長:
そういった形状に米を磨くことがいいのは分かっていた。ところが、我々の業界の精米機の技術ではそれが難しくてできなかった。それが出来たじゃないかと

サタケは「扁平精米」に由来する技術、米、酒を総称して「真吟」と名付けた。しかし、酒蔵の反応は決して芳しくなかった。

サタケ プラント営業部・新山伸昭 酒米専任部長:
大多数のお客は理解はしてくれたが、その米を使って酒を造ろうとは思わなかった。このままこの技術を眠らせてしまう可能性もあると思ったので、焦りはしました

広島の底力がつくった「真吟」を新たなブランドに

その時、ある酒蔵が名乗りを上げる。三浦仙三郎の故郷、東広島市安芸津町の今田酒造だ。

社長で杜氏の今田美穂さんは、日本酒の現状に行き詰まりを感じていた。

今田酒造・今田美穂 社長・杜氏:
吟醸酒の次に来るものは何なのかというのは、実は日本酒業界の長い間の大きなテーマだった

日本酒の新しいジャンルを作れるかもしれない。今田さんは、出来たばかりの真吟の酒米で酒を造った。

今田酒造・今田美穂 社長・杜氏:
出来た酒もすごくよかった。これは全然違うものだなと確かに感じた。今までの60%精米で作った酒の味と真吟精米は明らかに違っていたので、これはすごく面白い技術だと思った

サタケ プラント営業部・新山伸昭 酒米専任部長:
女性や若者が好む、今流行りの酒というと語弊があるかもしれないが、そういった酒が出てきた

Q:これまでは全く違う?

サタケ プラント営業部・新山伸昭 酒米専任部長:
そうですね。なかなか業界にはなかった。本当に最先端の味だと思います。それが大きな潮目になったと思います

今、新たなジャンルの酒作りに多くの杜氏たちが挑戦を始めている。

藤井酒造・藤井義大さん:
いわゆる純米大吟醸とか純米吟醸という概念自体がなくなる可能性も含んでいる

Q:真吟精米というブランドができる可能性は?

藤井酒造・藤井義大さん:
十分に考えられると思います

三輪酒造・三輪裕治さん:
歴史に残る。真吟精米はひとつのポイントになるのは間違いないと思う

今田酒造・今田美穂 社長・杜氏:
広島の底力ですよ。困難を技術で乗り越えてきた広島の原動力というか。それを培ってくれた先輩たちが、活を入れた。「お前らそんなぐじぐじ言ってないで、技術というのはいつも発展して新しい世界を作っていくものなのだ、何やってんだ」と言われたような

125年前、三浦仙三郎と佐竹利市たちが起こした奇跡。今、利市の遺徳を継ぐ者たちが磨いた米で、仙三郎の思いを継承する杜氏たちが酒を醸す。広島の酒蔵から新しい日本酒が生まれようとしている。

(テレビ新広島)

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