20年前の日韓ワールドカップで、ブラジルを優勝に導いた立役者の1人がエジミウソン・モラエス氏だ。困窮家庭で幼少期を過ごしたエジミウソン氏は、経済的理由でサッカーを諦めざるを得ない日本の子どもたちを支援する活動を行っている。
5月に来日するエジミウソンさんにその理由を聞いた。

困窮家庭で育ったブラジルサッカー界のレジェンド
エジミウソンさんはブラジル・サンパウロの郊外で三兄弟の次男として1976年に生まれた。家はオレンジ農家で生活は決して楽ではなかったとエジミウソンさんは語る。
「父と母の農作業を子どもの頃から兄と私で手伝っていました。物心ついた時には路上や空き地でサッカーをやっていて、学校が半日で終わると寝る時間までサッカーをやっていましたね」
その後エジミウソンさんは1991年に「キンゼ・デ・ジャウー」というチームの下部組織に500人以上の中から選抜された。しかし当時、エジミウソンさんの家庭の経済状況は厳しく、父親が家族のためのお金を自分に注ぎ込んでいることを知ってエジミウソンさんは苦しんだ。
「父と兄弟から『お前には夢があるんだから、サッカーを続けろ』と言われました。しかし家庭の状況をみてサッカーを諦めるべきではないかと思いました」
日本人の友人から渡された300ドルが人生を変えた
チームには三浦知良選手もかつて所属しており、当時は日本からのサッカー留学選手が多く、その中にいたのが林善徹さんだった。エジミウソンさんと林さんは同い年だったこともあり意気投合した。
「林は親友だったのでその悩みを打ち明けたのですが、その時に彼が300ドルを手渡ししてくれたのです」

当時のブラジルでは300ドルあれば4カ月は暮らせた。お金を受け取ったエジミウソンさんは「これでサッカーを続けられる」という安堵以上に、「サッカーで成功したい」というモチベーションがわいたという。
「自分のサッカー人生を振り返ったときに、このことはとてつもなく大きなモチベーションに繋がったと感じています。また、私と林は兄弟のようになりましたね」
「私にとって日本は特別な地なのです」
その後エジミウソンさんは頭角を現してブラジル代表に選ばれ、日韓ワールドカップではディフェンスの要としてブラジルの優勝に貢献した。当時日本に帰国していた林さんとも再会し、2人は友人としてだけでなくビジネスパートナーとなった。

そして林さんが子どものサッカー教室を開催すると、エジミウソンさんは来日し子どもたちにサッカーを教えた。
「私をサポートしてくれた林への感謝もあります。また日本はワールドカップで(ブラジルが)優勝した国で、FCバルセロナでのデビュー戦も日本でした。私にとって日本は特別な地なのです」
日本の子どもたちに世界へチャレンジできる環境を
日本で子どもたちにサッカーを教える理由を聞くと、エジミウソンさんはこう語る。
「日本には何度も来ていますが、子どもたちがスポーツに夢中になっている姿が印象的です。私が一番幸せに感じるのは、子どもたちが笑顔でスポーツを楽しんでいるのを見ることです。サッカーに限らずスポーツの価値は素晴らしいものがあります。健康や仲間とのつながりを得られ、目標を見つけるきっかけにもなる。それを子どもに伝えていかなければならないと思っています」

エジミウソンさんは現役時代の2005年にブラジルにエジミウソン財団を立ち上げ、経済的な理由で夢を諦めざるを得ない子どもたちの支援を行ってきた。そして2021年9月にはシンガポールにエジミウソンファンズ・アジアを設立し、日本で経済的に困難な家庭の子どもたちの支援を始めた。
「エジミウソンファンズの日本でのミッションは、子どもたちに世界へチャレンジできる環境を提供することです。子どもたちがスポーツを楽しむ経験は、これから生きていくうえで重要です。ファンズを通じてより多くの子どもを支援していきたいと思います」

「厳しい環境にいてもスポーツを楽しんでください」
最後に日本の子どもへのメッセージを聞いた。
「難しい環境にいても、いま目の前にあるスポーツを楽しんでください。私も経済的困難からサッカーを諦めざるをえない時期がありました。ただそこで諦めない気持ちを持つことで、友達や家族がサポートしてくれ乗り越えてきたのです。私たちは皆さんが人生の夢や目標を持つための環境づくりに取り組んでいきます。素晴らしい将来を築いていけるようにしましょう」
エジミウソン氏は5月に来日し、日本の困窮家庭の子どもたちにサッカーを教えるのを楽しみにしている。

【執筆:フジテレビ 解説委員 鈴木款】