1970年代に国際テロを繰り返した「日本赤軍」の重信房子・元最高幹部(76)が、さきほど、懲役20年の刑期を満了し、出所した。2000年に逮捕されてから、およそ22年ぶりに”塀の外”に出たことになる。

がんを患って、都内の医療刑務所で治療を受けていた重信元最高幹部は、午前8時前、娘のメイさんや支援者らの出迎えを受け、車で刑務所をあとにした。刑務所前で、車を降りて、支援者に挨拶をする場面もあったが、右翼団体が抗議するなどして、一時騒然とした。

出所後、記者会見を行った重信元最高幹部は、開口一番、「やっぱり生きて出てきたなという感じが強くある」と述べた。そして、「私の逮捕によって多くの人たちに迷惑をかけたこと、50年前の闘いによって、見ず知らずの無辜の人たちに被害を与えたことがあった。この機会にお詫びしたい」と謝罪した。病身の重信元最高幹部は、会見中、声を震わせる場面もあった。

左翼グループの赤軍派幹部だった重信元最高幹部は、パレスチナ問題に傾倒して1971年にレバノンへ出国、「日本赤軍」を結成してリーダーとなった。

日本赤軍は、1972年に26人が死亡したイスラエル・テルアビブのロッド空港での銃乱射事件、1974年にオランダのフランス大使館を武装占拠したハーグ事件など、中東や欧州などで彼らの言う“武装闘争”、いわゆる“テロ活動”を展開し、過激な国際テロリスト集団として世界中を震撼させた。

ハーグ事件で国際手配されていた重信元最高幹部は、その後、日本国内に潜伏していたことが判明。2000年11月に大阪府内の路上で歩いているところを、大阪府警により逮捕された。

殺人未遂などの罪に問われた重信元最高幹部は、裁判では、一貫して無罪を主張していたが、一審・二審ともに懲役20年の判決を受け、2010年に刑が確定した。日本赤軍をめぐっては、未だに、7人のメンバーが逃亡中で、国際手配されている。

重信元最高幹部は出所に合わせて、「政治的意図と直接関係の無い方々に心ならずも被害を与えてしまった」などと反省や謝罪の文言がつづられた手記を公表するという。出所後はガンの治療に専念する意向も示されている。

出所後、記者会見を行う重信元最高幹部(午前8時すぎ 東京・昭島市)
出所後、記者会見を行う重信元最高幹部(午前8時すぎ 東京・昭島市)
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社会部
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