スポーツの世界には、“マンガの世界でしかありえないような仰天エピソード”が数多く存在する。

10月4日放送の「ジャンクSPORTS」(フジテレビ系)では、そんなマンガみたいな話をアスリートが出演する再現ドラマ仕立てで紹介する新企画『スポーツマンガみたいな話』を。6本の再現ドラマで、アスリートたちが慣れない芝居に挑んだ。

再現ドラマより
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「ロペス」違い…?

まず1話目は、人違いによって来日した助っ人外国人選手のエピソード。

1968年、東京オリオンズ(現在千葉ロッテマリーンズ)は悲願の優勝を果たすため、大物メジャーリーガーの獲得を目指し、当時のオーナーがその大物の獲得に成功する。大物選手の名前は、名門ヤンキースのヘクター・ロペス。スター選手にもかかわらず、なぜか移籍金は1000ドルだった。

しかし、いざ来日すると顔も体格も違う。獲得したロペスはチームによると、右投げ、右打ちだったが、来日したロペスは左投げ、左打ち。そんな来日した彼の名は、アルト・ロペス。わずか1年でメジャーをクビになった選手だった。

オーナーの判断によりロペスはそのまま入団し、その後、東京オリオンズで大活躍。1968年のオールスターにも出場し、翌年から3年連続で打率3割をマーク。チームを10年ぶりの優勝に導き、6年間も日本でプレーをした。

再現ドラマでロペスを演じたのは、ラグビー日本代表の中島イシレリ選手。オーナーを真中満さんが演じた。

なぜ、人違いで来日したのか。実は、「代理人が本当に間違えた」という説と、「本物のロペスの契約が取れなかった代理人が同じ名前の(アルト・)ロペスでごまかそうとした」説という2つの説があるという。

じゃがいもを投げて永久欠番に

2話目は、メジャーにあったマンガみたいな反則。

1987年、アメリカ・メジャーリーグの傘下「ウィリアムポート・ビルズ」は、負ければ最下位に転落という大事な一戦に挑もうとしていた。

監督役は1話目に引き続き、真中さん、デイブ役はイシレリ選手が演じた。

キャッチャーを務めるデイブは、監督に頼まれて勝つための秘策を考えていた。そんな彼がそのとき手にしていたのはじゃがいも。すると、デイブはビルズのピンチを迎えたとき、あらかじめ隠し持っていたじゃがいもをわざと暴投。飛び出したランナーに、投げずに持っていたボールでタッチした。

この行動により、デイブは「退場」になり、さらに罰金50ドルを言い渡されるが、処分に納得してなかったデイブが持ってきたのはじゃがいも50個。こうして反省の態度を示さなかった彼は、解雇を言い渡されるが、デイブの解雇を聞いた観客たちがデイブのプレーで楽しませてもらったとして球団に苦情を入れる。

大バッシングを受けた球団は、名誉回復のため、彼の背番号50番を本来は偉大な成績を残した選手にしか認定されない永久欠番に。後日デイブは、「自分はマイナーで2割ちょっとしか打てなかったのに、ポテトを投げただけで永久欠番になった。俺は世界で一番幸せな男よりも幸せな男だ」と語っていたという。

スタジオではサッカー元日本代表の中澤佑二さんは、「ブラジルに留学していたとき、マークしていたフォワードが自分の靴紐を結ぼうとして、しゃがんだ瞬間に僕の靴紐をほどいていた」と自身が体験した“あり得ない反則”について明かした。

忘れモノをして3割バッターに

3話目は日本球界に眠るマンガみたいなエピソードの2本立て。

まずは、忘れモノのおかげで3割バッターになった元プロ野球選手・山﨑武司さんの話から。再現ドラマで山﨑さんを中澤さん、星野仙一監督を永島昭浩さんが演じた。

プロ通算403本塁打。長い歴史で3人しかいないセ・パ両リーグでホームラン王に輝いた山﨑さん。

2000年、当時、中日ドラゴンズに所属していた山﨑さんは、シーズン前のオープン戦で、スパイクを忘れ、間違えてウォームアップシューズを持ってきてしまう。このとき、頭をよぎったのは、当時、選手から恐れられていた星野監督から怒られてしまうこと。100%怒られると思った山﨑さんは、星野監督に「ケガ明けなので、今年はスパイクを履かずにいこうと思います」とウソをついたという。

星野監督も納得し、その場はしのげたが、残りのシーズンはウォームアップシューズで試合に臨まなくてはならなくなった。

しかし、このウソがまさかの結果を生むことに。この年、山﨑さんは4年ぶりに3割を超え、オールスターにも出場した。

ツメがあるスパイクは打つときにしっかりと踏み込むことができる。しかし、ツメがないウォームアップシューズは強く踏み込めないが、余計な力を入れることがなくなり、成績アップにつながったという。

その後、星野監督に事実を伝えたのか、本人に聞くと、「言ってないです。何が一番いけないかって、スパイクを忘れたことが一番の罪。許されないんですよ、星野さんの野球哲学では」と明かした。

なぜ、ベンチ裏に冷凍庫を?

推定年俸5億円、ベストナインに5回選出され、日本代表選手として活躍し、名内野手として知られる巨人・坂本勇人選手。

球界を代表する選手を演じたのは、シドニーオリンピック・柔道100キロ超級銀メダリストの篠原信一さん。

坂本選手は、普通の選手は使わない、冷凍庫をベンチ裏に持ち込んでいるという。試合中は、ベンチに戻るたびにその冷凍庫を使っている。

使い道はグローブを保管するため。グローブをそのまま保管し、攻撃が終わり、守備につくと冷凍庫から取り出すという。

なぜ、冷凍庫にグローブを保管しているのか。その理由を用具係に聞くと、「ずっと使い続けているグローブに、ヘタリが出て柔らかくなりすぎてしまう。硬めにするために冷凍庫を使っている。グローブをいくつか持っているが、ヘタっても使い続けたいから」と明かした。

通常、選手は毎年グローブを新品に買い替えているが、坂本選手は5年以上使い古したグローブを冷凍して硬くしているという。

スタジオでは、俳優の佐藤隆太さんが中澤さんの演技を「素晴らしいと思います。ナチュラルです」と評価。

さらに中澤さんは自身の道具へのこだわりを「普通の選手はピッチの状態や天候で2足、3足持ってくる選手はいたけど、僕はよりこだわりが強かったので20足くらい持ってきていた」と明かすと、番組MCの浜田雅功さんが「1試合に20足も持って行ってどうするの?」と驚く。

すると、中澤さんは「芝生の具合や雨が降ったときは人工の革を使ったものにしたり。そこまでやっているのは、僕の知っている中で僕と中村俊輔だけ」と話した。

50歳で世界一へ

4話目は、50歳で始めたある競技で世界一へ輝いた給食のおばちゃんのエピソードを。

1999年、都内の保育園で給食のおばちゃんをしていた澤千代美さん、当時50歳。そんな彼女を浜口京子さん、ジムのトレーナをアニマル浜口さんが演じた。

スポーツ経験はほぼなく、唯一の運動は給食をつくるときの力仕事のみ。そんな澤さんに転機が訪れたのは、50歳の健康診断のとき。「肥満」と指摘されたことで、ダイエットを決意し、近所のジムへ入会する。

そこで澤さんの心をときめかせたのがベンチプレス。男性でも40キロが平均と言われる中、初めてのベンチプレスにもかかわらず、澤さんは50キロを持ち上げた。

実は、澤さんは22年間にわたる給食の仕事で、三角筋や上腕三頭筋などベンチプレスに必要な筋肉を知らないうちに鍛えていた。

ここからマンガみたいな快進撃が始まる。ベンチプレスを始めて1年で全国大会に出場し、105キロを記録して日本一に輝く。世界選手権への切符を手にした澤さんは、初めての世界大会で圧勝。その後、世界大会を18連覇する。

こうしてベンチプレス界のレジェンドとなった澤さん。現在70歳になった澤さんに今後の目標を聞くと、「今18連覇をしているので、20連覇まで頑張りたい!(自信)あります」とガッツポーズ。

副業のせいで睡魔が…

5話目は副業かけもちで試合中に大失態をおかしてしまうエピソードを。

中日ドラゴンズに入団し、オールスターに出場するほどの人気選手で、「甲子園のアイドルは俺が元祖!」と豪語する、元プロ野球選手の板東英二さん。

彼を演じたのは中澤さん。

順風満帆なプロ生活をスタートさせながら、プロ野球選手ではあり得ない副業を行っていたという。

プロ入り2年目にして、牛乳配達店の経営を始め、早朝から自らも配達していた。

サウナ店や麻雀荘経営、ナイトクラブ経営など副業が大成功し、名古屋市に自社ビルを約1億円で購入。副業をしながらも、生涯通算成績は2ケタ勝利を通算5回という活躍ぶり。

そんなある日、朝から働いていた板東さんはそのまま試合に直行。当時、リリーフ投手で試合開始直後は出番がなくベンチ裏のブルペンで待機していたところ、睡魔が襲いそのまま眠ってしまった。

そして目覚めたのは夜中。副業のしすぎで寝過ごしてしまった。そして、誰も起こしてくれなかった。

当時、板東さんは自分では把握しきれないほどの副業をしていたという。

スタジオではゲストの稲村亜美さんが「今のピッチャーの方とかは、ルーティンを大事にしていたりするけど、そういうのがなくてあそこでま活躍できたのはすごいし、もっとできたかもと思っちゃいますね」と明かした。

石川遼と父親の特訓

6話目は、ゴルフ・石川遼選手が小学校からやっていた特訓について。

最年少で賞金王に輝き、史上最速で獲得賞金10億円を突破した石川選手。そんな彼を演じたのは、“ゲンちゃん”ことゴルフ・時松隆光選手。

男子ゴルフの人気を支え、初めて優勝したときにプレーだけでなく、15歳とは思えないコメントが注目された。

そのコメントは「プロの試合でまぐれみたいな感じじゃなくて、自分で一打一打、反省できるようなラウンドをしながら通用するようになりたい」というもの。

わずか15歳にしてこうしたコメントができた理由は、父・勝美さんの特訓があったから。石川選手は、小学生の頃から言葉で自分のプレーなどが説明できるようになるため、父親から「なぞかけ」の特訓を受けていたという。

そんな父親との「なぞかけ」のおかげで、石川選手のコメント力が培われた。

(『ジャンクSPORTS』毎週日曜日夜7:00~8:00放送)