宮城県石巻市に住む武内宏之さんは、元新聞記者だ。石巻日日新聞で40年近く記者をしてきた。石巻日日新聞といえば震災発生当時、津波で輪転機が使えなくなり手書きの壁新聞を発行したというエピソードがあるが、武内さんは、その当時の報道部長だった。
武内さんは退職した今も取材を続け、人々の生活や言葉を後世に伝えていこうとしている。一方で、武内さんの活動は書くことだけにとどまらない。

記者の仕事で培った「伝える力」…書く一方で伝承活動も

武内宏之さん(64歳)石巻市で生まれ育ち、5年前まで地元の新聞社で記者として働いていた。

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新聞社を退職した今も取材を続け、11年前の震災の体験、被災地の人々の言葉を本にまとめようとしている。

武内宏之さん:
プロとしては書かなきゃいけない。震災に関する一つ一つ、一人一人のことを考え出すと、俺の表現力でいいのかどうか。乏しいボキャブラリーで。やっぱりそこから逃げる

武内さんは「書く」作業の一方で、記者の仕事で培った「伝える力」を生かし、伝承活動も行っている。

武内宏之さん:
未来の被災地、“未災地”の人たちに「とにかく命だけは守ってください」とどう発信していくかが大きなテーマじゃないかと、10年を迎えて取材していて感じている

この日は千葉県浦安市の教育関係者に向けて、オンラインで講演した。

武内宏之さん:
6年生に言ったのを記憶しています。あれだけの災害を乗り越えたんだから、これから生きていく上でぶつかるであろう壁なんてたやすいもんだ。そういう自信と力にしてほしいというメッセージを最後に言った。震災を知るということから、どのように生かしていくか、周りの大人からアドバイスがあるかどうかでかなり違う

オンラインの講演を企画したのは、浦安小学校の船橋紀美江 校長だ。船橋校長は2011年7月に視察で石巻市を訪れてから、ほぼ毎年石巻に足を運び、武内さんの話を聞いてきた。

浦安小学校・船橋紀美江 校長:
震災があって武内さんに出会えたし、石巻という地域に出会えた。震災を意味のあるものにしていかないといけない

3.11を意味あるものに…伝えたい「命の大切さ」と「生きる力」

船橋校長は、武内さんから学んだ「生きていく上で大切なこと」を児童に伝える授業を開いている。

浦安小学校・船橋紀美江 校長:
2011年3月11日。何が起こった日か覚えてますか。覚えている人。はい、じゃあみんなで言ってみて

児童:
東日本大震災

浦安小学校 船橋紀美江 校長:
そうだね、さすが6年生です。みんなは何歳だった。1歳か2歳だね。記憶ある?ないよね

震災を知らない子供たちに知ってほしいのは、「震災の悲惨さ」ではなく、「命の大切さ」、誰もが持つ「生きる力」。

浦安小学校・船橋紀美江 校長:
先生は石巻に行っていろいろな人に出会いました。どんな辛いことがあってもどんな困難にあっても、乗り越える強さを持っていることを見せてもらっています。みんなもその強さを持っているんだから、自信を持って中学生になってほしい。そして、東北の人たちからのメッセージ、みんなの命を大切にしてほしい

取材し続け、伝え続ける 人それぞれの「心の復興」に向き合う

書くこと、話すことで震災を伝え続けてきた武内さん。それでもまだ出会っていない人たちがいて、まだ知らない被災地の姿があると考えている。コミュニティーが復活したと考えていた小さな集落の現状は?津波で幼い妹を亡くした女性の変化は?3人の子供を亡くし、死も考えたという男性の「生きる目的」とは?武内さんの取材は尽きない。

武内宏之さん:
今、言われている心の復興というのは本当に人それぞれ違う。何人取材したら見えてくるのか、それさえもわからない

書き残したいことは山ほどある。

武内宏之さん:
取材し続ける、伝え続けることが役割じゃないか

石巻で生きる武内さん。きょうも書き続ける。

(仙台放送)

仙台放送
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