長崎市にある西浦上小学校。68年の歴史ある校舎には先生、児童たちのたくさんの思い出が詰まっている。しかし、老朽化などから近く取り壊すことになった。その歴史ある学校に特別な思いを抱く校長先生を取材した。

児童、教師、校長として 12年間を過ごす

西浦上小学校の創立は1872年(明治5年)。

長崎市大手一丁目にある西浦上小学校
長崎市大手一丁目にある西浦上小学校
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前身の西浦上国民学校は現在、長崎大学附属中学校が建つ場所付近にあったが、戦時中の1945年8月9日、長崎市に原子爆弾が投下され校舎は全壊した。

前身の西浦上国民学校 1945年8月9日に投下された原爆で全壊
前身の西浦上国民学校 1945年8月9日に投下された原爆で全壊

その後、現在の場所へ移転し、今の校舎は1954年(昭和29年)に供用が始まった。

この学校で2021年度、定年退職となるのが校長の麻生毅先生。麻生先生は離任式で子どもたちに別れを告げた。

西浦上小・麻生毅校長:
いよいよこの日が来ました、というのが正直な気持ち。私はこの学校に12年間お世話になったんです

今年度に定年を迎えた校長 西浦上小は母校
今年度に定年を迎えた校長 西浦上小は母校

西浦上小は母校でもあり、小学生の6年間、教師として2年間、そして校長として4年間の合わせて12年間をこの校舎で過ごした。

12年間を西浦上小で過ごした麻生校長
12年間を西浦上小で過ごした麻生校長

西浦上小・麻生毅校長:
たまたまですけど、自分が卒業した学校の校舎の最後をみとるというか。その校長になれたというのはある意味、運命的なものを感じる部分もあった

刻まれた水害の記憶…不便もあるが「大好きな校舎」

校長室の資料をまとめているうちに出てきた数冊のアルバム。40年前の長崎大水害のときの写真だ。

1982年7月23日、長崎市内では集中豪雨による土砂崩れなどが相次ぎ、299人が犠牲となった。学校のすぐそばを流れる浦上川も氾濫し、校舎や運動場には大量の土砂が流れ込んだ。

大量の土砂が流れ込んだ教室
大量の土砂が流れ込んだ教室

校長室には当時、どこまで水が上がってきたかという印もある。

西浦上小・麻生毅校長:
ちょっと見えづらいけど、ここですね。昭和57年7月23日、ここまで水が来ている

西浦上小に入ると、まず目に飛び込んでくるのは中央にある大きな階段だ。

西浦上小・麻生毅校長:
(階段が)2つに分かれて、こっちが上り、こっちが下りで。これはそうそうないと思います

階段の左右には、長い廊下が続いている。

西浦上小・麻生毅校長:
全学級、一日数回は教室の様子を見てまわるんだけど、僕の歩数でいけば1000歩はかるく超えるかな、一回まわるだけで。不便なこともいっぱいあるんですけどね。古い作りで今の時代に合っていない事も多いんだけど、個人的には大好きです。でも、なかなかこんな学校はなくなるでしょうね

麻生校長が「大好き」と語る校舎
麻生校長が「大好き」と語る校舎

テレビ長崎・川波美幸アナウンサー:
すごく雰囲気があるというか、味があるというか…

学校の歴史は、皆が一体となって作るもの

68年間、数々の行事を通して、子どもたちや先生がたくさんの思い出を作ってきた。

西浦上小・麻生毅校長:
(校舎には)お疲れさま、ありがとうと声をかけたいです。建物だけでなくて、学校の歴史って、子どもと教職員と保護者と地域の皆さんと、一体となって作っていくものだと思っています

西浦上小・麻生毅校長:
(新校舎になっても)多くの方が笑顔で集まれる学校になってほしいなと思っています

新年度から子どもたちは、運動場に作った仮校舎で学ぶことになっている。新校舎は2025年に完成予定だ。

卒業生などからは「取り壊される前にもう一度校舎を見たい」との声も多く、現在の校舎は4月3日午前11時から一般開放されることになっている。また、感謝のメッセージボードなども準備される。

(テレビ長崎)

テレビ長崎
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